G黷ェRXX句

October 29101996

 コスモスや今日殺される犬の声

                           國井克彦

常の不安の象徴的表現。そう読んでもよいのだが、これは実景である。場所は、韓国。昔、我が国の農家が飼い鶏を潰して客にご馳走したように、あちらでは食用の犬を潰して食卓に乗せるのが、最高のもてなしだった。この初秋、作者の訪れた家ではその風習が生きていて、到着するや「ご馳走しましょう」ということになった。コスモスの咲き乱れる庭の犬舎では「殺されるための」数頭の犬が鳴いている。夕食の犬料理は美味だったそうだが、帰国した今でも、そのときの犬の声が耳について離れないという。國井克彦は詩人。(清水哲男)


September 1891997

 電車の影出てコスモスに頭の影

                           鈴木清志

く晴れた日の郊外の駅。少し肌寒いので、いま下りた電車の影から日向のほうに出て歩く。今度は自分の影が尾を引くことになり、見ると、ちょうどその頭のところでコスモスが風に揺れていたという情景だ。人の影の頭の部分は、時に矢印の役割を負う。ここで矢印はコスモスを指して、作者に「秋」を発見させたわけである。なんでもないような句だが、作者の感覚は実にシャープで、心地よい。スケッチ句のお手本である。(清水哲男)


September 0291998

 風の無き時もコスモスなりしかな

                           粟津松彩子

味ではあるが、これぞプロの句。「ホトトギス」の伝統ここにありとばかりに、凛としている。コスモスは群生するので、かたまって絶えず風に揺れている印象が強いが、風がなくなればもちろん動きははたと止まる。その様子をスケッチしたにすぎないのだけれど、これを言わでもがなの中身と受け取ると、俳句的表現の大半の所以がわからなくなる。この句に、意味などはない。あるのは、自然をあるがままの姿で写生しようとている作者の姿勢だ。無私の眼が、どれほど徹底しきれるものかというそれである。近代的自我などというフウチャカと揺れる目つきを峻拒したところに、子規以来の写生の精神が生きている。かといって「俳句道」だとか「俳句禅」だとかとシャカリキになるのではなく、ここで作者の肩の力は完全に抜けているのであって、そこが他の文芸には真似のできない「味」を産み出している。最近は人事句が大流行で、この種の上質な写生句はなかなか見られない。が、俳句表現の必然とは何かと考えるときに、今でもこの方法は無視できない重さを持ってくる。まあ、そんな理屈はさておいて、一読「上手いもんだなあ」と言うしかない句である。「俳句文芸」(1997年12月号)所載。(清水哲男)


October 06101999

 コスモスの押しよせてゐる厨口

                           清崎敏郎

花にすると可憐な風情のコスモスも、なかなかどうして根性のある花である。その性(さが)は、獰猛(どうもう)とさえ思われるときがある。まるで、誰かさんのように……(笑)。句のごとく、小さな津波のようにどこにでも押しよせてくる。頼みもしないのに、押しかけてくる。句は獰猛を言っているのではないが、逆に可憐を言っているのでもない。その勢いに目を見張りながら、少したじろいでいる。だから、この花は厨口(くりやぐち)など、表からは目立たないところに植えられてきた。いや、植えたとか蒔いたとかということではなく、どこからか種子が風に乗ってきて、自生してしまっていることのほうが多いのかもしれない。一年草だから、花が終わると根を引っこ抜く。この作業がまた大変なのだ。そんな逞しさのせいで、コスモスは徐々に家庭から追い出されている花だとも言えよう。最近の庭では、あまり見かけなくなった。長野県の黒姫高原や宮崎県の生駒高原などが名所だと、モノの本に書いてある。東京では立川の昭和記念公園が新名所で、ここには黄色い品種が群生しているらしい。コスモスも、わざわざ見に出かける花になりつつある。『安房上総』(1964)所収。(清水哲男)


