G黷ェt句

October 21101996

 風の輪を見せて落葉の舞ひにけり

                           加藤三七子

日は萩原朔太郎賞(受賞者・辻征夫)贈呈式に出席のため、井川博年、八木幹夫と前橋へ。駅に降りたら、猛烈な風。コンタクトの私などは、ほとんど目があけていられないほど。さすがに上州の風である。それでも、三人で前橋名物の「ソースかつ丼」を食べようと、駅前広場を歩きはじめた途端に、この句そっくりの風に巻き込まれた。結局、探し当てた店は休みでがっかり。もはや初冬の感が深い前橋での一日だった。(清水哲男)


November 09111997

 爛々と虎の眼に降る落葉

                           富沢赤黄男

葉の句には、人生のちょっとした寂寥感をまじえて詠んだものが多いなかで、この句は異色中の異色と言える。動物園の虎ではない。野生の虎が見開いている爛々(らんらん)たる眼(まなこ)の前に、落葉が降りしきっているのである。そんな状況のなかでも、微動だにしない虎の凄絶な孤独感が伝わってきて、一度読んだら忘れられない句だ。作者がこの虎の姿に託したのは、みずからの社会的反逆心のありどころだろうが、一方ではそれが所詮は空転する運命にあることもわきまえている。昔の中国の絵のような幻想に託した現実認識。深く押し殺されてはいるけれど、作者の呻き声がいまにも聞こえてきそうな気がする。(清水哲男)


November 29111997

 町落葉何か買はねば淋しくて

                           岡本 眸

には、こういう発想はない。もちろん故なく淋しくなることはあるが、そんなときにはたいてい居酒屋に立ち寄ってきた。女性の場合には「ヤケ買い」の衝動に駆られる人も多いというから、「淋し買い」もあるのだろう。ちょっとした買い物で心が暖まるのならば、それはそれで素敵な自己コントロール法だと思う。このようなときに、作者はどんな買い物をするのだろうか。この句が詠まれた前年の冬の作品に、こうある。「キヤラメル買つて寒夜故なく淋しめる」。買えば買ったで、より淋しさが募ってしまうこともあるわけで、キャラメルは失敗だった。キャラメルには、どうしても郷愁を誘うところがあるから、独り暮らしの大人の心には毒なのである。『矢文』(1990)所収。(清水哲男)


October 12101998

 一葉落ち犬舎にはかに声おこる

                           小倉涌史

った一枚の葉が落ちて犬が驚き騒いだというのだから、相当に大きな葉でなければならない。たぶん、朴(ほお)の葉だろう。三十センチ以上もある巨大な葉である。つい最近、直撃は免れたけれど、呑気に歩いていたらいきなりコヤツが落ちかかってきてびっくりした。落下音も、バサリッと凄い。犬だからびっくりするのではなく、人間だって相当にびっくりする(「朴落葉」や「落葉」は冬の季語)。ところで、句の時系列ないしは因果関係とは反対に、作者はにわかに犬小屋が騒がしくなったことから、ああきっと朴の葉が落ちたのだなと納得し、そこでこのように時間的な順序を整えて作品化している。まさか、これから葉が落ちて犬がびっくりするぞと、ずうっと朴の木を見張っていたわけではあるまい。つまり、この句は写生句のようでいて、本当は事実に忠実な写生句ではないのである。しかし、この句を、書かれているままの時間の順序に従って読み、それだけで納得する人は少ないだろう。やはり、私たちは犬が騒いだので作者が落葉を知ったのだと、ごく自然に読むのである。なぜだろうか……。俳句だからだ。『落紅』(1993)所収。(清水哲男)


