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December 31121996

 行く年やわれにもひとり女弟子

                           富田木歩

は、大晦日に師の家に挨拶に行く風習があった。正岡子規の「漱石が来て虚子が来て大三十日」の句は、つとに有名だ。まことにもって豪華メンバーである。そこへいくと木歩の客は地味な女人だ。が、生涯歩くことができなかった彼の境遇を思うと、人間味の濃さの表出では、とうてい子規句の及ぶところではない。たったひとりの女弟子のこの律儀に、読者としても、思わずも「ありがとう」と言いたくなるではないか。(清水哲男)


December 16121998

 船のやうに年逝く人をこぼしつつ

                           矢島渚男

れていく年。誰にもそれぞれの感慨があるから、昔から季語「年逝く」や「行く年」の句はとてもたくさんある。が、ほとんどはトリビアルな身辺事情を詠んだ小振りの抒情句で、この句のように骨格の太い作品は珍しい。「船のやうに」という比喩も俳句では珍しいが、なるほど年月はいつでも水の上をすべるがごとく、容赦なく逝ってしまうのである。つづく「人をこぼしつつ」が、まことに見事な展開だ。これには、おそらく二つの意味が込められている。一つは、人の事情などお構いなしに過ぎていく容赦のない時間の流れを象徴しており、もう一つには、今年も「時の船」からこぼれ落ちて不在となった多くの死者を追悼する気持ちが込められている。「舟の上に生涯をうかべ馬の口とらえて老をむかふる物は、日々旅にして、旅を栖(すみか)とす」と、芭蕉は『おくのほそ道』に書きつけた。この情景を年の暮れに遠望すれば、かくのごとき世界が見えてくるというわけである。蛇足ながら「舟」ではなくて「船」であるところが、やはり現代ならではの作品だ。蛇足ついでの連想だが、いわゆる「一蓮托生」の「蓮」も、現実的にはずいぶんと巨大になってきているのだと思う。『船のやうに』所収。(清水哲男)


December 29121998

 行年や夕日の中の神田川

                           増田龍雨

年は「ゆくとし」と読ませる。神田川は東京の中心部をほぼ東西にながれ、隅田川にそそいでいる川だ。武蔵野市の井の頭池を水源としている上流部を、昔は神田上水と言った。中流部は江戸川だ。なにしろ川は長いので、同じ川の名前でも、場所によってイメージは異なる。句の神田川は、どのあたりだろうか。全国的には隅田川や多摩川ほどには知られていない川だけれど、東京人にとっては、昔の生活用水だったこともあり、懐しいひびきのする呼び名だろう。その神田川の夕暮れである。私はお茶の水駅あたりの神田川が好きなので、勝手に情景をそこに求めて読んでいるのだが、たしかに年末の風情はこたえられない。学生街だから、普段は若者で溢れている街に、年末ともなると彼らの姿は消えてしまう。そんな火の消えたような淋しい街に、神田川は猛るでもなく淀むでもなく、夕日の中でいつものように静かに息づいている。まことに「ああ、今年も暮れていくのだ」という実感がこみ上げてくる。そして、こういうときだ。私がお茶の水駅から寒風の中を十数分ほど歩いてでも、有名なビヤホールの「ランチョン」に立ち寄りたくなるのは……。かつてはこの店で、毎日のようにお見かけした吉田健一さんや唐木順三さんも、とっくの昔に鬼籍に入られた。年も逝く、人も逝く。(清水哲男)