August 2282000

 秋桜好きと書かないラブレター

                           小枝恵美子

ッと読むと、「なあんだ」という句。よくある少女の感傷を詠んだにすぎない。でも、パッパッパッと三度ほど読むと、なかなかにしぶとい句だとわかる。キーは「秋桜」。つまり、コスモスをわざわざ「秋桜」と言い換えているわけで、この言い換えが「好きと書かない」につながっている。婉曲に婉曲にと、秘術(?!)をつくしている少女の知恵が、コスモスと書かずに「秋桜」としたところに反映されている。ラブレターは、自己美化のメディアだ。とにかく、自分を立派に見せなければならない。それも、できるかぎり婉曲にだ。さりげなく、だ。そのためには、なるべく難しそうな言葉を選んで「さりげない」ふうに書く。「秋桜」も、その一つ。で、後年、その浅知恵に赤面することになる。掲句で、実は作者が赤面していることに、賢明なる読者は既にお気づきだろう。以下は、コスモスの異名「秋桜」についての柴田宵曲の意見(『俳諧博物誌』岩波文庫)。「シュウメイギク(貴船菊)を秋牡丹と称するよりも、遥か空疎な異名であるのみならず秋桜などという言葉は古めかしい感じで、明治の末近く登場した新しい花らしくない。(中略)如何に日本が桜花国であるにせよ、似ても似つかぬ感じの花にまで桜の名を負わせるのは、あまり面白い趣味ではない。(中略)秋桜の名が広く行われないのは、畢竟コスモスの感じを現し得ておらぬ点に帰するのかも知れない」。さんざんである。同感である。『ポケット』(1999)所収。(清水哲男)


March 2932001

 鳥の恋峰より落つるこそ恋し

                           清水径子

語は「鳥の恋」で春。春から初夏にかけては野鳥の繁殖期で「鳥交る(さかる)」「鳥つるむ」などとも言う。ちょっと面白い作りの句だ。サーカスのジンタで知られる曲「美しき天然」の歌詞にかけてある。「♪空にさえずる鳥の声、峰より落つる滝の音……」。作者は鳥たちが美声を発して求愛をしている様子を聞き、ふとこの歌を思い出した。口ずさんでいるうちに、自然に一句がなったのだろう。「峰より落つる」のは滝である。その滝のように激しく「落つる」のが、恋の理想だと。したがって「落つるこそ恋し」の「恋し」は、たとえば「恋を恋する」と言うときの「恋し」であり、抽象的な対象を憧憬し理想化している。「落つる(恋)こそ恋し」なのだ。句集の刊行時から推定して、作者七十代後半の句かと思われる。探してみたが、この人に恋愛の意味での「恋」の文字の入った句は他に見当たらず、同じ句集にわずかに「君のそばへとにかくこすもすまであるく」と、異性を意識した句が見える。本当はすっとまっすぐ近づきたいのに、とりあえず「こすもす」に近づくふりをしているのだ。このときに「コスモス」と片仮名でないのは、「君」に対する感情が「コスモス」を甘く「こすもす」と揺らしたかったためだと思う。控えめでつつましい女性の姿が想像される。そのような女性にして、この一句あり。かえって、私には得心がいった。『夢殻』(1994)所収。(清水哲男)


September 1592001

 コスモスや海少し見ゆる邸道

                           萩原朔太郎

洒な「邸(やしき)」の建ち並ぶ道を散策している。塀沿いにはコスモスの花が可憐に咲き、風に揺れている。小高い丘陵にある邸道からは、「海」が「少し見ゆる」というロケーション。視覚的にしっかりと構成されていて、寂しい秋の海の色までが目に見えるようだ。作者以外には、道行く人もいないのである。実は、この句には前書があって「晩秋の日、湘南の或る侘しき海水浴場にて」とある。こうあからさまに説明されてしまうと興ざめで、むしろ前書きは不要と思うが、句だけで立てるかどうかに不安があったのかもしれない。他にも、前書きつきの句の多い人だ。詩人の故か。作句年代は不明だが、いずれにしても昭和も初期の句だ。そのことを頭に入れて読むと、句の印象はかなり変わってくる。というのも、当時の「コスモス」はいまとは違い、とてもモダンな花という印象が強かったからだ。メキシコ原産で、日本には幕末に渡来したそうだが、本格的に広まったのは1909年(明治42年)、文部省が全国の小学校に栽培法を付して配布してからである。つまり珍しい異国の花であり、栽培すべき花であり、ハイカラな花であったわけだ。だから朔太郎の感覚からすると、モダンな邸宅地などにこそ似合う花だった。したがって揚句は、モダンな哀愁を帯びた句として鑑賞しなければならないのだが、もはやコスモスにモダンなフィルター機能は望むべくもない。作者の真意とは、離れたところで読まざるを得なくなっている。俳句も年をとる。『萩原朔太郎全集・第三巻』(1986)所収。(清水哲男)


