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February 1421997

 薄曇る水動かずよ芹の中

                           芥川龍之介

かにも龍之介らしい鋭い着眼。この句は、芹を詠んでいるようでいて、詠んではいない。芹という清澄な植物に囲まれた水のよどみを詠むことによって、おのが心の屈折した水模様を描き出している。ただし「上手な句」ではあるけれども、芹(自然)とともに生きている感覚はない。同じ「芹の中」を詠んだ作品でも、蕪村の「これきりに径尽きたり芹の中」の圧倒的な自然感からは、遠く隔たっている。まったくもって「うめえもんだ」けれど、どこかで読者を拒んでいる雰囲気を感じるのは、私だけであろうか。(清水哲男)


March 1331997

 芹レタスセロリパセリよ血を淨めよ

                           山本左門

然から遠ざかるほど、人は病気に近づく。京都浄瑠璃寺の住職がラジオで話していた。作者の焦燥感も、そこに根拠を持っている。歴史上、自然が昨今ほどに人間の問題となったことはないのである。その意味で、まことに現代的な俳句だ。この句は、小川双々子が主宰する「地表」(一宮市)で、今年度の地表賞を受賞した作品のひとつ。双々子は、左門句が現在の俳壇に蔓延する季語季題趣味と無縁であることを評価し、さらに言う。「季語は業のようなものだから、その純正なはたらき(詩としてのはたらき)を駆使するなど容易ではない。大方は<俳>などというはたらきを計るから、自らの居場所さえ解らなくなる為態となる」。(清水哲男)


February 1321999

 芹つみに国栖の処女等出んかな

                           榎本星布

本星布(せいふ・1732-1814)は女性。武蔵国八王子(現・東京都八王子市)生まれ、加舎白雄門。古典の教養を積んだ人で、私のように朦朧とした人間にも、この句のおおらかさは万葉の時代を想起させる。上野さち子『女性俳句の世界』(岩波新書)で勉強したところによれば、『万葉集』巻十の春相聞「国栖(くにす)らが若菜摘むらむ司馬の野のしばしば君を思ふこのころ」を踏まえている。国栖(くず)は奈良県吉野川上流の集落名で、奈良・平安時代を通じて宮中の節会に笛などの演奏で参加を認められていたという。その意味では、由緒正しい伝統のある土地柄なのだ。ところで、句は見られるとおり、踏まえているといっても、恋の心を踏んでいるわけではない。明るくおおらかな若菜摘みの情景だけを借りてきて、みずからの晴朗な心映えを伝達しようとしている。したがってここで注目しておきたいのは、万葉の情景を拝借してまでも、このようなおおらかさを歌い上げておこうとした星布の内心である。いわば「かりそめの世界」に無理にも遊ぼうとした作者の、現世に対する苛立ちを逆に感じてしまうと言ったら、深読みに過ぎるだろうか。あまり上手ではない句だけに、気にかかるところだ。「処女」は「おとめ」と読む。(清水哲男)


July 0371999

 一と股ぎほどの野川の芹の花

                           田村いづみ

(せり)というと春の季語だが、花は夏。水辺で、白くこまかい花を咲かせる。立ち止って観賞するほどの派手さもないけれど、歩きながら目の端にとらえて、束の間すずやかな印象を受ける花だ。句の情景は、まさに我が故郷山陰の野川のそれだと思った。学校の行き帰りに必ず渡る細い川があって、大人ならば「一と股ぎ」のところを、子供のために割り木が二本渡してあった。まるで、文部省唱歌「春の小川」のモデルのような川だった。毎夏、その水辺にひっそりと芹の花があった。芹摘みの記憶は、あまりない。川にはもっとお腹のふくれる「ていらぎ」(方言だと思います。正式な名をご存じの方、教えてください)が群生しており、腹の足しにもならない芹などには、さして関心がなかったせいだろう。したがって、放置されたままの芹は、この季節になるといっせいに花をつけた。子供心にも、ぼんやりと寂しい花のように写っていた。花の記憶は、場所に結び付く。だから、あまりにも違う場所で咲いている花を見ると、なんだか偽物のように感じられるほどだ。その意味からも、この句は私のなかの芹の花にぴしゃりとフィットしてくれた。(清水哲男)


