March 3031997

 木のもとに汁も鱠も櫻かな

                           松尾芭蕉

は「なます」。木は「こ」と読ませる。昔から、桜に対するとどうも臍曲りになる表現者が多い。「世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし」(在原業平)だとか、「わがこころはつめたくして/花びらの散りておつるにも涙こぼるるのみ」(萩原朔太郎)だとかと、枚挙にいとまがない。なにせはかない命の桜花だもの、そう表現したい気持ちはよくわかりマス。しかし他方では、せっかく咲いた桜なのだから「酒の肴」にしちまおうなんていう逞しい感覚の庶民もたくさんいたわけで(いまでも)、だとすれば、もっと楽しい作品があってもいいのになと思う。その意味で、この軽みはとてもよい。花見の座。そこに坐って一杯やったら、これっきゃないですよね。時は元禄三年(1690)、芭蕉四十七歳。晩年の句だ。(清水哲男)




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