December 29121996

 暁闇に飛び出す火の粉餅を搗く

                           百合山羽公

も二十五日過ぎあたりから、朝は近所の餅搗きの音で目覚めるというのが、少年時代の常であった。山口県も山陰側の小さな村。早めに搗くのは裕福な家で、貧乏人はいよいよ押し詰まってから搗く。やりくり算段の都合からそうなるのだ。五反百姓の子供としては、他家の餅搗きが羨ましく、「明日は搗くぞ」という父の声をどんなに待ちかねたことか。当日は暗いうちから起きだして、この句のような光景となる。興奮した。お祭りなのだ。で、搗いた餅をその後二カ月くらいは、どの家でも主食とした。学校の弁当も、連日餅だけだった。冷えた焼き餅の固かったこと。もちろん、大いに飽きた。うんざりであった。(清水哲男)




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