G黷ェJ句

November 09111996

 大阪はしぐれてゐたり稲荷ずし

                           北野平八

ある大阪は場末の町。風采のあがらない初老の男と安キャバ勤めとおぼしき若い女とが、うらぶれた食堂に入ってくる。外は雨。男が品書きも見ずに、すっと稲荷ずしを注文すると、「なんやの。こんなさぶい時に、つめたいおイナリさんやなんて」。そこで男が毅然としていうのである。「ええか、大阪はしぐれてゐたり稲荷ずし、や。な、ごちゃごちゃ言わんとけ」。「なに、それ」。「キタノヘイハチや」。「きたの……って。聞かん名前やなぁ。……ああ、おネエちゃん、ウチはアツカンや。それとタマゴ焼きと、あとはな……」。どこまでもつづきそうな大阪の時雨の夜である。『北野平八句集』所収。(清水哲男)


November 23111996

 博多場所しぐれがちなる中日以後

                           下村ひろし

分の隙もない、見事な決め技だ。上下漢字四文字の間にひらがな七文字を挟んでみせるなんぞは、確実に技能賞ものだろう。技法と中身の呼吸がぴたりと合っている。そして、情緒てんめん。芸で読ませる句のサンプルといってもよいと思う。ただし、素人がうっかりこの技に手を出すと自滅する。型がきれいなだけに、負けるとみじめさは倍になる。この句でも、どこかに作者の得意顔がちらついていなくもなく、考えるほどに難しい手法ではある。(清水哲男)


December 02121996

 手から手へあやとりの川しぐれつつ

                           澁谷 道

やとり遊びの「川」は、基本形である。いくつかのバリエーションがあって、どんな形からも簡単に「川」に戻すことができる。で、困ったときには「川」に戻して相手の出方を待つ。そうすると、相手もまた違う「川」をつくって「どうぞ」という。将棋の千日手みたいになってしまうことが、よく起きる。そのようなやりとりに、作者は時雨を感じたというのである。女の子の他愛無い遊びに過ぎないけれど、そこに俳人は女性に特有の運命を洞察しているとも読める。『素馨』所収。ちなみに「素馨(そけい)」は、ジャスミンの一種。(清水哲男)


November 22111997

 しぐるゝや駅に西口東口

                           安住 敦

の出口で待ち合わせた。そんなに大きくはない駅だから、すぐにわかるだろうという計算だった。ところが、駅に着いてみると出口が二つあって、どちらに出て待てばよいのかがわからない。こういうことは、よく起きる。いまどきの高架線の駅であれば、東口から西口を往復するのは割に簡単だが、昔風の駅ではそうもいかない。いったんどちらかの改札口を出てしまうと、反対側の出口にはなかなか行けない。入場券を買ってもう一度ホームに戻るか、あるいは近くの踏切を見つけて大回りするかしか方法がない。おりから時雨れてきたホームでの、ちょっぴり不安な思案の図……。さて、それではここはいったいどこの駅かということになるのだが、調べ魔の友人が、東京の「田園調布駅」だと突き止めてくれた。(清水哲男)


November 28111997

 ことごとく木を諳んじる時雨なり

                           穴井 太

たくて細かい雨が降りつづいている。その細かさは、一木一草をも逃さずに濡らしているという感じだ。あたかも時雨が、木々の名前をことごとく諳(そら)んじているかのようである。雨の擬人化は珍しい。逆の例では、うろ覚えで恐縮だが(したがって表記も間違っているかもしれないが)、佐藤春夫の詩にこんな一節があった。「泣き濡れた秋の女をしぐれだと私は思ふ……」。泣いている女の様子に時雨を感じているわけだが、この句の時雨擬人の性別は「男」だろう。それも「少年」に近い年齢だという気がする。『原郷樹林』(1991)所収。(清水哲男)


October 28101998

 信号の青つぎも青夕時雨

                           清水 崑

者の家から荻窪へ行く途中のバス停に、清水二丁目というのがあって、その標識に左に清水一丁目、右に清水三丁目とある。そこを通るとき、いつもこの句を思い出すのだ。作者が清水で、すべて清水だらけというのがおかしい(このインターネットの発信者も清水さんです)。ちなみに、そのすぐ近くには井伏鱒二の家があり、井伏は「清水町の先生」と呼ばれていました。河童の絵と政治マンガで知られる清水崑は文壇句会の常連で、『狐音句集』がある。この題も洒落てますね。音(おん)の「コオン」と狐の鳴き声の「コン」と「崑」。この句と句集については、車谷弘『わが俳句交遊記』で覚えた。冬の句では「古本の化けて今川焼愛し」が面白い。山から初時雨の便りが聞こえてきます。俳句では、そろそろ秋も終り。(井川博年)