December 23122001

 ゆく年を橋すたすたと渡りけり

                           鈴木真砂女

年も暮れてゆく。そう思うと、誰しも一年を振り返る気持ちが強くなるだろう。「ゆく年(行く年)」の季題を配した句には、そうしたいわば人生的感慨を詠み込んだ作品が多い。そんななかで掲句は、逆に感慨を断ち切る方向に意識が働いていて出色だ。作者にとってのこの一年は、あまり良い年ではなかったのだろう。思い出したくもない出来事が、いくつも……。だから、あえて何も思わずに平然とした素振りで、あくまでも軽快な足取りで「すたすたと」渡っていく。このときに「橋」は、一年という時間の長さを平面の距離に変換した趣きであり、短い橋ではない。大川にかかる長い橋だ。冷たい川風も吹きつけてくるが、作者は自分で自分を励ますように「すたすた」と歩いてゆくのである。話は変わるが、今日は天皇誕生日。諸歳時記に季語として登録されてはいるけれど、例句も少なく佳句もない。戦前の「明治節」や「天長節」とは、えらい違いだ。清水基吉さんから最近送っていただいた『離庵』(永田書房)に、こんな句があった。「なんといふこともなく天皇誕生日」。多くの人の気持ちも、こんなところだろうか。『新日本大歳時記・冬』(1999)所載。(清水哲男)


December 26122007

 下駄買うて箪笥の上や年の暮

                           永井荷風

や、こんな光景はどこにも見られなくなったと言っていい。新年を迎える、あるいはお祭りを前にしたときには、大人も子供も新しい下駄をおろしてはくといった風習があった。私たちが今、おニューの靴を買ってはくとき以上に、新しい下駄をおろしてはくときの、あの心のときめきはとても大きかったような気がする。だって、モノのなかった当時、下駄はちびるまではいてはいてはき尽くしたのだもの。そのような下駄を、落語のほうでは「地びたに鼻緒をすげたような・・・」と、うまい表現をする。私の地方では「ぺっちゃら下駄」と呼んでいた。♪雨が降るのにぺっちゃら下駄はいて・・・と、ガキどもは囃したてた。さて、「日和下駄」で知られる荷風である。新年を前に買い求めた真新しい下駄を箪笥の上に置いて眺めながら、それをはきだす正月を指折りかぞえているのだろう。勘ぐれば、同居している女の下駄であるかもしれない。ともかく、まだはいてはいない下駄の新鮮な感触までも、足裏に感じられそうな句である。下駄と箪笥の取り合わせ。買ったばかりの下駄を、箪笥の上に置いておくといった光景も、失われて久しい。その下駄をはいてぶらつくあらたまの下町のあちこち、あるいは訪ねて行くいい人を、荷風先生にんまりしながら思い浮かべているのかもしれない。あわただしい年の暮に、ふっと静かな時間がここには流れている。「行年に見残す夢もなかりけり」も荷風らしい一句である。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)


December 26122011

 行く年や一編集者懐かしむ

                           榊原風伯

家や評論家などの著者が、かつての担当編集者を懐かしんでいるともとれるが、この場合はそうではない。作者は私の河出書房「文芸」編集部時代の同僚だったし、河出退職後も編集者を勤めた人だから、「一編集者」とは作者自身のことだ。どんな仕事でもそうだろうが、月刊誌編集者の年末も多忙である。というよりも、普段の月とは仕事のリズムが激変するので、退職してからも年末のてんてこまいは特別に記憶に残るのである。忙しさは、しかしクリスマスを過ぎるあたりで、急ブレーキでもかかったかのように霧消してしまい、仕事納めまでの何日間かは今度はヒマを持て余すことになる。このいわば空白期に、大げさに言えば、編集者は「行く年」とともに一度死ぬのである。再び生き返るのは、年が改まってからの数日後であり、それまでのわずかな期間は編集者としてのアンテナや神経をたたんでしまう。つまり、職業人的人格を放棄するというわけだ。そんな年末の曲折のことを、作者は「過ぎ去ればすべてなつかしい日々」(永瀬清子)とでも言いたげに、ひとりぽつねんと回顧している。『炎環・新季語選』(2003)所載。(清水哲男)


October 31102012

 魂の破片ばかりや秋の雲

                           森村誠一

夏秋冬を通じて、さまざまな雲が空(そら)という広大なステージに、千変万化登場してくれる。見飽きることがない。それぞれの雲が生成される天文気象学的根拠などそっちのけで、私たちはただ見とれて楽しめばよろしい。雲をずっと追いかけている写真家もいるくらいである。天を覆うような壮大な鰯雲などではなく、点々と散らばる秋のちぎれ雲だろうか。それを「魂の破片」ととらえているのだから、不揃いで身勝手なちぎれ雲が、思い思いに浮かんで、動くともなく風でかすかに動いているのだろう。まともにまとまった立派な「魂」と言うよりも、ありふれた文字通り「破片ばかり」なのである。そんな魂を覗くように、作者はその「破片」にカメラを向けているのかもしれない。誠一はさかんに「写真俳句」に熱をあげていて、著作『写真俳句のすすめ』などもあるくらいだ。「俳句ほど読者から作者に容易になれる文芸はない」と書く。そう、たしかに小説や詩の作者になるのは、俳句に比べて「容易」ではない。ほかに「行く年を追いたる如くすれちがい」がある。『金子兜太の俳句塾』(2011)所載。(八木忠栄)


December 26122012

 ゆく年や山にこもりて山の酒

                           三好達治

かく年の暮は物騒なニュースが多いし、今どきは何となく心せわしい。毎年のこととはいえ、誰しもよけようがない年の暮である。喧噪の巷を離れて、掲句のようにどこでもいいから、しばし浮世のしがらみをよけ、人里離れた山にでもこもれたら理想的かも知れない。しかし、なかなか思う通りに事は運ばない。達治はもう書斎での新年の仕事をすっかり済ませ、さっさと山の宿にでもこもったのであろう。厄介な世事から身を隠して、山の宿で「山の酒」つまり地酒(それほど上等でなくともかまわない)を、ゆったりと心行くまで味わっているのだろう。「山にこもりて山の酒」の調子良さ。もちろん雪に覆われるような寒冷の地ではなく、暖かい山地なのだろう。そこでのんびりと過ぎし年を回顧し、おのれの行く末にあれこれと思いを馳せている。世間一般も、ゆく年は「山にこもりて」の境涯でありたいものと思えども、なかなか思うにまかせない。加齢とともに、ふとそんな気持ちになることがあるけれど、それができる境涯などユメのまたユメである。鷹羽狩行に「ゆく年のゆくさきのあるごとくゆく」がある。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)


December 05122015

 うしろより足音十二月が来る

                           岩岡中正

日少ないというだけでなく、十月に比べ十一月は本当にすぐ過ぎ去ってしまう。毎年同じことを言っていると分かっていながら十二月一日には、ああもう十二月、とつぶやくのだ。そんな十一月の、何かに追われるような焦りにも似た心地が、うしろより足音、という率直な言葉と破調のリズムで表現されている。ひたひたとうしろから確実に迫ってくる十二月、冬晴れの空の青さにさえ急かされながら、十一月を上回る慌ただしさの中で過ぎてゆく十二月。そして正面からゆっくりと近づいて来る新しい年を清々しい気持ちで迎えられれば幸いだろう。同じように破調が効いている〈栄華とは山茶花の散り敷くやうに〉から〈行く年の水平らかに鳥のこゑ〉と調べの美しい句まで自在に並ぶ句集『相聞』(2015)所収。(今井肖子)


December 30122015

 行く年しかたないねていよう

                           渥美 清

さん、じゃなかった渥美清が亡くなって、来年は二十年目となる。早いものだ、と言わざるを得ない。世間恒例のあれこれの商戦や忘年会も、過剰なイルミネーション(当時はそれほどでもなかったか)も、ようやく鳴りをひそめてきた年末。あとは残った時間が否応なく勝手に刻まれるだけ。反省しようとジタバタしようと、年は過ぎ行くのみ。「しかたない」のである。だから「ねていよう」というのである。いいなあ。どこやら、寅さん映画に出てくる旅先、お馴染みの寅さんの姿が目に浮かぶ。上五・中七の字足らずの不安定感が、年も押し詰まった旅の空で、皮鞄を脇にして寝るともなく寝ている姿を彷彿させてくれる。いや、清自身も実際にそういう生き方をしていたのかもしれない。「話をしようにも話し相手すらいない旅の一夜である。(中略)実体験であろうが、寅さんの旅のワンシーンにも重なってくる」と石寒太は鑑賞している。その通りだ。四十五歳だった清が、一九七三年十二月の「話の特集句会」に投じた句である。「立小便する気も失せる冬木立」の一句がならんでいる。森英介『風天』(2008)所載。(八木忠栄)




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