March 1832000

 法隆寺からの小溝か芹の花

                           飴山 實

者の飴山實さんが、一昨日(2000年3月16日)山口で亡くなった、享年七十三歳。面識はなかったが、学生時代に第一句集『おりいぶ』(1959)という、およそ句集らしからぬタイトルに魅かれたこともあって愛読した俳人だ。当時の飴山實は「女工等に桜昏れだす寒い土堤」などの社会性のある抒情句を得意としていて、影響で私も同じような詩の世界を志向した。私のはじめての詩集『喝采』(1963)にはその痕跡が拭いがたく歴然としており、詩人の中江俊夫さんに「どっちつかずで中途半端」と評されたのも、いまは懐しい思い出である。その後の飴山さんは見られるとおりの句境を得られ、独自の地歩を築かれた。句の舞台は、早春のいかるがの里。法隆寺を少し離れた道端の小溝に可憐な芹の花が咲いているのを見つけ、流れる清冽な水が法隆寺に発しているかと思い、そこに悠久の時間を感じている。千年の昔にも、いまと変わらぬ光景があったのだ、と。飴山さんは「酢酸菌の生化学的研究」で、日本農芸化学会功績賞を受けた学者でもあった。合掌。『次の花』(1989)所収。(清水哲男)


February 0622002

 芹の水少年すでに出で発ちぬ

                           山口和夫

語は「芹(せり)」で春。多く湿地や水中に生え、春の七草の一つである。私の田舎でも小川に生えていて、芹というと清らかな水の流れといっしょに思い出す。早春の水はまだ冷たく、その冷たさゆえに、ますます水は清く芹は鮮やかな色彩に写った。そして、その「芹の水」はいつまでも同じ様子で残り、そこに影を落としていた「少年」は「すでに」存在しないと、句は言うのである。このときに少年は作者自身のことでもあるが、他の「出で発」っていった少年をすべて含んでいる。田舎とは、いつだって少年たちが「すでに出で発ち」、彼らの残像が明滅している土地なのだ。立志や野望から、漠然たる都会への憧憬からと、今日でも出で発つ理由はさまざまだろうが、昔は圧倒的に貧困が理由だった。あるいは「醜の御楯(しこノみたて)」として戦地に出で発ち、ついに帰らない者も多かった。そんな思いで芹の水を眺めていると、我とわが身を含めて、若年にして田舎を去っていった者の心の内がしのばれる。作者は七十代。掲句は、そうした少年たちへの清冽な挽歌である。私などには、泣けとごとくに響いてくる。なお若い読者のために補足しておけば、「醜の御楯」とは「卑しい身で天皇のために楯となって外敵を防ぐ者」の意だ。『黄昏期』(2002)所収。(清水哲男)


March 2032003

 ぼろぼろの芹摘んでくるたましひたち

                           飯島晴子

語は「芹(せり)」で春。正直に言って、私には掲句はよくわからない。しかし、わからないとは言うものの、そこらへんにポイッとは捨てられない気になる響きを持った句だ。何故だろうかと、自分自身に聞いてみる。俳句を読んでいると、ときどきこんなことが起きる。捨てられないのは、どうやら「ぼろぼろの芹」と「たましひ」との取りあわせのせいらしい。「たましひ」は、生者のそれでもよいのだが、この場合は死者の魂だろうと、しばらく考えてから、勝手に結論づけてみた。生者が「ぼろぼろの芹」を摘んだのでは、どうしようもない。いや、生者ならば決して摘むことはない、見向きもせぬ「ぼろぼろの芹」だ。それを、死者があえて摘んだのである。死者ゆえに、もう食べることもないのだから、とにかく摘んできただけなのだ。摘んできたのは、生きていたころと同じようにして、死んでいたいからである。すなわち、死んでも死にきれない者たちの「たましひ」が、春風に誘われて川辺に出て、そこで摘んでいる生者と同じように摘んでみたかったのだ。それだけだ。でも、ちゃんと生者のために新鮮な芹は残しておいて、あえてぼろぼろなところだけを選んで摘んできた。しかも、生きていた時とまったく同じ摘み方で、上機嫌で……。なんと楽しげな哀しい世界だろう。でも、飯島さん。きっと間違ってますね、私の解釈は……。開戦前夜、私はとても変である。誰も、こんなアホな戦争で、死ぬんじゃないぞ。『蕨手』(1972)所収。(清水哲男)