October 18102004

 コスモスと少年ほかは忘れたり

                           藤村真理

語は「コスモス」で秋。いつ頃のことだったのか。その場所がどこであったのか。その少年は誰だったのか。さらに言うならば、あれは現実の情景だったのか、それとも夢だったのだろうか。ともかくコスモスの咲き乱れるなかに、一人の少年がぽつねんとたたずんでいた。それがこの季節になると、今も鮮やかな印象として蘇ってくる。しかし、その他のことは何も思い出せない。別にもどかしいというのではなく、むしろそのほうがすっきりとした気分だ。「忘れたり」の断言が、作者のそんな気分を物語っている。心理学的には説明がつく現象かもしれないのだが、こうした種類の記憶は誰にでもありそうだ。少なくとも私には、ある。このところ自分の過去を、言葉ではなく、なるべくビジュアルに表現することはできないものかと考えてみている。ほんのお遊びみたいなものだが、その過程で、あらためて記憶というもののキーになっているのは、ほとんどが映像だということに気がついた。言葉は、映像の周辺でうろうろしているに過ぎない。だから余計に掲句に反応したところもあると思うけれど、人間の得る情報の70パーセントは視覚からによるという説もある。いささか目が不自由になってきて、パーセンテージはともかく、見えること、見ることの大切さが骨身にしみてわかってきた。『からり』(2004)所収。(清水哲男)


October 25102004

 廃校の下駄箱ばけつ秋桜

                           辻貨物船

語は「秋桜」。コスモスのこと。私は秋桜という命名を、イメージ的に違和感があるので好まないが、ま、いいでしょう。先日、福井県大野市の小学校で子供たちとの詩の集いがあり、出かけてきた。新しく建て直したと思われる校舎は立派だったが、比べて児童の少なさには驚いた。入り口の「下駄箱」を見たら、ぱらぱらっとしか靴が入っていない。広い運動場では体育の授業中だったけれど、そこもぱらぱらっなのである。集いには市内五つの学校の6年生(一部5年生を含む)全員が集まり、それでも80人ほどなのだから過疎化は確実に進行していると思われた。昨年のちょうどいまごろ、郷里の山口県の村を訪れたところ、我が母校は過疎の波に抗しきれずに「廃校」になっていたのを思い出し、その過程では大野の学校のような時期もあったろうと、気持ちが沈み込んだことである。掲句は決して上手とは言えないが、詩人・辻征夫(「貨物船」は俳号)が学校を想うというときに、何をもって郷愁の手がかりにしていたかがわかって興味深い。「下駄箱」は子供らのにぎやかさの象徴であり、「ばけつ」は義務づけられた作業のそれであり、そして「秋桜」はみんなを取り巻いていた環境のそれだろう。廃校となってしまった学校の跡には、いまはただコスモスが生えるに任せて雑草のように繁っていて、秋風に揺れているばかりなのだ。このときの詩人には、もはや幻となった下駄箱やばけつが淋しく見えていたに違いない。『貨物船句集』(2001)所収。(清水哲男)


December 05122007

 木枯や煙突に枝はなかりけり

                           岡崎清一郎

京では今年十一月中旬に木枯一号が記録された。暑い夏が長かったわりには、寒気は早々にやってきた。さて、煙突に枝がないのはあたりまえ――と言ってしまうのは、子供でも知っている理屈である。この句には大人ならではの発見がある。さすがに清一郎、木枯のなかで高々と突っ立っている煙突を、ハッとするような驚きをもって新たに発見している。そこに「詩」が生まれた。木枯吹きつのるなかにのそっと突っ立っている煙突、その無防備な存在感に今さらのように気づかされている。文字通り手も足も出ない。木枯の厳しさを、無防備な煙突がいっそう際立たせているではないか。突っ立っている煙突に、人間の姿そのものを重ねて見ているのかもしれない。木枯を詠んだ句がたくさんあるなかで、清一郎のこの句は私には忘れがたい。昭和十一年に創刊された詩人たち(城左門、安藤一郎、岩佐東一郎、他)による俳句誌「風流陣」に発表された。「清一郎の夫人行くなり秋桜」という洒落た句も清一郎自身が詠んでいる。ユーモアと奇想狂想の入りまじったパワフルな詩を書いた、足利市在住の忘れがたい異色詩人であった。小生が雑誌編集者時代に詩を依頼すると、返信ハガキにとても大きな字で「〆切までに送りましょうよ」と書き、いつも100行以上の長詩をきちんと送ってくださった。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)


