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November 04111996

 萩ひと夜乱れしあとと知られけり

                           小倉涌史

い風の吹き荒れた翌朝、普段は地味で清楚な花の姿も、さすがに乱れに乱れたままの風情である。ただ、それだけのこと。……と、この句を読み終える人は、まず、いないだろう。萩の姿を女性のそれに重ねるようにして、人間臭く読みたくなってしまう。作者の計算はともかくとしても、俳句そのものの力が、そのような方向に読者を誘惑するのである。そしてもちろん、この場合、作者はその力をよく知っている。『落紅』所収。(清水哲男)


April 1041997

 あをあをと空を残して蝶分れ

                           大野林火

みあって舞いのぼった蝶が、空中でパッと二つに分れたのだ。その後の青空の美しさ。大野林火の耽美的傾向を代表する作として知られるこの句は、昭和16年作、句集『早桃』に収められている。同じ16年作に、「瓶の芒野にあるごとく夕日せり」という句もあるが、いずれも単純な構図の中に作者の美意識がよく顕れている。こうした句からも分るように、林火は自他共に許す抒情派であるが、句作とともに文章をよくし、随筆集『行雲流水』評論集『近代俳句の観賞と批評』など句集以外の著作も多い。明治37年生れ、臼田亜浪門。昭和21年、俳誌「濱」創刊主宰、同53年、俳人協会会長就任。同57年8月21日没。「先師の萩盛りの頃やわが死ぬ日」が辞世の句。先師は亜浪。(大串章)


October 27101997

 萩のほかの六草の名の重たけれ

                           加藤鎮司

の七草のうちで萩以外の名前は重たいというのだが、どうだろうか。「そんなことはない」だとか「やっぱりそう思う」だとかと話題になったら、この句の勝利だ。七草を読んだ句は少なく、なかなかよいものがない。それはそうだろう。七種類もの花々をひとつのイメージとして提出するなんて至難の技である。句会でこんな題が出たら往生しそうだ。そこで作者のように裏技を使うことになる。似たようなコンセプトでは、鈴木真砂女に「秋七草嫌ひな花は一つもなし」がある。なアるほど……。ちなみに秋の七草は『万葉集』の山上憶良の歌「秋の野に咲きたる花を指(および)折りかき数ふれば七種(ななくさ)の花」「萩の花尾花葛花瞿麥(なでしこ)の花女郎花また藤袴朝貌の花」に由来している。このなかの「朝貌」は桔梗(ききょう)とするのが定説である。(清水哲男)


September 2191999

 一家に遊女もねたり萩と月

                           松尾芭蕉

の『おくのほそ道』のなかでの唯一の色模様。というほどでもないけれど、田舎わたらいをする遊女と同宿したエピソードは、この旅行記を大いに盛り上げている。「一家」は「ひとつや」。田舎(市振)の宿だから、隣室の会話は筒抜けだ。芭蕉が「枕引よせて」寝ていると、次の間から遊女の哀れな身の上話が洩れ聞こえてきてしまう。翌朝、出発しようとしている芭蕉と曾良にむかって、彼女は心細いので「見えがくれにも御跡をしたひ侍ん」と頼み込むのだが、この後の芭蕉の返事が格好よい。「我々は所々にてとゞまる方おほし。只(ただ)人の行(ゆく)にまかせて行(ゆく)べし。神明の加護かならず恙(つつが)なかるべし」と、クールにも断っている。そうは言ったものの「哀さしばらくやまざりけらし」と書いた芭蕉の得意や、思うべし。このシチュエーションのなかでの、この句である。世間を捨てた者同士が、寄り添うこともなく別々に流れていくという美学。それはまさに「萩」と「月」のように、同じ哀調をかもし出しながらも、ついに触れあうこともない関係に相似している。蛇足ながら(御存じとは思うが)、遊女とのこの話がフィクション(真っ赤な嘘)であったことは、多くの野暮な研究者たちが立証ずみである。(清水哲男)


