G黷ェ~句

December 03121996

 冬晴れのとある駅より印度人

                           飯田龍太

者はこの句を筑紫磐井著『飯田龍太の彼方へ』で発見(!)した。筑紫氏によれば「変な俳句」となるが、評者はこれを新種の傑作と見る。この意外性、この変なおかしみ、冬でなくてもよくて、しかし冬晴れじゃないと(なにしろ印度人だから夏じゃつまらない)おもしろくないというとり合わせの妙。龍太句のマジメな句を突き抜けている。昭和52年作。『涼夜』所収。(井川博年)


January 1812006

 行く雲の冥きも京の冬の晴

                           瀧 青佳

語は「冬(の)晴」。京都の冬晴れを言いとめて、絶妙な句だ。同じ「冬晴」とはいっても、京都のそれは東京のように明るくカーンと抜けたような雰囲気ではない。良く晴れはしても、どこかに何かが淀んでいるような恨みが残る。これを指して「行く雲の冥(くら)きも」とは、まさに至言だ。地形的な影響もあるのだろうが、京都の天気は油断がならない。私は烏丸車庫の裏手の北区に住んでいたのだが、雪の舞い散るなかを出かけて、わずか数キロしか離れていない百万遍の大学に着いてみると、まったく降っていないということがよくあった。雨についてもむろん同様で、局地的に天候がめまぐるしく変化するようである。しかし掲句は、そういうことだけを言っているのではないだろう。もう一つの雲の冥さは、多分に心理的なものだ。街全体のおもむきが、たとえば江戸を陽とすれば、京は陰である。千年の都が抱え込んできたさまざまな歴史的要因が、現代人にもそう思わせるところがあるのだ。はるか昔の応仁の乱など知るものか、関係ないよなどとは誰にも言わせない伝統の力が、京都の街には遍在している。そういうことが私には、京都を離れてみてよくわかったのだが、代々地元にある人は理屈ではなく、いわば肌身にしみついた格好になっているのだろう。作者は大阪在住だが、句集を見ると京都にも親しい人のようだ。生粋の京都人ではないだけに、京都を見る目に程よい距離と時間があって、この独特のリリシズムが生まれたのだろうと思った。『青佳句集』(2005)所収。(清水哲男)


December 22122009

 山中に沈む鐘の音師走空

                           井田良江

ろそろ年末もはっきり来週に迫り、いよいよやらねばならぬことの数々に気持ちばかりが焦っている。そんな時でも梵鐘の腹の底にこたえるような低音から、長く尾を引く余韻に包まれると、常にない荘厳な気持ちになるのだから不思議だ。良い鐘とは「一里鳴って、二里響き、三里渡る」のだという。実際どこまで聞こえるかは、都会と山里ではもちろん違うだろうが、どこであっても鐘の音色はブーメランのような形をした物体がゆるいカーブを描いて、そして掲句の通り、向こうの山の彼方へ沈み込むような消え方をする。三浦哲郎の『ユタとふしぎな仲間たち』に出てくる座敷わらしたちの「乗り合いバス」は、鐘の音の輪っかに飛び乗ることだった。小説にはコバルト色の薄べったい虹のようなものとあり、たしかに鐘の音の軌跡は空よりひと色濃い青色の帯のようだ、と合点したものだ。どこからか響く鐘の音のなかで目を凝らせば、コバルト色のブーメランに乗った座敷わらしたちが、せわしない師走の町を見下ろしているかもしれない。〈冬麗や卍と抜けるビルの谷〉〈ひかるものなべてひからせ年惜しむ〉『書屋の灯』(2009)所収。(土肥あき子)


December 13122010

 冬うらら隣の墓が寄りかかる

                           鳴戸奈菜

るで電車の座席で隣りの人が寄りかかってくるように、墓が寄りかかっている。実景であれ想像であれ、作者はその光景に微笑している。微笑を浮かべているのは、なんとなく滑稽だからという理由からではないだろう。このとき作者はほとんど寄りかかられた側の墓の心持ちになっていて、死んでもなお他人に寄りかかってくる人のありようを邪魔だとか迷惑だとかと思わずに、許しているからだと思われる。この心境は同じ句集のなかにある「冬紅葉愛を信ずるほど老いし」に通じており、老いとともに現れる特有のそれである。若ければ寄りかかってきた人を無神経だとかガサツだとかと撥ね除けたくなるのに、老いはむしろそれを許しはじめる。なにはともあれ、そんな迷惑行為ができるのも生きているからなのだと、生命の側からの思いが強くなるからなのである。それがまた、掲句では相手の墓の主は死んでまで寄りかかってきた。それを、どうして迷惑なんぞと振り払うことができようか。うららかな冬晴れのなかで、作者はしみじみと「愛」を信ずる情感に浸っている。『露景色』(2010)所収。(清水哲男)


January 2112016

 冬晴れへ手を出し足も七十歳

                           坪内稔典

晴れへ足と手を出して、ああ、自分も七十歳なのだなぁ。と感慨を込めて空を見上げる情景とともに、この「手を出し足も」が曲者だと思う。「手も足も出ない」となると。まったく施す手段がなくなって窮地に陥るという意味だが、この言葉を逆手にとって、手も足も出すのだから、なに、七十歳がどうした、これからさ、という気概が感じられる。また「手を出し」でいったん休止を入れて「足も」と音だけで聞くと、伊予弁の「あしも」と重なり。早世した子規と作者が「あしも七十歳ぞ」と唱和しているようだ。「霰散るキリンが卵産む寸前」「びわ食べて君とつるりんしたいなあ」言葉の楽しさ満載の句集である。『ヤツとオレ』(2015)所収。(三宅やよい)




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