September 1292012

 嘘すこしコスモスすこし揺れにけり

                           三井葉子

間に「大嘘つき」と陰口をたたかれる人はいる。タチの悪い厄介者と言ってしまえばそれまでだが、落語に出てくる「弥次郎」に似て、嘘もどこやらほほえましいと私には思われる。けれども「嘘すこし」には、別の意味のあやしいワルの気配がただようと同時に、何かしらうっすらと色気さえただよってこないか。風に少々揺れるコスモスからも、儚い色香までがかすかに匂ってくるようである。この場合の「コスモス」には女人の影がちらほら見え隠れしているようであり、女人をコスモスに重ねてしまってもかまわないだろう。作者には案外そんな含みもあったのかも知れない。コスモスには儚さも感じられるけれど、見かけによらず、倒されても立ちあがってくる勁さをもった花である。「すこし」のくり返しが微妙なズレを生み出していておもしろい。掲句は、前の句集『桃』(2005)につづく『栗』(2012)の冒頭に掲げられた句である。葉子はあとがきで「桃栗三年柿八年。柚子の大馬鹿十三年」と書き、「バカの柚子になる訳には行かないだろう」と書いている。他に「〈〉鳴く虫にやはらかく立つ猫の耳〈〉」など、繊細な世界を展開している。(八木忠栄)


October 21102012

 風に立つそのコスモスに連帯す

                           大道寺将司

者の状況を知ることによって、五七五で書かれた言葉は、きわめて限定された視野から成立していることがわかる場合もあります。作者は「連続企業爆破事件」で1975年に逮捕され、1987年に死刑が確定し、現在、獄中で闘病生活を送っています。今年三月に上梓された句集のあとがきに、「毎年季節の変わり目になると同じような句を詠んでしまいます。直裁的且つ即物的に反応してしまうのです。死刑囚として監獄に拘禁されているため自然に触れる機会が少なく、(略)獄外で過ごした時間が長くはなかったため、かつてなしたこと、見聞したことが季節の変化と結びついて色褪せずに記憶されているからだとも言えるでしょうか。」掲句は2000年の作ですが、コスモスを詠んだ句は他に四句あり、「ひたぶるにコスモス揺れていたりけり」(2002年)「風立ちててんでに戦(そよ)ぐ秋桜(あきざくら)」(2006年)「揺るぎても付きて離れぬ秋桜」(2009年)「右を向き左に靡(なび)く秋桜」(2011年)。東京拘置所は改築されてから窓に目かくしがほどこされたので、記憶の中によみがえるコスモスを断続的に詠むことになるのでしょう。私も作者同様釧路で生まれ育ったので、冷たい潮風に揺れるコスモスの記憶があります。『棺一基 大道寺将司全句集』(2012)所収。(小笠原高志)


October 02102013

 コスモスと電話をかける女かな

                           古川ロッパ

スモス(秋桜)については説明するまでもなく、秋を代表する色さまざまな花である。その可憐さには誰もがホッとする。可憐でありながら、じつはなかなかしぶとく強い花で、風によって地になぎ倒されても、そこからまた伸びあがってくるのを見て、子どもの頃に舌を巻いたものだ。掲句の「コスモス」は電話の女の「モシモシ」が訛っているという、むしろ川柳。この場合の「コスモス」は季語とは言えまい。男爵の息子だったロッパは、なかなかのインテリ・コメディアンであった。逆にそこに悩みもあった。東京生まれだが、方言をよく学び、特に東北弁が独特のニュアンスを持っていて、可笑しかった。いまだに忘れがたい。「モシモシ」を「コスモス」と聴いて、オッフォンとほほえんでいる巨漢ロッパの風体が見えてくる。ロッパは「声色(こわいろ)」を「声帯模写」と新たに命名したことで知られるし、「イカす」も彼の発明。舞台・映画関係では「ロッパ」を名乗り、文筆では「緑波(りょくは/ロッパ)」と使い分けた。もう若い人には馴染みがないだろうが、往時エノケンとならび「喜劇王」と称された。私などの世代はラジオの連続ドラマ「さくらんぼ大将」や「アチャコ青春手帖」でロッパに親しんだ。厖大な『昭和日記』や『ロッパの悲食記』などはなかなか貴重な歴史的記録である。「読売新聞」(2013年8月16日)所載。(八木忠栄)


