January 1911997

 にんげんの重さ失せゆく日向ぼこ

                           小倉涌史

供のころ、遊びに行くと、友人の祖母はいつも縁側の同じ場所に坐って日向ぼこをしていた。何も言わず、無表情に遠くを見ているだけだった。その決まりきった姿は、ほとんど彫塑さながらだったが、そういえば、この句のように体重というものが感じられなかった。拙詩「チャーリー・ブラウン」に出てくる老婆「羽月野かめ」は、彼女がモデルになっている。後年、彼女の死を伝えられたとき、いつもの縁側からふわりと天上に浮き上がる姿を、とっさに連想した。作者が暗示しているように、日向ぼこの世界は天上のそれに近いものがあるようだ。日の下で気持ちがよいとは、つまり、死の気配に近しいということ……。『落紅』所収。(清水哲男)




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