November 04112000

 萩の野は集つてゆき山となる

                           藤後左右

校の数学の時間に、「演繹(deduction)」「帰納(induction)」という考え方を習った。掲句は四方から「萩の野」が傾斜面をのぼっていき、それらが集まって「山」になったと言うのだから、典型的な帰納法による叙景である。かつての「ホトトギス」で、中村草田男と並び称された藤後左右(とうご・さゆう)の技ありの一句だ。当時の俳人たちを驚かせた一句だと、山本健吉が書いている。そう言われて見回してみると、俳句は演繹による作句法が圧倒的に多いことに気がつく。演繹法は前提をまず認めなければ話にならないので、前提の正しさを保証するために、たとえば有季定型なる約束事があったりする。なかでも季語は、演繹的作法になくてはならない保証書のようなものだ。人々が掲句に驚いたのは、彼がこの保証書を無意識にもせよ引き裂いているからだろう。たしかに、「萩」なる季語は存在する。しかし、ここで「萩」は他の季語とどのようにでも交換可能だ。「菊」でもよいし「百合」でもよろしい。すなわち、左右の「萩」は演繹法における絶対の前提ではなく、帰納法での特殊な前提の位置にある。具体例をあげるまでもなく、名句の季語は絶対であり動かせない。掲句には誰でもが「なるほど」と感心はするけれど、それ以上に感情移入できないのは、このように絶対の前提を欠いているからである。たしかに技はあるが、実がない。とまあ、せっかくの三連休中に屁理屈をこねまわして御迷惑かと思うが、俳句という文芸様式を考える上では、こんな感想も一興かと……。『熊襲ソング』所収。(清水哲男)


October 20102002

 萩の家わずかな水を煮ていたり

                           下山光子

冠に秋と書いて「萩」。古来、秋を代表する花とされてきた。『枕草子』に「萩、いと色深う枝たをやかに咲きたるが、朝露に濡れてなよなよと広ごり伏したる……」とあるように、凛とした姿ではない。「たをやか」「なよなよ」とした風情が、この季節のどことなく沈んだような空気に似合うのである。そんな萩を庭や垣根に咲かせている家は、たとえば薔薇の庭を持つ家などとは違って、とてもつつましく写る。住んでいる人を知らなくても、暮らしぶりまでもがつつましいのだろうと思われてくる。作者もまた、単に通りがかっただけなのだろう。「煮ていたり」とは書いているが、実際に台所を見たのではなく、つつましやかな「萩の家」の風情から来た想像だと、私には読める。こういう家では、こういうことが行われているのが相応しいとイメージして、詠んだのだと思う。水はふつう「煮る」とは言わず、「沸かす」と言う。が、そこをあえて「煮る」と言ったのは、「沸かす」の活気を押さえたかったからに違いない。「わずかな水」なのだから、この人は一人暮らしだ。自分のためだけの水を、ひとりひっそりと煮ている姿を想像して、作者は「萩の家」の風情に、いつそうの奥行きを与えたのである。『句読点』(2002)所収。(清水哲男)


October 09102003

 地図に見る明日行くところ萩の卍

                           池田澄子

語は「萩」で秋。原句には仮名が振ってあるが、さて、この「卍」を何と読むか。国語辞書的に読めば「まんじ(意味は万字)」で、それ以外の読み方はない。「梵語 svastika ヴィシュヌなどの胸部にある旋毛。功徳円満の意。仏像の胸に描き、吉祥万徳の相とするもの。右旋・左旋の両種があり、わが国の仏教では主に左旋を用い、寺院の記号などにも用いる[広辞苑第五版]。というわけで、作者は「てら」と読ませている。なるほど、句の「卍」は漢字じゃなくて地図記号だから、逆に「まんじ」と読んでは変なのだ。と、気がついてにやりとさせられる。そういえば、地図は記号だらけである。いや、地図の全ては記号でできている。作者のように、ふだん私たちは何気なく地図を使っているけれど、そう思うと、相当に高度なことをやっているわけだ。小学校の低学年くらいまでは、まず地図を見ても何が何だかわからないだろう。でも、かくいう私が、それではどのくらい地図記号を知っているかというと、およそ160種あると言われる記号の半数も知らない。掲句に好奇心を触発されて、調べてみてがっかりした。いい加減に覚えているものも多い。たとえば学校を表す記号は「文」であるが、この「文」を○で囲った記号もある。どう違うのかを、ついさっきまで知らなかった。単に「文」とあれば小中学校を示し、○囲いは高等学校を示すのだそうだ。全ての記号には根拠があり、「卍」や「文」などには誰にでもうなづけるそれがある。しかし、なかには見当もつかないのがあって、×の○囲いは警察記号だけれど、この根拠は那辺にあるのだろうか。こんなところにお世話になっちゃいけませんぞ。みたいにも感じられるが、まさかねエ。ちなみに「卍」が地図に登場したのは、1888年のことだという。俳誌「豈」(2003年10月・37号)所載。(清水哲男)