March 2032015

 木漏日や雉子鳴く方へあゆみゆく

                           宮本郁江

太郎の岡山でなくとも日本中の河川敷きや藪廻りのどこにでも居る。まして農家の田畑の廻りでは今でも普通にみられる。小生の柏地区の利根川、江戸川ではよく遭遇する。ただ老眼の小生にはカラスっぽく見えるのだがバードウオッチのニコンのレンズを通せば立派に識別できる。早春の妻恋ひどきになれば人目憚らず鳴きしきるのである。木漏れ日の中カラスと見紛えていた旅人は「おお」とその方角へ歩み寄ってゆく。雉はケンケンと鳴く。<馬小屋に馬の表札神無月><人気なき午後の鞦韆風がこぐ><病む人に日曜はなく秋桜>。『馬の表札』(2014)所収。(藤嶋 務)


August 3182015

 コスモスのあたりに飛べばホームラン

                           浜崎壬午

近はシンプルで作為のない句にあこがれる。掲句もその一つだが、人間傘寿も近くなってくると、少々の技巧をめぐらせた句などには、何の感懐も覚えなくなってくるようだ。ただ「小生意気」に写るだけで、そのこ生意気さがわずらわしいだけだ。どうせ技巧を仕掛けるのなら、あっと驚くようなものであってほしい。しかしそんな句は、余程の天才でないと無理だろう。考えてみれば、天才には作為なんぞはなさそうである。結局人間は、作為なしでスタートして、いろいろとあがいた末に、出発点に戻るようにできているのかもしれない。明日から九月。草野球には良いシーズンがやってくる。エンジョイ。『彩・円虹例句集』(2008)所載。(清水哲男)


October 08102015

 コスモスや死ぬには丁度いい天気

                           仲 寒蟬

川の昭和公園のコスモス、小金井公園のコスモス。毎年見ごろになると見に出かける。秋晴れの丘陵にコスモスが咲く様子はとても気持ちがいい。腰が弱くてひょろひょろしていて、それでいて群れて咲くとどんどん広がってゆく。町中ではプランターや花壇で育てるより空き地や駅の塀など路傍に咲いているのが似合いの花だ。明らかに澄み切った秋の昼にコスモスが咲いて、ほんとうに死ぬには丁度良さそうだ。私もじめじめ雨が降る夜に死ぬより、とびきり天気が良くてコスモスが見ごろのころがいい。歳時記でコスモスの項目を見ると飯田龍太が「やや古めかしいモダニズムといった感じの花である」と解説をしていたが、そのニュアンスのコスモスに掲載句の措辞はぴったりに思える。掲載句のようにあっけらかんと明るく死ねるのは願望なのだけど、現実ははて、どうだろう。『巨石文明』(2014)所収。(三宅やよい)


April 2042016

 春雨のちさき輪をかく行潦(にはたづみ)

                           岡崎清一郎

清一郎の夫人行くなり秋桜」「木枯や煙突に枝はなかりけり」といった、人を食ったようで大胆不敵な俳句を詠んだ清一郎にしては、掲出句はおとなしい句であると言える。彼が本来書く詩は破格の大胆さを特徴として、読者を大いに驚嘆させた。その詩人にしては、むしろまともな句ではないだろうか。静かに降る春雨が庭の地面にいくつもつくる輪は小さい。それをしっかり観察している詩人の細やかな視線が感じられる。詩集『新世界交響楽』のような、ケタはずれにスケールの大きな詩を書くことが多かった詩人の、別の一面をここに見る思いがする。「行潦」は古くは「庭只海」と表記したという。なるほど庭にポツポツと生じた小さな海そのものである。「たづ」は夕立の「たち」であり、「み」は「水」の意。清一郎の「雨」という詩の冒頭は「もう色も本も伝統もいらない。/ぼくは赤絵の茶碗を投げ出し/春雨の日をぐツすり寝込んでしまツた。」と書き出されている。詩は平仮名で書かれていても、促音は片仮名「ツ」と書くのがクセだった。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます