January 0911997

 一月や裸身に竹の匂ひして

                           和田耕三郎

性の裸身ではない。「一月」に「竹」とくれば、もうどう考えたって(考えなくとも)男の裸体に決まっている。たとえば、真新しいふんどしをきりりと締め上げた「竹を割ったような」気性の男気が連想されよう。その裸身から竹のような匂いが立つというのだから、他人の裸体ではなく、自分自身の裸だ。おのれの若い肉体の勢いに、半ばうっとりしているのである。俗にいうナルシシズムを、きわめて抑制したかたちで表現したところに、この句の華がある。女性の読者にとっても、少なくとも気持ち悪くはないはずである。『水瓶座』所収。(清水哲男)




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