October 12102005

 萩咲て家賃五円の家に住む

                           正岡子規

語は「萩」で秋。前書きに「我境涯は」とある。すなわち、「自分の境涯は、まあこんなところだろう」と、もはや多くを望まない心境を述べている。亡くなる五年前の句だ。一種の諦観に通じているのだが、何となく可笑しい。もちろん、この可笑しさは「家賃五円」というリアリスティックな数字が、とつぜん出てくることによる。「萩咲て(はぎさいて)」と優雅に詠み出して、生活に必要な金銭のことが具体的に出てくる変な面白さ。坪内稔典の近著『柿喰ふ子規の俳句作法』(2005・岩波書店)を読んでいたら、「子規俳句の笑いの基本形は、見方や感じ方のずらしが伴う」と書いてあり、私もその通りだと思った。それも企んだ「ずらし」ではなくて、自然にずれてしまうところが面白い。同書にも書かれているが、子規の金銭感覚はずっと若いときに比べると,この頃は大いに様子が違っている。漱石の下宿に転がり込んでいたころには、「人の金はオレの金」みたいにルーズだったのが、晩年には逆に合理的な考え方をするようになった。掲句の「五円」は切実な数字だったわけで、だからこそ句に書いたのだが、しかし境涯をいわば経費で表現するのは並みの感覚ではないだろう。そう言えば、みずからの墓碑銘(案)の最後に「月給四十円」と記したのも子規であった。稔典さんによれば「その月給で一家を支えている子規のひそかな誇りが示されている」ということであり、これまたその通りであろうとは思うのだけれど……。高浜虚子選『子規句集』(1993・岩波文庫)所収。(清水哲男)


August 2182010

 白萩の一叢号泣の代り

                           恩田侑布子

元の『新日本大歳時記』(1999・講談社)の「萩」の項に、「日本人の自然観には、見る側の感情を仮託するものが、色濃く投影している」(高橋治)とある。そして、萩は多くの詩人たちに様々な感情を仮託されるものとして愛されてきた、とも。この作者の同じ句集に〈どこからか来てひとりづつ萩あかり〉という句があるが、揺れ咲いて散りこぼれる萩の風情を感じさせる一句と思う。それに比べて掲出句の、号泣、には驚かされ、大声を上げて泣くほどの悲しみがあったのか、と思ったが、だんだんそうではない気がしてきた。あふれるように光る一叢の白萩と対峙した作者は、一瞬にして白萩の存在感をつかみ取る。それは、感情の仮託、を越えて、まるで白萩とひとつになってしまったかのようだ。この号泣には、喜怒哀楽とは別のほとばしりが感じられる。原句は一叢(ひとむら)にルビ。『空塵秘抄』(2008)所収。(今井肖子)


April 2742011

 椎若葉楓若葉も故園かな

                           円地文子

や楓にかぎらず、すがすがしい若葉の季節である。季節が生まれかわり、自然だけでなく身のまわりのものすべてが息づく季節でもある。「故園」という呼び方は古いけれど、「故郷/ふるさと」を意味する。人工的な要素がまだ加わらないままの姿が残されているふるさと、というニュアンスが感じられる。破壊の手がまだ及んでいないふるさとで、椎や楓その他がいっせいに若葉を広げつつあったのだろう。この時季、いろいろな植物の若葉が詠まれる。季語には「山若葉」「谷若葉」「森若葉」など、場所をあらわす若葉もある。また若葉の頃の天候を「若葉晴れ」とも呼ぶそうだ。文子は東京生まれで、かつて「国語学者・上田万年の次女」という紹介のされ方をよくされた時代があった。けれども、今や上田万年も遠い存在になってしまったし、女流作家・円地文子を知らない人さえ少なくない。文子が残した俳句は少ないが、女流作家のなかでも、網野菊、中里恒子、森田たま、吉屋信子たちは多くの俳句を詠んだ。なかでも、信子は本格的に俳句を作り、「ホトトギス」にも加わったことがあった。文子には他に「のびたたぬ萩のトンネル潜りいづ」がある。室生犀星の「わらんべの洟もわかばを映しけり」は忘れがたく可愛い。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)


January 1912014

 市振や雪にとりつく波がしら

                           高橋睦郎

振(いちぶり)は、新潟県糸魚川市の市振海岸。芭蕉の「奥の細道」では、ここの旅籠に一泊し、「一家に遊女もねたり萩と月」の句が残されています。冬の日本海の空は鉛色で、海も暗い灰色です。モノトーンの中の風雪は荒々しく、雪は縦に、横に、斜めに、左右に、錯綜しながら降り続けています。冬の海の全景は、一つの大きな波の音にまとめることができ、上五のbu、下五のgaといった濁音で構成された音でしょう。それは、初めのうちは襲いかかってくるような恐ろしい音ですが、そのような恐怖もしばらく佇んでいると慣れてきて、心を洗い流す禊ぎのように作用します。波の音に全身を没入しているうちに、詩人は「波がしら」を凝視し始めます。これが、「雪にとりつく」獰猛な生き物に見えてくる。波がしらは、雪にとりつくゆえ、それをのみ込み一瞬白いのか。実相観入。なお、「市振」の「ふる」と「雪」が縁語的につながっているのも、短歌をよくする詩人の技です。また、「とりつく」という擬人法によって、無生物の叙景の中に生き物が立ち現れています。他に、「面白う雪に暮れたる一日かな」。『稽古飲食』(1988)。(小笠原高志)




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