[清水付記・もう三十年も前の鎌倉の飲み屋で、清水崑さんと同席したことを思い出した。仕事でもなんでもなく、たまたま店が混んでいたので、そういうことになったのだった。なにせ崑さんは著名人だったので恐縮していたら、にこにこと「同じ清水ですなあ」とおっしゃってくださり、気が楽になった。]


November 27111998

 月夜しぐれ銀婚の銀降るように

                           佐藤鬼房

婚の日の月夜に、まさかの時雨れである。その雨の糸を銀と見立てた、まことに美しい抒情句だ。このように、俳句の得意の一つは、境涯をうたうことにある。それも、人生や生活の来し方の余計なあれやこれやを可能なかぎり削り落として、辿り着いた純なる心持ちをうたうのである。このあたりが現代詩などとはまったく違った方法であり、俳句が好きになるかどうかも、一つはこうした境涯句に賛成できるか否かにかかっていると思う。現代詩とて、もとより境涯をうたうことはある。しかし、俳人と大きく異なるのは、境涯を辿り着いた地点とは見ないところだ。銀婚であれ何であれ、それらを人生や生活のプロセスとしてつかまえようとする。したがって、純なる心持ちなどは信じない。仮にそういう心持ちがあるにしても、それを極力疑おうとする。今年出た詩集に、多田智満子が境涯を書いたと言える『川のほとりに』があるが、読んでいると俳人の方法とのとてつもない落差を感じてしまう。彼女を誘ういわば「死神」は「死ぬのもなかなかいいものだよ」などと、平気で言うのである。明らかに、境涯をプロセスとして捉えている書き方だ。『地楡』(1975)所収。(清水哲男)


November 22112000

 化けさうな傘かす寺のしぐれかな

                           与謝蕪村

り合いの寺を訪ねたのだろう。辞去しようとすると、折りからの「しぐれ」である。で、傘を借りて帰ることになったが、これがなんとも時代物で、夜中ともなれば「化けさうな」破れ傘だった。この傘一本から、読者は小さな荒れ寺を想起し、蕪村の苦笑を感得するのだ。相手が寺だから、なるほど「化けさうな」の比喩も利いている。「化けさうな傘」を仕方なくさして「しぐれ」のなかを戻る蕪村の姿には、滑稽味もある。言われてみると、たしかに傘には表情がありますね。私の場合、新品以外では、自分の傘に意識することはないけれど、たまに借りると、表情とか雰囲気の違いを意識させられる。女物は無論だが、男物でも、他人の傘にはちょっと緊張感が生まれる。さして歩いている間中、自分のどこかが普段の自分とは違っているような……。「不倶戴天」と言ったりする。傘も一つの立派な「天」なので、他人の天を安直に戴(いただ)いているように感じるからなのかもしれない。ところで「しぐれ(時雨)」の定義。初冬の長雨と誤用する人が案外多いので書いておくと、元来はさっと降ってさっと上がる雨を言った。夏の夕立のように、移動する雨のことだ。曽良が芭蕉の郷里・伊賀で詠んだ句に「なつかしや奈良の隣の一時雨」とあるが、この「一時雨(ひとしぐれ)」という感覚の雨が本意である。蕪村もきっと戻る途中で雨が止み、「化けさうな」傘をたたんでほっとしたにちがいない。(清水哲男)


December 13122000

 業の鳥罠を巡るや村時雨

                           小林一茶

こここに「罠」が仕掛けられていることは、十二分に承知している。しかし、わかりつつも、吸い寄せられるように「罠を巡る」のが「業」というもの。巡っているうちに、いつか必ず罠にかかるのだ。大昔のインド宗教の言った「因果」のなせるところで、なまじの小賢しい知恵などでは、どうにもならない。なるようにしかならぬ。折りからの「時雨」が、侘びしくも「業」の果てを告げているようではないか。前書に「盗人おのが古郷に隠れ縛られしに」とある。したがって、この「鳥」は悪事を重ねた盗人に重ねられている。逃亡先に事欠いて、顔見知りのいる「古郷に隠れ」るなどは愚の骨頂だが、それが「業」なのだ。現代でも、郷里にたちまわって「縛られ」る者は、いくらでもいる。作句のときの一茶は「古郷」に舞い戻っており、わずか四百日の命で逝った娘のサトをあきらめきれずに、悲嘆のどん底にあった。だから、掲句では盗人が「鳥」というよりも、本当はおのれが「業の鳥」なのだ。おのれの「業」の深さが可愛いサトの命を奪い、因果で自分も「業」に沈むことになった。そういうことを、言っている。だが、このような後段の事情を知らなくても、掲句は十分に理解できるだろう。また「業」という考え方に共鳴できなくても、句が発するただならぬ気配に、ひとりでに吸い寄せられてしまう読者も多いだろう。一茶にも、このような句があった。(清水哲男)


October 25102005

 しぐるるや船に遅れて橋灯り

                           鷹羽狩行

語は「しぐるる(時雨るる)」、「時雨」に分類。冬の季語だが、晩秋を含めてもよいだろう。昔の歌謡曲に「♪どこまで時雨ゆく秋ぞ」と出てくる。作者はおそらく、海峡近くのホテルあたりから海を見ているのだ。日暮れに近い外はつめたい時雨模様で、遠くには灯りをつけた船がゆっくりと動いている。と、近景の長い橋にいっせいに明りが灯った。時雨を透かして見える情景は、まさに一幅の絵のように美しい。しばし陶然と魅入っている作者の心持ちが、しみじみと伝わってくる句だ。言うなれば現代の浮世絵であるが、絵と違って、掲句には時間差が仕込まれている。何でもないような句だけれど、巧いなあと唸ってしまった。「しぐるる」の平仮名表記も効果的だ。この句を読んでふと思ったことだが、橋に明りが灯るようになったのはいつごろからなのだろうか。明治期の錦絵を見ると、日本橋に当時の最先端の明りであるガス灯が灯っていたりする。しかし通行人はみな提灯をさげていて、そのころの夜道の暗さがしのばれるが、これは実用と同時にライトアップ効果をねらった明りのようにも思える。ガス灯以前の橋の上が真っ暗だったとすると、月の無い夜、大川あたりの長い橋を渡るのはさぞや心細かったに違いない。まして、時雨の夜などは。俳誌「狩」(2005年11月号)所載。(清水哲男)


November 18112006

 大仏の屋根を残して時雨けり

                           諸九尼

句を始めて新たに知ったことは多い。十三夜がいわゆる十五夜の二日前でなく、一月遅れの月であることなどが典型だが、さまざまな忌日、行事の他にも、囀(さえずり)と小鳥の違いなど挙げればきりがない。「時雨」もそのうちのひとつ、冷たくしとしと降る冬の雨だと漠然と思っていた。実際は、初冬にさっと降っては上がる雨のことをいい、春や晩秋の通り雨は「春時雨」「秋時雨」といって区別している。「すぐる」から「しぐれ」となったという説もあり、京都のような盆地の時雨が、いわゆる時雨らしい時雨なのだと聞く。本田あふひに〈しぐるゝや灯待たるゝ能舞臺〉という句があるが、「灯(あかり)待たるゝ」に、少し冷えながらもさほど降りこめられることはないとわかっている夕時雨の趣が感じられる。掲句の時雨はさらに明るい。東大寺の大仏殿と思われるのでやはり盆地、時雨の空を仰ぐと雲が真上だけ少し黒い雨雲、でも大仏殿の屋根はうすうすと光って、濡れているようには思えないなあ、と見るうち時雨は通り過ぎてしまう。さらりと詠まれていて、句だけ見ると、昨日の句会でまわってきた一句です、と言っても通りそうだが、作者の諸九尼(しょきゅうに)は一七一四年、福岡の庄屋の五女として生まれている。近隣に嫁ぐが、一七四三年、浮風という俳諧師を追って欠落、以来、京や難波で共に宗匠として俳諧に専念し、浮風の死後すぐ尼になったという、その時諸九、四十九歳。〈夕がほや一日の息ふつとつく〉〈一雫こぼして延びる木の芽かな〉〈けふの月目のおとろへを忘れけり〉〈鶏頭や老ても紅はうすからず〉繊細さと太さをあわせもつ句は今も腐らない。『諸九尼句集』(1786)所収。(今井肖子)


November 13112007

 靴と靴叩いて冬の空青し

                           和田耕三郎

の空はどこまでも青い。右足と左足の靴を両手に持って、ぽんと叩いて泥を落とす。この日常のなにげない行為の背景には、晴天、散歩、健康、平和と、どこまでも安らかなイメージが湧いてくる。童謡では「おててつないで野道を行けば(中略)晴れた御空に靴が鳴る」と跳ねるような楽しさで歌われ、「オズの魔法使い」ではドロシーが靴のかかとを三回鳴らしてカンザスの自宅に無事帰る。どちらも靴が音を立てる時は「お家に帰る」健やかなサインであった。本書のあとがきで、作者は2004年に脳腫瘍のため手術、翌年再発のため再手術とあり、二度の大病を経て、現在の日々があることを読者は知ってしまう。青空から散歩や健康が、乾いたペンキのようにめくれ上がり、はがれ落ち、まだらになった空の穴から、もっと静かな、献身的な青がにじみ出てくる。作者は靴を脱ぎ、そこに戻ってきた。真実の青空はほろ苦く、深い。〈拳骨の中は青空しぐれ去る〉〈空青し冬には冬のもの食べて〉『青空』(2007)所収。(土肥あき子)


January 0112008

 妻よ天井を隣の方へ荒れくるうてゆくあれがうちの鼠か

                           橋本夢道

けましておめでとうございます。末永くよろしくの思いとともに、自由律の長〜い一句を掲句とした。子年にちなんで、ねずみが登場する句を選出してみたら、あるわあるわ150以上のねずみ句が見つかった。以前猫の句を探したときにもその数に驚いたが、その需要の元となるねずみはもっと多いのが道理なのだと納得はしたものの、現代の生活ではなかなか想像できない。しかし、〈長き夜や鼠も憎きのみならず 幸田露伴〉、〈新藁やこの頃出来し鼠の巣 正岡子規〉、〈鼠にジヤガ芋をたべられて寝て居た 尾崎放哉〉、〈しぐるるや鼠のわたる琴の上 与謝蕪村〉、〈寒天煮るとろとろ細火鼠の眼 橋本多佳子〉などなど、それはもう書斎にも寝室にも台所にも、家でも外でもそこらじゅうに顔を出す。どこにいても決してありがたくない存在ではあるが、あまりに日常的なため、迷惑というよりも「まいったなあ」という感じだ。掲句の屋根の上を走るねずみの足音にもにくしみの思いは感じられない。荒々しく移動していくねずみに一体なにごとが起きたのか、天井を眺めて苦笑している姿が浮かぶ。おそらく呼びかけられた妻も、また天井裏続きのお隣さんもおんなじ顔をして天井を見上げているのだろう。『橋本夢道全句集』(1977)所収。(土肥あき子)


July 0872008

 夏ぐれは福木の路地にはじまりぬ

                           前田貴美子

ぐれは、夏の雨、それも「ぐれ=塊」と考えられることから、スコールを思わせる勢いある雨をいう。潤い初めるが語源という「うりずん」を経て、はつらつと生まれたての夏を感じる「若夏(ワカナチ)」、真夏の空をひっくり返すような「夏ぐれ(ナチグリ)」、そしてそろそろ夏も終わる頃に吹く「新北風(ミイニシ)」と季節は移る。うっかりすると盛夏ばかり続くように思える沖縄だが、南国だからこそ豊かで魅力的な夏の言葉の数々が生まれた。福木(フクギ)もまた都心では聞き慣れない樹木だが、沖縄では街路樹などにもよく使われているオトギリソウ科の常緑樹である。以前沖縄を旅していると、友人が「雨の音がするんだよ」と福木の街路樹を指さした。意識して耳を傾ければ、頑丈な丸い葉と葉が触れ、パラパラッというそれは確かに降り始めの雨音に似ていた。わずかな風でも雨の音を感じさせる木の葉に、実際に大粒の雨が打ち付けることを思えば、それはさぞかし鮮烈な音を放つだろう。激しい雨はにぎやかな音となって、颯爽と路地を進み、さとうきび畑を分け、そしてしとどに海を濡らしている。〈若夏や野の水跳んで海を見に〉〈我影に蝶の入りくる涼しさよ〉〈甘蔗時雨海をまぶしく濡らしけり〉跋に同門であり、民俗学に精通する山崎祐子氏が、本書に使用されている沖縄の言葉についてわかりやすい解説がある。『ふう』(2008)所収。(土肥あき子)


November 04112009

 汽車道と国道と並ぶ寒さ哉

                           内田百鬼園

車道とはレトロな呼び方である。今なら「鉄道」とか、せいぜい「電車道」だろう。私などは幼い頃から呼びなれた「汽車道」という言葉が、ついつい口をついて出ることがある。だって高校通学では「汽車通(つう)」という言い方をしていたのだから。汽車ではなく、車輛不揃いな田舎の電車で通う「汽車通」だった。掲出句における作者内田百鬼園先生の位置は国道にいてもいいわけだが、ここは電車ではなくて汽車に乗っていると思われる。旅を頻繁にして「阿房列車」シリーズの傑作がある内田百鬼園であり、しかも明治四十二年の作だから、ここは汽車に乗っているとしたほうが妥当であろう。車内は暖房が少々きいていたか否か、いずれにせよ外の寒さに比べればましである。鉄道と国道が不意に寄り添う場所があるものだ。あれは妙におかしさを覚える。国道を寒そうに身を縮めて歩いている人を、車窓から眺めているのだろうか。あるいは人影はまったくないのかもしれない。車中の人は旅の途中であり、寒々とした田舎の風景が広がっているのだろう。汽車道と国道とが身を寄せ合っていることで、いっそう寒さが強く感じられる。「汽車道」という響きも寒さをいや増してくる。内田百鬼園は岡山一中(第六高等学校)時代に、国語教師・志田素琴に俳句を学んだ。掲出句は「六高会誌」に発表された。同年同誌に発表された句に「この郷の色壁や旅しぐれつつ」「埋火や子規の句さがす古雑誌」などがある。『百鬼園句帖』(2004)所収。(八木忠栄)


November 28112009

 人々をしぐれよ宿は寒くとも

                           松尾芭蕉

日、十一月二十八日は陰暦では十月十二日。ということは芭蕉の忌日、と「芭蕉句集」を読んでみた。初冬の雨ならなんでも時雨というわけではない、高野素十の〈翠黛(すいたい)の時雨いよいよはなやかに〉の句にあるように、降ってはさっと上がり、日が差すこともあるのが時雨、東京では本当の時雨には出会えない、と言われたことがある、え〜そんなと思ったがそうなのだろうか。一方、芭蕉と時雨というと挙げられる、宗祇の〈世にふるもさらにしぐれの宿りかな〉のしぐれは、冷たく降る無情の雨という気がするが、いずれにしても、強く太く降る雨ではないのだろうという気はする。掲出句を読んだ時、寒くてもさらにしぐれよとは、と思ったが、解説には「ここに集まった人々に時雨して、この集いにふさわしい侘しい趣をそえよの意」とある。雨風をしのげれば十分というその頃の宿、寒ければ寒いまま、静かに時雨の音を聞いていたのだろう。「芭蕉句集」(1962・岩波書店)所載。(今井肖子)


October 16102013

 来るわ来るわ扱(こ)くあとへ稲を引担(ひつかつ)ぎ

                           泉 鏡花

々稲刈りは機械化し、時期も早くなっているようだ。だから、今の時期はもう晩稲もとっくに米粒となっておさまっているだろう。しかし、あの鏡花にしてこの滑稽味あふれる一句を、ここでとりあげておきたい。「扱く」は「脱穀」のことで、機械が籾を扱く。「稲扱き」とも呼ばれる。掲句は稲扱きの作業風景を詠んでいる。私などは農家の子として、田植えに始まって、稲刈り、稲扱きまで手伝わされたから、この句にはどうしても心が寄ってしまう。作業場に高く積み上げられた稲が、脱穀機のそ脇に次々に運ばれてくる。脇に立ってそれを脱穀械で扱く父親に一束ずつ突き出すのが、私の役割だった。機械から撒きあがる細かい稲塵が首のあたりから入るから、チクチクしてたまらなくせつない。でも稲の山はなかなか減らない。夜の作業だとチクチクするやら眠いやら。「来るわ来るわ」に始まって、「引担ぎ」で止めるまで、鏡花にしては滑稽味あふれる描写である。「引担ぎ」に作業のリアリティーがこめられていて、しかも可笑しさが感じられる表現だ。つい自分の子どもの頃のしんどかった作業経験を重ねてしまったけれど、今は田んぼで機械が稲を刈り取り、一挙に籾にして袋詰めしてしまう。あの忘れもしないチクチクは、今や昔のモノガタリ。鏡花には他に「片時雨杉葉かけたる軒暗し」がある。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)


October 20102013

 樹も草も時雨地に呼ぶ峡の国

                           飯田龍太

の読みは、キョウ。山あいにはさまれた谷で、作者が住む山梨県、旧境川村です。山から谷の斜面にかけて、樹が草が、垂直を志向しながら生えていて、谷間に続いています。「時雨地に呼ぶ」とは何なのだろうかと考えております。何が呼ぶのか。ふつうに読めば、樹も草も時雨を地面に呼んでいる、でよいのでしょう。ただ、この句は、「峡の国」が地形としてダイナミックなので、地球規模の大きな構想で読んでみたいとも思います。樹の根も草の根も地球の中心を志向しており、時雨も同様、地球の引力に引き寄せられて落下しています。何が呼んでいるのか。それは、地球の中心、重力が呼んでいて、峡の国ではその垂直の力が視覚化されやすいのでしょう。「地」は重力と読みました。物質に質量を与えるヒックス粒子が報道されていて、全く理解できていないのですが、すこしばかり俳句の読みに影響しているかもしれません。『春の道』(1971)所収。(小笠原高志)


November 06112013

 モカ飲んでしぐれの舗道別れけり

                           丸山 薫

ごろの時季にサッと降ってサッとあがる雨が「しぐれ(時雨)」である。「小夜時雨」「月時雨」「山めぐり」他、歳時記には多くの傍題が載っている。それだけ日本人にとって身近な天候であり、親しまれている季語であるということ。しぐれは古書にもあるように「いかにももの寂しく曇りがちにして、軒にも雫の絶えぬ体……」(『滑稽雑談』)といった風情が、俳句ではひろく好まれるようで、数多く詠まれている。丸山薫には俳句は少ないようだが、「モカ」にはじまって「しぐれ」「舗道」とくるあたり、どこかロマンを感じさせる道具立てである。詠まれている通り、何やら長時間モカコーヒーを飲みながら話しこみ、しぐれで濡れている舗道で淋しく別れたのである。若い男女であろう。題材も詠み方もとりたてて変哲がある句とは言えないけれど、これはこれでさらりと詠まれていてよろしいではないか。「モカ」というと、どうしても寺山修司の歌「ふるさとの訛りなくせし友といてモカ珈琲はかくまでにがし」を避けて通れない。芥川龍之介の句に「柚落ちて明るき土や夕時雨」がある。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)


October 24102014

 田鴫鳴く眠れぬ夜の畦歩き

                           西谷 授

鴫は冬に向かって旅鳥として渡来し、水田跡、蓮田、湿地等で捕食する。ふだん日中は草陰、稲の切株の脇にじっとしている。安全な場所では日中も餌をとるが普通は夕方頃から土の中に長いくちばしを突っ込んでミミズや昆虫をあさる。日常の諸事に患って眠れぬ夜がやってきた。胸に響くざわざわとした喧騒を静めるべく一人外へ出る。土手へ出る畦道を歩いていると恐ろしいほど淋しくなる。傍らに何に怯えたか田鴫が鳴きだした。「お前も俺とおなしだな」と作者はつぶやきつつ歩く。他に<大和路の稲架それぞれに小糠雨><居眠りの猫見張りをる大根干し><時雨るるや母の傘追ふ赤い傘>など在り。『鄙歌』(2002)所収。(藤嶋 務)


December 15122014

 名画座の隣は八百屋しぐれ来る

                           利普苑るな

学に入った年(1958年)は、宇治に下宿した。まだ戦後の色合いが濃く滲んでいた時代である。宇治は茶どころとして、また平等院鳳凰堂の町として昔から有名だったが、時雨の季節ともなると、人通りも少なく寂しい町だった。町に喫茶店は一軒もなく、ミルクホールなる牛乳屋のコーナーがあるだけだった。この句は、そんな宇治のころを思い出させてくれる。暮らしたのは宇治橋の袂からすぐの県通りで、私の下宿先から三十メートルほど離れたところに、名画座ではないが小さな映画館があった。隣がどんな建物だったかは覚えていないけれど、下宿の前が豆腐屋、その隣辺りに風呂屋があったといえば、この句の世界とほぼ同じようなたたずまいだ。句は町の様子をそのまんまに詠んだものだが、こうした句は、時間が経つほどにセピア調の光沢が増してくる。俳句ならではのポエジーと言ってよいだろう。なお、作者名「利普苑るな」は「リーフェン・ルナ」と読ませる。『舵』(2014)所収。(清水哲男)


December 26122014

 正月は留守にする家鶲来る

                           小川軽舟

月の留守は実家への帰郷とか連休利用の旅行など普段の生活拠点を離れる事が多くなる。十月を過ぎる頃にはそんな正月の予定をあれこれ立てる。ふいと「ヒッヒッ」と火打石を打つ音に似た鳥の鳴き声が聞えた。尉鶲(ジョウビタキ)である。例年通り渡来し例年通りわが家の庭木に止まった。そんな律義さがこの鳥にはある。オスは赤褐色の腹部や尾が鮮やかで翼の黒褐色とそこにある白い斑点がしゃれている。よく目に留まる高さに飛びまわるので目につきやすい。今年もやって来たなと安心しつつも人は自らの旅の準備に思いをはせる。旅は良い、心細くなるような冬の旅が良いと飽食の都会生活にこころ腐らせた身には思えるのである。他に<初冬や鼻にぬけたる薄荷飴><しぐるるや近所の人ではやる店><綿虫のあたりきのふのあるごとし>などあり。「俳句」(2013年2月号)所載。(藤嶋 務)


November 25112015

 炭はぜる沈黙の行間埋めている

                           藤田弓子

のように「炭はぜる」場面は、私たちの日常のなかで喪われつつある光景である。炭は生活のなかで必需品だった。質の悪い炭ほどよくはぜたものだ。パチン!ととんでもない音と火の粉を飛ばしてはぜる、そんな場面を何度も経験してきた。火鉢の炭だろうか。ひとり、あるいは二人で火鉢をはさんで、炭が熾きるのを待ちながら、しばしの沈黙。炭のはぜる音だけが沈黙を破る。「沈黙の行間」という表現はうまい。その場のひと時を巧みにとらえた。その「行間」の次にはどんな言葉が連ねられたのだろうか。月一回開催の「東京俳句倶楽部」で、弓子は「チャーミングな人達との会話を愉しみ、おいしいお酒を愉しむ」そうだ。ハイ、俳句の集まりはいつでもそうでありたいもの。酒豪で知られる女優さんである。「生涯の伴侶とも言いたいほど、俳句に惚れている」ともはっきりおっしゃる。他に「秋深し時計こちこち耳を噛む」「時雨きて唐変木の背をたたけ」などがある。俳号は遊歩。「俳句αあるふぁ」(1994年7月号)所載。(八木忠栄)


December 13122015

 冬空は一物もなし八ヶ岳

                           森 澄雄

書に、「甲斐より木曽灰沢へ 十句」とある中の四句目です。二句目に「しぐれより霰となりし山泉」があります。山あいの泉を訪ねているとき、しぐれは霰に変わり、寒さの実感が目にもはっきり見える趣きです。この二句目は、しぐれ、霰、泉という水の三つの様態を一句の中に盛り込んでいて、掲句の「一物もなし」に切れ味を与えています。諏訪盆地あたりから見た八ヶ岳でしょうか。独立峰ではなく連山を下五に置くことで、広角レンズで切り取ったような空の広さを提示しています。この冬空は、水気が一切ない乾燥した青天です。ところで、当初は七句目の「山中や雲のいろある鯉月夜」を取りあげるつもりでしたが、単独で読むと句意も季節もはっきりしないので、断念しました。「鯉月夜」は、たぶん造語です。木曽谷の山中に移動して、月夜の空を見上げると、雲の色彩によって、それが鯉の鱗のように見えたということでしょうか。鯉の養殖が盛んな土地でもあるので、今宵の食卓に鯉こくを期待する心が、雲を鯉に見立てさせたのか。恋しいに掛けたわけではないでしょうが、鯉月夜という語が食欲と結びついた風景なら、茶目っ気があります。なお、十句目の「やや窶(やつ)れ木曽の土産に山牛蒡(ごぼう)」以外は叙景の句なので、鯉こくを食べながら月夜を見ているのではなさそうです。と、ここまで書いて、「ちょっと待ってちょっと待ってお兄さん」という声が聞こえてきました。「鯉月夜」とは、池の水面に雲と月が映り込んでいるその下で、鯉がひっそり佇んでいる。そんな写生のようにも思えてきました。宿の部屋から池の三態を眺めているならば、これも旅情でしょう。『鯉素』(1977)所収。(小笠原高志)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます