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December 19121996

 隅田川見て刻待てり年わすれ

                           水原秋桜子

年会がはじまる時刻までには、まだ間がある。ひさしぶりに会場近くの隅田川を眺めながら、時間をつぶしている図。ゆったりとした川の流れが今年一年の時の流れへの思いと重なって、歳末の情感がしみじみと胸にわいてくる……。今宵は、静かな席での良い酒になりそうだ。秋桜子の代表句といってよいだろう。(清水哲男)


December 08121997

 妻なきを誰も知らざる年わすれ

                           能村登四郎

しい人たちとの忘年会ではない。初対面の人も、何人かいる。そんな席では誰かが、座をなごませるべく、リップ・サービスのつもりで自分の妻のドジぶりを披露したりする。「そんなのはまだ序の口だよ」と別の誰かが陽気に応じ、隣席の作者に同意を求めたのでもあろうか。そんなときに、実は妻とは死別したなどと切り出すわけにもいかず、曖昧に頷いておくことくらいしかできない。なにしろ、話し手は善意なのだから……。そして、このことで作者は傷ついたというわけではないと思う。妻がいるのが普通だという通念が、もはや成立しないほどの年齢にさしかかったみずからの高齢に、いわばしみじみと直面させられているのである。このときに一瞬、灯りのついていない我が家のたたずまいを思い浮かべただろう。会が果てれば、そこへひとり帰っていくのだ。『寒九』(1986)所収。(清水哲男)


December 09122000

 遅参なき忘年会の始まれり

                           前田普羅

日あたりから、忘年会ありという読者も多いだろう。暮れの繁忙期を前に、早いうちにすませておこうというわけだ。放送業界では、押し詰まってくると忘年会どころではなくなる。「疑似新春番組」作りに追われてしまう。忘年会の良さは、結婚祝いやら厄落としやらのような集会理由が何もないところだ。一応は「一年の無事を祝し……」などと言ったりするが、そんなことは誰も真剣に思っちゃいない。無目的に集まって、飲んだり食ったりするだけ。考えてみれば、こんな集いはめったにあるものではない。だから、逆に嫌う人も出てくるけれど、おおかたの人の気分はなんとなく浮き浮きしている。無目的は、束の間にせよ、芭蕉に「半日は神を友にや年忘れ」があるように、世間のあれこれを忘れさせてくれる。掲句は、そのなんとなく浮き浮きした気分を詠んだ句だ。みんな浮き浮きしているから、他の会合とはちがって「遅参(ちさん)」もない。「遅参」のないことが、また嬉しくなる。何でもない句のようだが、忘年会のはじまるときの、いわば「気合い」を描いて妙である。ところで、急に別のことを思い出した。田舎にいたころは、学校に遅れることを「遅参」と言っていた。「遅刻」とは、言わなかった。たしか「通知表」にも「遅参」とあったような……。「刻」を相手の「遅刻」よりも、「参(集)」を相手の「遅参」のほうに、人間臭さを感じる。さて、今夜は二つの忘年会が重なっている。必然的に、片方は「遅参」となる。『定本普羅句集』(1972)所収。(清水哲男)


December 19122001

 忘年会一番といふ靴の札

                           皆川盤水

風の店での「忘年会」で部屋に上がるとき、受け取った下足札に「一番」とあった。誰よりも早く到着したからではなく、偶然の「一番」である。他愛ないといえば他愛ない喜びだが、他の「四(死)番」や「九(苦)番」を渡されるよりも、たしかに気分はよいだろう。今年のイヤなことは「一番」に忘れて、よい年がやってきそうな心持ちになる。既に集まっている仲間に、早速この札を見せびらかしたかもしれない。作者、このとき七十六歳。稚気愛すべし。番号といえば、野球好きの連中には選手の背番号だ。銭湯の下足入れなどでは、好きな選手の番号が空いてないかと確かめる。昔は川上哲治の「16」が人気だったし、川上以降は長嶋茂雄の「3」や王貞治の「1」が抜群の占有率を誇っていた。エースナンバーの「18」の人気も高かった。そんな番号が、どういうわけか(としか思えないのだが)たまたま空いていたりすると、大人になってからも、束の間幸福な気分になったものだ。「ラッキー」と、思わずもつぶやいていた。いやはや、まことに他愛ない。最近はテレビ観戦が日常的になったので、背番号もあまり覚えない。覚える必要がないからだ。画面がみんな教えてくれる。昔は、ひいきチームの全レギュラーの番号をそらんじることなど当たり前だったが、いまではそんなファンの数も激減しているのではないか。『随處』(1994)所収。(清水哲男)


December 30122006

 人々の中に我あり年忘

                           清崎敏郎

較的広い、いわゆる居酒屋のような店で飲んでいると、初めは、自分も含めてそこに居合わせた一人一人をくっきり認識しているのだが、酔いがまわって来るにつれ、すべてが独特のざわめきの中に埋没してくる。二度と同じ空間や時間を共有することはない多くの愛すべき人々は、言葉は交わさなくてもお互いに不思議な居心地の良さを作り出すのである。ただの酔っぱらいの集団でしょ、と言われれば否定できないし、静かなところでゆっくり飲むのが好きという向きもあろうが、このざわざわが妙に落ち着くのだ。作者がお酒を好まれたときいて、この句を読んだ時、そんな空間に身を置いて、ふっと我にかえってしみじみとしながらも、ひとりではない自分を感じている、そんな気がした。年忘(としわすれ)は忘年会のことだが、もとは家族や親戚、友人と、年末の慰労をするささやかなものをいったようである。歳時記を見ると、会社などの大人数のものを忘年会と呼び、千原草之(そうし)に〈立ってゐる人が忘年会幹事〉と、いかにも賑やかな雰囲気の一句も見られる。この句も、あるいは一門の納め句座の後の酒宴で、人々とは、共に切磋琢磨した句友なのかもしれない。ただ、年惜しむ、や、年の暮、ではないところで、つい酒飲み的鑑賞になってしまった。御用納めもすんで晦日の今日、連日の年忘にお疲れ気味、という方も多い頃合いか。しかしもう二つ寝れば今度はお正月、皆さま御大切に。「ホトトギス新歳時記」(1996・三省堂)所載。(今井肖子)


December 13122007

 てめえの靴はてめえで探せ忘年会

                           山本紫黄

年もあとわずか。毎晩どこかで忘年会が開かれていることだろう。会も無事終わり「いいお年を」と声をかけあって、酒席を後にしたものの、その後の混乱がこれである。このごろは上がり口で個別に靴を入れて下足札をもらうところも多いようだけど、土間にずらりと黒革靴が並べてあれば、騒ぎは目に見えるようである。サイズやくたびれ具合もほぼ同じ靴のどれが誰のものやら酔眼で見分けるのは容易ではない。掲句はそのてんやわんやの騒ぎを自分も一緒に靴を探しながら楽しんでいるのか。または、自分の靴を自分で探そうとせずに、「俺の靴はどこだ、早く探せ」と部下を顎で使って靴を探させている上役に投げつけられたタンカなのか。どちらにしてもこのような言葉を俳句に入れるのは簡単そうに見えて難しい。その場の状況を一言で想像させる力、言葉の切れのよさと勢いと。そしてこの場合の季語は職場の全員が集い、一年の労苦をねぎらう「忘年会」がぴたりと決まる。この作者にお会いしたことはないけど、俳句でこんなタンカが切れるのだから、普段は物静かな紳士だったのだろう。「これは俳句といえないのでは」という句会での評に「僕が俳句というのだから俳句だ」と断じたのは師の西東三鬼だったと池田澄子さんから伺った。山本紫黄氏は今年八月、第二句集『瓢箪池』を上梓された直後、急逝された。『早寝島』(1981)所収。(三宅やよい)


December 19122010

 忘年酒とどのつまりはひとりかな

                           清水基吉

末に限らず、会社の同僚との飲み会というものが、最近はずいぶん減ったように思います。個人的にそう感じるものなのか、時代の厳しさがそうさせているのか、定かではありません。とにかく、「この一年ご苦労様」と、暢気に乾杯のできる世相では、もうないようです。先週の日曜日に、詩の仲間との忘年会に参加しましたが、こちらのほうは実生活とは別の部分でのつながりでもあり、詩集が出たの、まだ出ないのと、はたから見たらどうでもいいことに話題は盛り上がって、気楽に酔うことができました。今日の句は、忘年会で酔っ払って気勢を上げていたものの、帰り道で一人一人と別れてゆくうちに、最後は自分だけになったということを詠っているのでしょうか。「とどのつまり」の一語が、どこかユーモラスに感じられます。電車を降りて家に向かう道では、酔いもだいぶ覚めてきています。そんな、元気のなくなってゆく様子が、自嘲気味に句の中にしまわれています。『合本 俳句歳時記 第三版』(2004・角川書店)所載。(松下育男)


December 11122011

 忘年会脱けて古本漁りけり

                           阿片瓢郎

ける、ではなくてわざわざ「脱ける」にしたのは何か意図があったのでしょうか。にぎやかに酒を酌み交わしている人たちの間を、足をふんづけながら通って扉までやっとたどり着いた、そんな動作の様子を含めたかったのでしょう。楽しいはずの酒の席を途中で帰る。急いで帰らなければならない用事があるわけでもなく、脱けた理由は、ただ人と一緒にいるのが嫌だったからのようです。そういう気持ちの時って、確かにあります。でも、普通は最後まで我慢して付き合い、せめて二次会は断って帰るものです。しかし、この句の人は、どうにも我慢が出来なくなったのです。やっと一人になって、いつもの時間を取り戻し、人心地がつきました。今年一年のさまざまなことを思い出しながら、ぼんやりと好きな古本の表紙を眺めていることも、りっぱな忘年と言えるのかもしれません。『日本大歳時記 冬』(1971・講談社)所載。(松下育男)


December 12122011

 老いはいや死ぬこともいや年忘れ

                           富安風生

生、七十歳の作。まるで駄々っ子みたいな句だが、七十三歳の私には、微笑とともに受け止められる。老いは、身体から来る。加齢とともに、立ち居振る舞いに支障が出てくる。「こんなはずではなかったが……」という失敗が多くなり、そのたびに「我老いたり」の実感が胸を打つ。先日の私の失敗は、居眠りをしているうちに椅子から転げ落ちてしまったことだ。一瞬、何が我が身に起きたのかがわからなかった。こんなことは、むろん若いころには起きなかった。つくづく、老いはいやだなと思い、老いを呪いたくもなったが、致し方ないと思うしかなかった。かといって、こうした失敗は死んだほうがましという意識には、なかなかつながらない。まだ軽度なのだと、自分に言い聞かせるだけだ。しかし、老人にとって確実なのは、今日よりも明日のほうが失敗する率は高まるということだ。加齢による体験が、そのことを指し示している。おそらく死ぬまで、こうしたことが繰り返され、まだまだ軽度の失敗なのだという意識のなかで、最後の時を迎えるのだろう。私の「年忘れ」もまた、作者と同じように「年(齢)忘れ」に近くなってきたようだ。ちなみに風生は、このあと二十年以上も生きて九十三歳で没している。『古稀春風』(1957)所収。(清水哲男)


December 14122011

 やがて入り来る四五人や年忘

                           久保田万太郎

まさに忘年会まっさかり。「忘年会」とすっぱり言ってしまうより、「年忘(としわすれ)」のほうが情緒がある。もちろん「望年」という言い方も流布している。今年のような年は、誰にとっても忘れようにも忘れられない年だったから、むしろ新しい年の到来に望みを託し、希望のもてる年であるように祈念するという意味で「望年」のほうがふさわしいように思われる。当方は昨夜、ある「大望年会」に参加して、とても楽しかった。暮はどちら様も何かと忙しい。けれども忘年会を通過しないと一年が終わらない、義理が立たない等々、仕事で定刻に遅れてしまっても、何とか駆けつけたいというのが人情。なかには二次会か三次会からでも参加という義理がたい(?)御仁も。「やあ、どうもどうも」とか何とか言いながら、三々五々駆けつけてくるのだろう。そのたびに酒席は揺れ、陽気な声があがるという寸法。そんなにぎやかな宴の模様が伝わってくる句である。『日本歳時記』には「年忘とて、父母兄弟親戚を饗することあり。これ一とせの間、事なく過ぎしことを祝ふ意なるべし」とある。本来はそうだったのだろうが、現在はその意味合いがだいぶ変わってきたことになる。万太郎の年忘の句は他に「拭きこみし柱の艶や年忘」がある。几董には「わかき人に交りてうれし年忘」という、今日に心境が通用する句がある。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)


December 17122012

 忘年や水に浸りてよべのもの

                           山田露結

の台所。昨夜の忘年会で使った食器類が、そのまま水に浸っている。ちゃんと洗って片づけてから休めばよかったのにと思うけれど、疲れてしまって、とてもそんな気力はなかったのだ。それこそあとの祭りである。それにしても、何たる狼藉の跡か。この皿は欠けているけれど、いつどんなことでこうなったのか、何も思い出せない。きっとこんな光景は、毎年のことなのだろう。ある意味では、本番の忘年会よりも、こちらのほうに年の瀬を感じさせられる。「さあ、やっつけるか」と腕まくりをして洗いにかかる。水道の蛇口を全開にして洗いはじめると、今年もいろいろあったなあと、はじめて忘年の思いが胸をかすめはじめるのである。『ホームスウィートホーム』(2012)所収。(清水哲男)


October 09102015

 色鳥やおざぶごと母ひつぱつて

                           山本あかね

になると色々な小鳥が渡って来る。庭木も疎らになって枝々の輪郭が露わである。あら今日はこんな鳥が庭先にと、出入りする様々に色付いた小鳥たちの観察も楽しい。こんな小鳥たちが色鳥と言はれる。居間には何時もの様に母がお茶を飲んでいる。近頃は置物の様にちゃぶ台の指定席には母が鎮座している。あら、尉鶲かしら、もうちょっと縁に寄れば母にも見える。つと衝動的に見せたい!と座布団ごと母を縁側に引きずった。背負わずとも母は軽かった。秋の空は底なしに青く明るい。他にも<たくあんをこまかくきざみ大文字><年忘いづれはみんな死ぬる顔><いもうとに薄荷パイプの赤を買ふ>と鋭く日常を切り取る。『あかね』(1995)所収。(藤嶋 務)




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