January 1711997

 鍋焼の火をとろくして語るかな

                           尾崎紅葉

焼といっても「鍋焼きうどん」のことではない。第一、こんなことをしていたら、うどんが溶けてしまう。本来は、土手焼きともいって、土鍋の周囲に味噌を堤形に分厚く塗り、中央の空所で牡蛎や魚や野菜を煮た田舎料理を指す。昭和三十年代の京都の三条河原町近くに、この土手焼きをメインに出す珍しい店があった。学生の身分では少々高くつく飲み屋だったが、焦げた味噌の香ばしさに包まれた魚のうまかったこと。主人は慶応大学卒と称していて、店には福沢諭吉の言葉だという軸が吊るされており、音楽はなんとクラシックだけという変わりようであった。その味が忘れられず、京都を去って十年ほど後に行ってみたら、店の代がかわっていて、もう土手焼きもクラシックもなかった。元気だったかつてのオーナーは、ある日突然、ポックリと逝ってしまったのだと聞かされた。(清水哲男)




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