February 0522006

 ひらがなはつつしみふかしせりなずな

                           富田敏子

語は「せり(芹)」と「なずな(薺)」で,春と新年。一応このように分類はしておくが、掲句の趣旨に沿えば、むしろまとめて「春の七草」としたほうがよいのかもしれない。そしてたしかに句が言うように、「せり」や「なずな」の表記は漢字や片仮名のそれよりも「つつしみふかさ」が感じられる。慎み深い表記であるがゆえに、そこにはぽっと早春の気配が立ちこめるのだ。私たちが平仮名表記にやわらかな「つつしみふかさ」を感じるのは、漢字を極端に崩した草書体という外見上の要素もあるけれど、もう一つはほとんど無意識のうちに、平仮名が置かれてきた歴史的文化的な土壌に反応するからではあるまいか。漢字が公用語であった大昔に、平仮名はいわば私的な表現用途のために発達した。平安時代の女流文学、あるいは男の書くものでも和歌の世界などで用いられ、それが積み重ねられるうちに、人の心の襞を描くのを得意とする文字として定着したようである。理論的には,同じ表音文字である片仮名(ローマ字を含めてもよいが)でもそのようなことを表記できない理由はないのだけれど、その歴史的発展形態が記号的であったために、なんとなく私たちは違和感を覚えてしまうのだと思う。私が学齢期のときには、まず片仮名を教えられた。現在は,平仮名を先に教えている。子供にとって読み書きともに難しいのは、だんぜん平仮名のほうだろう。それでも最初に平仮名を教えるのは、善意で考えて、平仮名の持つ豊潤な歴史や文化を感覚的に継承させようとする教育意図があるからなのだろう。『ものくろうむ』(2003)所収。(清水哲男)


July 0572011

 いま汲みし水にさざなみ黒揚羽

                           今井 豊

んだ水がしばらく揺らめいている様子は、「もぎたて」「捕りたて」のような生きものめいた艶めきがある。目の前にある水が立てる生き生きとしたさざなみを見つめ、その小さな波頭に思いを寄せている。ざわめく気持ちがいずれは落ち着くことが分っている、なだめるような視線である。小さな水面のさざ波は、やがて穏やかな一枚の滑らかな水のおもてになるはずだ。一方、確かに生きているにも関わらず、黒揚羽の美しさはどこかつくりものめいている。さらに「バタフライ効果」といわれる「ブラジルでの蝶の羽ばたきがテキサスで竜巻を引き起こす」という予測可能説が頭をよぎり、その静かな羽ばたきによってもたらされる吉凶の予感が、見る者の胸をざわつかせる。予言者めいた黒揚羽が、汲んだ水を持つ者の手をいつまでも震わせ、さざなみ立てているのかもしれない。〈せりなずな生はさみどり死はみどり〉〈もてあます時間崩るる雲の峰〉『草魂』(2011)所収。(土肥あき子)


March 2932015

 一歩在り百歩に到る桜かな

                           永田耕衣

集では掲句の前に、「一歩をば痛感したり芹なずな」があります。春がやって来た実感です。今、「やって来た」と書きましたが、春はやって来るものであると同時に、こちらから一歩近づいていかなければ訪れるものではないという、当たり前の真実に気づかされます。若い頃なら、これを実存というのだななどと観念的に片づけていました。しかし、「痛感」という言葉は、身に起こる切実な情ですから、「芹なずな」に同化するほどの強い思い寄せがあります。掲句では、「一歩」 から出発して「百歩」に到っています。満開の花の盛りは、じつは、桜の側にあると同時に、見る側が作り出すのだという教訓を得ます。花見は座って見るばかりでなく、歩いて歩いて歩き尽くしてこそ、花が盛る、そんな、花と人との双方向的な対峙を教わりました。このおじいちゃんは、やはり、桜に対しても貪欲でした。『永田耕衣五百句』(1999)所収。(小笠原高志)




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