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November 21111996

 比良初雪碁盤を窓に重ねる店

                           竹中 宏

良は、琵琶湖の西岸を南北に走る地塁山地。近江八景の比良の暮雪は名高い。商売になっているのか、なっていないのか。いつもひっそりとしている店が、初雪のなかで一層静かに小さく感じられる。窓越しに見える積み上げられた商売物が、この小さな町で生きてきた店の主人の吐息を伝えているようだ。どこか田中冬二の詩情に通うところのある世界である。作者は私の京大時代の後輩にあたるが、名前と作品は彼が高校生だったころから知っていた。すなわち、彼は十代にして「萬緑」投稿者の優等生だったということ。一度だけいっしょに中村草田男に会ったことがある。二人とも詰襟姿で、ひどく緊張したことを覚えている。俳誌「翔臨」(竹中宏主宰)26号所載。(清水哲男)


December 09122002

 はつ雪の降出す此や昼時分

                           傘 下

のところ、東京地方もぐっと冷え込んできた。もしかすると、今日あたりには、白いものが舞い降りてくるかもしれない。降れば、初雪だ。そんなことを思って「初雪」の句をあちこち探していたら、柴田宵曲の『古句を観る』(岩波文庫)で掲句を見つけた。「此」は「ころ」と読む。句は面白くも何ともないけれど、しかし宵曲の解説に、ちょっと立ち止まってしまった。曰く「読んで字の如しである。何も解釈する必要はない。こんなことがどこが面白いかという人があれば、それは面白いということに捉われているのである。芭蕉の口真似をするわけではないが、『たゞ眼前なるは』とでもいうより仕方あるまい」。私は、このページを書いていることもあって、毎日、たくさんの句を読んでいる。なかに結構、掲句のような「面白くも何ともない句」がある。そういう句に出会うと、くだらないと思うよりも、何故この人はこういう面白くもないことを書くのだろうという不思議な気持ちになることのほうが多い。宵曲の言うように、たぶん私も「面白いということに捉われている」のだろう。が、逆に面白さに捉われないで書く、あるいは読むということは、どういうことなのか。「面白さに捉われない」心根は、ある種の境地ではあると思うが、その境地に達したとして、さて、何が私に起きるのであろうか。(清水哲男)


November 17112004

 初雪も肉体もまだ日の匂い

                           柴崎昭雄

者は青森在住。青森地方気象台によれば、今年の初雪は10月27日だった。平年よりも、少し早めだろうか。ちらちらと、今年はじめての雪が舞いはじめた。空も風景も灰色に染まってはいるけれど、でも、どこかにまだ秋の名残りの明るさも感じられる。真冬のまったき鈍色の世界ではない。それを「日の匂い」と、臭覚的に捉えたところがユニークだ。雪にも日の匂いが感じられ、あまり雪らしくはなく、同時に人々の「肉体」にも、まだ雪に慣れない感覚が優先している。戦後の一時期に、俳句の世界で「身体」なる言葉が流行したことがあるけれど、あれは多分に精神性を含んだ肉体の意であった。が、掲句の場合には「カラダだけは大事にしろよ」などというときの「カラダ」の意に近いだろう。私の住む東京の人などと違って、雪国の人はみな、降雪現象に対する一種の諦念が自然に備わっているのだと思う。ジタバタしてもはじまらない、降るものは降るのだから……という具合にである。このときに、頼りになるのは「カラダ」だけなのだ。その「カラダ(肉体)」に「まだ日の匂い」を感じ取るというのは、そうはいっても「初雪」だけは別物だからに違いない。降るものは降ると覚悟を定める前の微妙な心の揺れが、この表現には滲んでいるようだ。いわば身体から肉体へと重心を移動させるときの、束の間の逡巡が巧みに詠まれていると感じた。『少年地図』(2004)所収。(清水哲男)


December 12122004

 初雪は隠岐に残れる悲歌に降る

                           野見山朱鳥

語は「初雪」。724年(神亀元年)に、公式に流刑地として定められた「隠岐」島。以来、江戸時代末期まで1000年以上にわたり、主に身分の高い政治犯が流された。有名どころでは、小野篁(小野小町の祖父)、後醍醐天皇、後鳥羽上皇がいる。前二者がしぶとくも再起を果たしたのに対して、鎌倉幕府転覆に失敗した後鳥羽上皇は、数人の側近とともに再び京の都へ帰ることを強く望みながら、崩御するまでの19年間にわたって島暮らしを余儀なくされた。彼は歌聖とも呼ばれた歌作りの名手であったから、この間に多くの歌を詠んでいる。「眺むればいとど恨みもますげおふる岡辺の小田をかへすゆふ暮」。恨みと涙と諦念と……。それらの歌からは、いまにしても深い絶望感が伝わってくる。すなわち、悲歌である。そうした悲しい歴史を持つ隠岐に、初雪が舞いはじめた。灰色の空と海を背景に舞う白いものの情景を、ずばり「悲歌に降る」と言い止めた技倆は素晴らしい。これで、俳句の寸法が時空間に大きく広がった。作者自身が、このとき歴史の中に立ったのである。上皇が見たのと同じ初雪を感じているのだ。余談ながら現在の隠岐には、後鳥羽院の歌を集めた「遠島百首かるた」があるそうである。『幻日』(1971)所収。(清水哲男)


August 0582008

 白服の胸を開いて干されけり

                           対馬康子

い空白い雲、一列に並んだ洗濯物。この幸せを象徴するような映像が、掲句ではまるで胸を切り裂かれたような衝撃を与えるのは、単に文字が作り出す印象ではなく、そこに真夏の尋常ではない光線が存在するからだろう。白いシャツの上に自ら作りだす黒々とした影さえも、灼熱の太陽のもとでは驚くほど意外なものに映る。この強烈なエネルギーのなかで、なにもかも降参したように、あるものは胸を開き、あるものは逆さ吊りにされて、からからと乾いていくのである。しかし、お日さまをよく吸って、すっかり乾いた洗濯物の匂いは格別なもの。最近発売されている柔軟剤に「お日さまの香り」というのを見つけた。早速試してみたらどことなくメロンに近いものを感じるが、お日さまといえばたしかにお日さま。それにしても太陽の香りまで合成されるようになっている現代に、ただただ目を丸くしている。〈異国の血少し入っている菫〉〈初雪は生まれなかった子のにおい〉〈死と生と月のろうそくもてつなぐ〉『天之』(2007)所収。(土肥あき子)


March 3132010

 一二三四五六七八桜貝

                           角田竹冷

んな句もありなんですなあ。どう読めばいいの? 慌てるなかれ、「ひぃふぅみ/よいつむななや/さくらがい」と読めば、れっきとした有季定形である。本人はどんなふうに詠んだのだろうか? 竹冷は安政四年生まれ、大正八年に六十二歳で亡くなった。政界で活躍した人だが、かたわら尾崎紅葉らと「秋声会」という句会で活躍したという。こういう遊びごころの句を、最近あまり見かけないのはちょっと淋しい。遊びごころのなかにもちゃんと春がとらえられている。春の遠浅の渚あたりで遊んでいて、薄紅色の小さくてきれいな桜貝を一つ二つ三つ……と見つけたのだろう。いかにも春らしい陽気のなかで、気持ちも軽快にはずんでいるように思われる。ここで、「時そば」という落語を思い出した。屋台でそばを食べ終わった男が勘定の段になって、「銭ぁ、こまけぇんだ。手ぇ出してくんな」と言って、「ひぃふぅみぃよいつむななや、今何どきだ?」と途中で時を聞き一文ごまかすお笑い。一茶には「初雪や一二三四五六人」という句があり、万太郎には「一句二句三句四句五句枯野の句」があるという。なあるほどねえ。それぞれ「初雪」「枯野」がきちんと決まっている。たまたま最新の「船団」八十四号を読んでいたら、こんな句に出くわした。「十二月三四五六七八日」(雅彦)。結城昌治『俳句は下手でかまわない』(1997)所載。(八木忠栄)


November 28112011

 初雪や父に計算尺と灯と

                           山西雅子

まどき計算尺を使う人はいないだろうから、回想の句だろう。夕暮れころから、ちらちらと白いものが舞いはじめた。初雪である。まだ幼かった作者は、雪を見て少しく興奮している。さっそく部屋で仕事をしている父に雪を告げようとしたのだけれど、彼はそのような外界の動きとは隔絶されているかのように、一心に計算尺を操っている。手元近くにまで灯火を引き寄せ、カーソルを左右に動かしながら細かい目盛りを追っている。ちょっと近寄り難い感じだ。この情景から見えてくるのは、技術畑で叩き上げられた謹厳実直な父親像であり、また真っ白い計算尺は灯影に少し色づいていて、そんな父親の胸の内を投影しているかのようにも見えている。初雪の戸外の寒さと、家の中の父親のあるかなしかの暖かみ。私の父も計算尺をよく使っていたので、この句の微妙な味は、よくわかるような気がする。「俳句」(2011年12月号)所載。(清水哲男)


December 04122011

 初雪を見てから顔を洗ひけり

                           越智越人

浜とか東京とか、関東平野に長く住んでいると、初雪というものに対する感慨はそれほどありません。朝のニュースで、「昨日は東京にも初雪が降りました」と聴いても、ああそうかと思うだけです。というのも、目を細めなければ見えないほどのかすかな降雪が、短時間あるだけだからです。でも、積雪を経験する地域の人にとっては、「初雪」というのは特別な意味を持っているのでしょう。雪の中の生活への、境目としての重要な意味があるわけです。江戸期の俳人越山が見た初雪はどちらだったのでしょう。今の生活と違って、窓のない部屋の中で洗面を済ましたのではなく、外にむき出しの縁側を通り、顔を洗ったのではないでしょうか。季節の境目としての重い「初雪」を、日常の動作の中で軽くむかえる事。そのギャップの面白さをこの句から、読み取れるのではないでしょうか。『日本大歳時記 冬』(1971・講談社) 所載。(松下育男)


December 24122011

 初雪やリボン逃げ出すかたちして

                           野口る理

が来そうな空の色や空気の匂い、さっきまでとは違う底冷え感には、なんとなくわくわくさせられる。初雪が最初で最後の雪、ということも多い東京にいるからそんな悠長なことを言っていられるのかもしれないが、この句の初雪も、そんな都会の初雪だろう。あ、雪、と見上げているうちに、街のクリスマスプレゼントを包んでいるリボンがするするとほどけて空へ空へ。舞い落ちる淡く白い雪と舞い上がる色とりどりのリボン、たくさんの人がただそれを見ている映像が浮かぶ、渋谷のスクランブル交差点あたり。いつでも逃げだせるリボン、明日は丁寧にほどかれしまわれて、次のチャンスを待つことになるのだろうか。『俳コレ』(2011)所載。(今井肖子)


December 04122012

 初雪や積木を三つ積めば家

                           片山由美子

年の初雪の知らせは北海道では記録的に遅いとされる11月18日。これから長い雪の日々となるが、「初」の文字は苦労や困難を超えて、今年も季節が巡ってきた喜びを感じさせる。雪の季節になれば、子どもの遊びも屋外から室内へと移動する。現代のように個室が確立してなかった時代には、大人も子どもも茶の間で多くの時間を費やしていた。あやとり、お手玉、おはじき、塗り絵など、どれも大人の邪魔にならないおとなしい室内の遊びを家庭は育んできた。掲句の積み木にも、家族の目が届くあたたかい居間の空気をまとっている。おそらくそれはふたつの四角の上に三角を慎重に乗せたかたち。四角柱は車になったり、円柱は人間になったりもする。人は誰にも教わることなく見立てをやってのけるのだ。初雪の静けさにふっくらとした幼な子の手の動きが美しい。『香雨』(2012)所収。(土肥あき子)




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