November 08111998

 立冬の女生きいき両手に荷

                           岡本 眸

冬。毎年この文字に触れるだけで、寒気が増してくるように思われる。まだ秋色は濃いが、立冬を過ぎると東京あたりでも北風の吹く日が多くなり、北国からは雪の便りも聞こえてきて、日増しに寒くなってくる。そんな思いから、立冬となると、いささか気分が重くなるものだ。しかし、この句の女は立冬なんぞは知らないように、元気である。両手に重い荷物をぶら下げて、平然と歩いている。その姿は「生きいき」と輝いている。周囲の男どもは、たぶんしょぼくれた感じで歩いているのだろう。ここで作者は、この女に託して健康であることのありがたさ、素晴らしさを語っている。というのも、作者には大病で手術した体験があり、それだけになおさら健康には敏感であるわけだ。同じ時期の句に「爪のいろ明るく落葉はじまりぬ」がある。爪の色のよしあしは、健康のバロメーターという。この日の作者は、実に元気なのだ。この二句を読み合わせると、掲句の女は作者自身かもしれないと思えてきた。自画像と読むほうが適切かもしれない。そのほうが自分を突き放した感じがあるだけに、俳諧的には面白い。『冬』(1976)所収。(清水哲男)


October 21102000

 落葉のせ大仏をのせ大地かな

                           上野 泰

の鎌倉あたりでの写生句だろう。上野泰の持ち味の一つは、このように句景を大きく張るところにある。大きく張って、しかもこけおどしにはならない。読者を「なるほど」とうなずかせる客観性を、常にきちんと備えている。あくまでも大らかな世界であり、心弱いときにこういう句を読むと、大いに慰められる。小さな落葉と大きな仏の像との取り合わせは、下手をすると才走った小生意気な句にもなりかねないが、そうした臭みが抜けているのは、天性の才質から来るものなのだろう。しっかりした大地のごとき心映えのない私などには、真似しようにも真似のできない句境だ。いいなあ、こんなふうに世界を見られたら、感じられたらなあ。実に気持ちがいいだろうなあ。同じ句集に「鯛の上平目の上や船遊び」の句がある。掲句が水平的に大らかな広がりを見せているのに対して、この句は垂直的に大らかなそれを感じさせる。鯛と平目は浦島伝説の常識を踏まえた発想であることはすぐにわかるが、この発想に舟遊びの人がパッと至るところは、やはり天性の感覚だとしか考えられない。言われてみれば「なるほど」であり、しかし言われてみないと「なるほど」でないのが、本当の「なるほど」というものだ。泰句の「なるほど」の実例には事欠かないが、もう一句。「大空は色紙の如し渡り鳥」。具体的にして抽象的。世界をざっくりと力強く読み取る男振り。まいったね。『春潮』(1955)所収。(清水哲男)


November 13112000

 落葉降る天に木立はなけれども

                           辻貨物船

葉、しきり。といっても、作者は木立のなかを歩いているわけではない。ごく普通の道に、どこからか風に乗って次から次へと落葉が降ってくるのだ。さながら「天に木立」があるように……。詩人・辻征夫の面目躍如の美しい句である。作者のいる場所は寒そうだが、読者には暖かいものが流れ込んでくる。「なけれども」は「あるように」とも言えるけれど、やはり「なけれども」と口ごもったところで、句が生きた。なんだか、本当に「天に木立」があるような気がしてくるではないか。技巧など弄していないので、それだけ身近に詩人の魂の感じられる一句だ。ちょっと似たような句に、今井聖の「絶巓の宙に湧きくる木の葉かな」がある。「絶巓(ぜってん)」は、山の頂上のこと。切り立った山なのだろう。作者はそれを見上げていて、頂上に湧くように舞い上っている落葉を眺めている。落葉している木立は山の背後にあって、作者の位置からは見えていない。見えていると解してもよいが、見えていないほうが「湧きくる」の意外性が強まる。木立は「なけれども」、その存在は「木の葉」の様子から確認できるととったほうが面白い。切れ味のよい力感があって、素晴らしい出来栄えだ。両者の違いは、ともに木立の不在を言いながら、辻句はいわば「夢の木立」に接近し、今井句は「現実の木立」に近づいているところだ。相違は、詩人と俳人の物の見方の違いから来るのだろうか。井川博年編『貨物船句集』(2000)所収。(清水哲男)


December 30122000

 麹町あたりの落葉所在なし

                           藤田湘子

日の麹町(こうじまち)風景だと思う。もっと言えば、年末年始の麹町ではあるまいか。東京都千代田区麹町。麹町は皇居の半蔵門側に位置し、国会議事堂にも近い。英国大使館や参議院議員宿舎があり、最近はオフィス街としても活気があるが、元来は静かな高級住宅地と言ってよいだろう。仕事で十年近く、半蔵門前のラジオ局(TOKYO-FM)に通っていたので、雰囲気はよく知っている。休日になると、街は一挙にガランとしてしまう。とりわけて年末年始には、昼間でも人通りが途絶える。タクシーも避けて通るくらいで、天皇が歩いていても気がつかれる心配はないほどだ(笑)。店もみな閉まってしまうので、近くのダイヤモンド・ホテルにでも行かなければ、食事もままならなかった。そんなゴースト・タウンみたいな街を吹き抜ける風のなかで、しきりに落葉が舞っている。いかにも「所在なし」の寒々しい光景だ。作者はもちろんウィークデーの喧騒を知っているので、余計に「所在なし」と感じている。麹町は典型だが、全国各地の県庁所在地なども、今日あたりはきっと閑散としていることだろう。通りかかって「所在なし」と感じている人も多いだろう。歳末の人込みを詠んだ句は多いが、逆にこうした静寂の風情も捨てがたい。行く年の句として読めば、しみじみと心にしみてくる。藤田湘子主宰誌「鷹」(2001年1月号)所載。(清水哲男)


October 24102001

 満九十歳落葉茶の花生まれ月

                           伊藤信吉

日前に、群馬県は前橋市で創刊された俳誌「鬣(たてがみ)」(発行人・林桂、編集人・水野真由美)をいただいた。その巻頭に、掲句を含む詩人の十八句が「花々」というタイトルで掲載されていた。伊藤信吉さんは、前橋生まれの前橋育ち。萩原朔太郎や萩原恭次郎、高橋元吉などと交流のあった人だ。1906年(明治三十九年)の十一月生まれだから、間もなく満九十五歳になられる。長寿の秘訣は、司修さんに言わせると「ひどい偏食」にあるのだという。「わたしは赤い色をした食べものが嫌いなんさね。トマトとか人参とか」と。それはともかく、このように「満九十歳(まん・きゅうじゅう)」と出られると、何も言うことはなくなってしまう。ただ一点、関心を抱かせられるのは、自分の「生まれ月」に関わる数多い事象や風物のなかから、何を「満九十歳」の人が拾い上げているかということだ。それが「落葉」と「茶の花」であることに、私のなかの高齢者観はひとまず安心し、しかしもしも自分が伊藤さんの年齢まで生き延びることがあったら、このあたりに落ち着くのかなと思うと、なんとなく落ち着きかねる気分でもある。あまりにも、絵に描いたような……。でも、これは伊藤さんのまぎれもない現世現実の率直な気持ちなのだ。粛として受け止めておかねばなるまい。もう一句。「石垣をおおいて秋花獄の跡」。朔太郎の父親が、死刑囚に立ち会う医師であったことをはじめて証したのは、伊藤さんである。間もなく『伊藤信吉著作集・全七巻』が沖積舎より発刊されると、同封の広告にあった。(清水哲男)


November 14112001

 戸を立てし吾が家を見たり夕落葉

                           永井龍男

方帰宅すると、まだ明るいのに既に雨戸が立てられていた。家人が留守をするので、きちんと戸締まりをしてから出かけていったのだ。むろん作者はそのことを承知しているのだが、いつもとは違う家の様子に思わず足を止めて、しばし眺め入っている。「吾が家」ながら、どこか自分を受け入れぬようなよそよそしい感じなのだ。なんだか「吾が家」が、さながら異次元の存在のようにも写ってくる。ときおり舞い落ちてくる木の葉の風情もうそ寒く、作者はやおらポケットに鍵を探す……。「見たり」といういささか大仰な表現が、よく効いている。こんなときでもなければ、自分の家をわざわざ「見たり」と強調する感情はわいてこない。つまるところ、この淡い寂寥感は、立てられた雨戸によって象徴される家人の不在から来ている。中に誰も人がいない家は、それこそ大仰に言えば、家とは言えないのだ。人が存在してこそ、家が家として機能するわけで、あるいは人の暮らす家として安定するのであって、そのことを作者はさりげなくも鮮やかに視覚から捉えてみせている。形容矛盾かもしれないが、淡くも鋭い感覚の句として印象に残る。(清水哲男)


November 25112001

 落葉してつばめグリルのフォークたち

                           大隅優子

式ばったレストランとは違って、庶民的な雰囲気のあるのが「グリル」だろう。銀座に本店のある「つばめグリル」は、創業70年を越えたという。ま、「洋食屋さん」ですね。メニューには「ハンブルグステーキ」なんて書いてある。句の様子からして本店でないことはわかるが、どこの店だろうか。窓外では「落葉」しきり、卓上には「フォークたち」、すなわちフォークとスプーンとナイフが、小さな篭状の入れ物のなかで、静かに銀色の輝きを湛えている。これらをまとめて「フォークたち」と詠んだのは、フォークが「つばめ」の羽根を連想させたからだろう。スプーンやナイフでは、とても「つばめ」のようには飛びそうもない。「落葉」の季節に「つばめ」を感じる……。他愛ない連想といえばそれまでだけれど、注文した料理を待っている間に、ふっとそんなことを空想できる作者の感受性がほほ笑ましい。よいセンスだ。作者は二十代。「つばめグリル」といえば十数年も前の新宿店で、友人四人とたわむれに約束したことがあった。十年後の同じ日に、おたがいがどんな境遇にあるとしても、生きていたら四人でここで会おう、と。が、十年後の当日近くになり、私は当時買いたてのMacに記憶させていたので思い出したのだが、あとの三人は覚えていなかった。もう、それぞれにすっかり疎遠になっていた。会わなかった。掲句を読んで、懐かしくも思い出された「つばめグリル」である。「俳句」(2001年12月号)所載。(清水哲男)


November 26112002

 すずかけ落葉ネオンパと赤くパと青く

                           富安風生

ずかけ(鈴懸・プラタナスの一種)は丈夫なので、よく街路樹に使われる。夜の街の情景だ。ネオンの色が変化するたびに、照らされて舞い落ちてくる「すずかけ落葉」の色も「パと」変化している。それだけのことで、他に含意も何もない句だろう。でも、どこか変な味のする句で記憶に残る。最初に読んだときには「ネオンパ」と一掴みにしてしまい、一瞬はてな、音楽の「ドドンパ」みたいなことなのかなと思ったが、次の「パと青く」で読み間違いに気がついた。途端に思い出したのが、内輪の話で恐縮だけれど、辻征夫(貨物船)が最後となった余白句会に提出した迷句「稲妻やあひかったとみんないふ」である。このときに、井川博年(騒々子)憮然として曰く。「これが問題でした。これなんだと思いますか。大半のひとはこれを『た』が抜けているけど、きっと『逢いたかった』のだと読んだ。騒々子一発でわかりました。これは『あっ、光った』なんですね。実にくだらない。……」。同様に、風生の掲句も実にくだらない。今となっては、御両人の句作の真意は確かめようもないけれど、とくに風生にあっては、このくだらなさは意図的なものと思われる。確信犯である。一言で言えば、とりすました現今の俳句に対する反発が、こういう稚拙を装った表現に込められているのだと、私は確信する。おすまし俳句に飽き飽きした風生が、句の背後でにやりとしている様子が透いて見えるようだ。辻は、この句を知っていたろうか。『新日本大歳時記・冬』(1999)所載。(清水哲男)


December 21122002

 なほ赤き落葉のあれば捨てにけり

                           渡部州麻子

所に見事な銀杏の樹があって、たまに落葉を拾ってくる。本の栞にするためである。で、拾うときには、なるべく枯れきった葉を選ぶ。まだ青みが残っているものには、水分があるので、いきなり本に挟むと、ページにしみがついてしまうからだ。私の場合は、用途が用途だけに、一枚か二枚しか拾わない。ひるがえって、掲句の作者の用途はわからないが、かなりたくさん拾ってきたようである。帰宅して机の上に広げてみると、そのうちの何枚かに枯れきっていない「赤き」葉が混じっていた。きれいだというよりも、作者は、まだ葉が半分生きているという生臭さを感じたのだろう。私の経験からしても、表では十分に枯れ果てたと見えた葉ですら、室内に置くと妙に生臭く感じられるものだ。そんな生臭さを嫌って、作者は「赤き」葉だけではなく、その他も含めて全部捨ててしまったというのである。全部とはどこにも書かれていないけれど、「捨てにけり」の断言には「思い切って」の含意があり、そのように想像がつく。と同時に、捨てるときにちらっと兆したであろう心の痛みにも触れた気持ちになった。「赤」で思い出したが、細見綾子に「くれなゐの色を見てゐる寒さかな」があり、評して山本健吉が述べている。「こんな俳句にもならないようなことを、さりげなく言ってのけるところに、この作者の大胆さと感受性のみずみずしさがある」。句境はむろん違うのだけれど、掲句の作者にも一脈通じるところのある至言と言うべきか。「俳句研究」(2003年1月号)所載。(清水哲男)


November 16112004

 露店の子落葉を掃いて帰りけり

                           久松久子

語は「落葉」で冬。最近は、とんと働く子供の姿を見かけなくなった。むろん、一般的にはそのほうが好ましい社会と言える。子供の頃に働いた経験のある人なら、誰もがそう思うだろう。この季節になると、井の頭公園の文化園前に車でやってくる焼き芋屋がいる。売り声は、小学校高学年くらいの女の子の声だ。いつ行っても「焼き芋〜、石焼き芋〜っ」とスピーカーから流れてくる。テープに仕込んであるわけだが、日曜などには声の当人とおぼしき少女がいることもある。けなげな顔つきだ。掲句の子も、おそらくそんな顔をしていたのではないだろうか。店を仕舞うときに、自分たちのために汚れたところをきちんと掃いて帰るのだ。落葉の季節には、それがまるで落葉掃きのように見えるので、作者はこう詠んだ。たとえメインの仕事は親がやっても、手伝う子供にも、ちゃんと後始末をさせる。これを常識では躾けと言うが、こうした躾けは働く現場がなくては身に付かない。といって、この句はべつに遠回しに教訓を垂れているのではなく、黙々と当然のように後始末をしている子のけなげな姿に、作者が特別ないとおしさを感じているということだ。それはまた、作者の小さかった頃の自分や友だちの誰かれの姿を思い出させてくれるからでもあるのだと思う。『青葦』(2004)所収。(清水哲男)


December 29122004

 吹きたまる落葉や町の行き止まり

                           正岡子規

語は「落葉」。歳末風景とは限らないが、押し詰まってきたころに読むと、ひとしお実感がわく。どこか侘しくも淋しい雰囲気があって、それがまた往く年を惜しむ気持ちにふんわりと重なるからだ。今年の落葉は遅めのようで、我が町ではまだ銀杏の葉が盛んに散っている。よく行く図書館への道筋に、ちょうど「行き止まり」の場所があって、まさに掲句のような感じだ。日頃はボランティアで掃除をしている老人も、最近は寒いせいか見かけない。となれば落葉はたまる一方で、ときおり風に煽られてはかさこそと音を立てている。しかし私は、きれいに掃除された町よりも、落葉がたまっているような場所が好きだ。汚いと言って、眉をひそめる人の気が知れない。というよりも、そもそも落葉を汚いと感じる神経がわからない。最近では隣家の落葉に苦情を言いにいく人もいるそうで、いったい日本人の審美眼はどうなっちゃってるのだろうか。句に戻れば、この風情は今日(きょう)あたりからの「町」ならぬ「街」でも味わえる。潮のように人波が引いてしまった官庁街やビジネス街を通りかかると、あちこちに落葉が吹きたまっている。年末年始とも、長い間麹町の放送局で仕事をしていたので、そんな侘しい光景は何度も目撃した。たしかに侘しいけれど、なにか懐かしいような気分もしてきて、実は密かな私の楽しみなのであった。高浜虚子選『子規句集』(1993・岩波文庫)所収。(清水哲男)


October 24102005

 透く袋ぱんぱん桜落葉つめ

                           星野恒彦

語は「落葉」で冬。多くの木々の落葉にはまだ早いが、桜は紅葉が早い分だけ、落葉も早い。近所に立派な桜の樹があって、昨日通りかかったら、もうはらはらと散り初めていた。掲句は半透明のゴミ捨て用の袋に、散り敷いた「桜落葉」を集めて詰め込んでいるところだ。かさ張るのでぎゅうぎゅうと押し込み、ときおり「ぱんぱん」と袋を叩いて隙間を無くするのである。「ぱんぱん」という乾いた音が、よく晴れた秋の日差しに照応して心地よい。近隣の秋のフェスティバルだったか、あるいは保育園の催しだったか、参加者は「落葉を持ってきてください」と呼びかける広報紙を見たことがある。たしか持参者には、落葉の焚火での焼芋を進呈すると付記されていた。なかなかに粋な企画ではないか。そうして集めた落葉を何に使うのかというと、子供たちのために「落葉のプール」を作るのだという。そこら中に落葉を敷きつめて、その上で子供たちが転がったりして遊ぶためのふかふかのプールだ。実際に見に行かなかったのだけれど、面白い発想だなと印象に残っている。このときもおそらく主催者側では、集まる落葉の量がアテにならないので、掲句のように「ぱんぱん」と袋に詰めてまわったのだろう。どこにでもありそうな落葉だが、いざ意識的に集めるとなると、都会では大変そうだ。私はといえば、ときに本の栞りにと、銀杏の葉などを一二枚拾ってくるくらいのものである。「ぱんぱん」の経験はない。『邯鄲』(2003)所収。(清水哲男)


November 22112005

 落葉曼荼羅その真ン中の柿の種

                           鳥海美智子

語は「落葉」で冬。「曼荼羅(まんだら)」は、密教で宇宙の真理を表すために、仏菩薩を一定の枠の中に配置して描いた絵のこと。転じて、浄土の姿その他を描いたものにも言う。が、この句では深遠な仏教的哲理を離れて、いわゆる「曼荼羅模様」ほどの意味で使われているのだろう。すなわち散り敷いた落葉が、さながら曼荼羅模様のように広がって見えている。で、ふと気づいたことには、その「真ン中」にぽつりと「柿の種」が一粒落ちていた。柿の種も落葉も色が似てはいるが、その本質はまったく異なっている。前者は植物が新しい命を生み出すためのものだし、後者は植物自身がおのれの命を守るために振り捨てたものだ。それが、同じ曼荼羅模様の一要素として同居している。柿の種にしてみれば、「おいおい、オレはこいつらとは違うぜ。どうなってんの」とでも言いたくなるところか。そう考えると、どこか剽軽な情景でもあって面白い。ただし、わたしのかんぐりだが、作者は実景をそのまま詠んだのではない気がする。落葉を見ているうちに、そこに見えない柿の種が見えてきたのではあるまいか。つまりここで作者は、柿の種という「味の素」ならぬ「詩の素」を加えたわけだ。忠実な写生も大事だが、こういう句作りもあってよい。ところで、この柿の種。あのぴりっと辛いあられ状の菓子と見ても、少しく解釈はずれてしまうけれど、なかなか捨て難い「味」がしそうだ。『水鳥』(2005)。(清水哲男)


November 12112006

 地の温み空のぬくみの落葉かな

                           吉田鴻司

の欄を担当することになってから三ヶ月が経ちました。同じ日本語でありながら、俳句がこれほど詩とは違った姿を見せてくれるものとは、思いませんでした。言わずに我慢することの深さを、さらに覗き込んでゆこうと思います。さて、いよいよ冬の句です。掲句、目に付いたのは「ぬくみ」という語でした。「ぬくみ」ということばは、「てのひら」や「ふところ」という、人の肌を介した温かさを感じさせます。ですから、この句を読んだときにまず思ったのは、森や林の中ではなく、人がしじゅう通り過ぎる小さな公園の風景でした。マンションの脇に作られた公園の片隅、すべり台へ向かって、幼児が歩いています。幼児の足元を包む「落ち葉」のあたたかさは、もとから地上にあったものではなく、空からゆらゆらと降ってきたものだというのです。きれいな想像力です。むろん、上から落ちてくるのは、鮮やかな色に染まった一枚一枚の葉です。ただ、この句を読んでいると、葉とともに、空自体が地上へ降り立ったような印象を持ちます。透明な空が砕けて、そのまま地上へかぶさってきたようです。人々が落ち葉とともに足元に触れているのは、空の断片ででもあるかのようです。句全体に、高い縦の動きと、深い空間を感じることができます。幼児のそばにはもちろん母親がいて、動きをやさしく見守っています。この日に与えられた「ぬくみ」の意味を、じっと考えながら。俳誌「俳句」(角川書店・2006年9月号)所載。(松下育男)


November 16112006

 一枚の落葉となりて昏睡す

                           野見山朱鳥

核療養のため、生涯の多くを病臥していた朱鳥(あすか)晩年の句。「つひに吾れも枯野のとほき樹となるか」もこの頃の作である。体力が衰え、身体がきかなくなるのに最期まで意識が冴え渡っているとは、何と残酷なことだろう。回復の希望があるならまだしも、この時期の朱鳥はもはや死を待つばかりの病状であり、自然に眠りにつくなど難しい状態だった。病が篤くなるにつれ痛みも増し、薬を服用する回数も多くなるだろう。睡眠薬やモルヒネの助けを借りて眠りにおちる「昏睡」(こんすい)は突然、奈落の底へ落とされるような暴力的眠り。目覚めたときには眠りが一瞬としか思えないぐらい深い意識の断絶があり、それは限りなく死に近い闇かもしれない。晩秋から冬にかけて散った木の葉はもう二度と生命の源である樹につながることはできない。枝からはずれたが最後、落ちた場所で朽ちてゆくしかないのだ。身動きの出来ない身体を横たえたベットで息絶えるしかないことを朱鳥は深く自覚している。落葉は見詰める対象物ではなく、今や自分自身なのだ。「一枚の落葉となりて」という措辞に希望のない眠りにつく朱鳥のおそろしいほど切実な死の実感がこめられているように思う。『野見山朱鳥句集』(1992)所収。(三宅やよい)


May 2352007

 雨のふる日はあはれなり良寛坊

                           良 寛

季。良寛が住んだ越後は雨の多い土地である。梅雨時か秋の長雨か、季節はいずれであるにせよ、三日以上も雨がつづくことは珍しくない。托鉢に歩き、その途次に子どもたちと手毬をついたり、かくれんぼをしたりしてよく遊んだと伝えられる良寛にとって、雨の日はつらい。里におりて子どもたちと「ひふみよいむな 汝(な)がつけば 吾(あ)は歌ひ あがつけば汝は歌ひ つきて歌ひて・・・・」と手毬に興じた良寛にとって、恨みの雨であるかもしれない。しかし、良寛に恨みの心は皆無である。それどころか、自らを「良寛坊」などと自嘲的に対象化し、「あはれ」とも客観視して見せている。良寛持ち前のおおらかさや屈託のなさは感じられても、「哀れ」や「せつなさ」が耗も感じられないところは、さすがである。いささかも哀切ではなく、湿ってもいない。雨の日は庵にいて歌を詠み、のんびり書を読み、筆をとって楽しむことが多かった。訪れる人もなく、好きな酒を独りチビチビやっていたかもしれない。「良寛坊」を、読者が自分(あるいは誰か)と入れ替えて読むのも一興。良寛の漢詩、和歌、長歌などはよく知られているが、俳句は「焚くほどは風が持てくる落葉かな」が知られているくらいで、いわゆる名句はあまりないと言っていい。父以南は俳人だった。良寛の句は手もとにある全集に八十五句収められ、編者・大島花束は「抒情詩人としての彼の性格は、俳句の方ではその長足を伸ばすことが出来なかったらしい」と記している。『良寛全集』(1989)所収。(八木忠栄)


October 22102007

 淋しき日こぼれ松葉に火を放つ

                           清水径子

語はそれとはっきり書かれてはいないが、状況は「落葉焚き」だから「落葉」に分類しておく。となれば季節は冬季になってしまうけれど、この場合の作者の胸の内には「秋思」に近い寂寥感があるようなので、晩秋あたりと解するのが妥当だろう。ひんやりとした秋の外気に、故無き淋しさを覚えている作者は、日暮れ時にこぼれた松の葉を集めてきて火を放った。火は人の心を高ぶらせもするが、逆に沈静化させる働きもある。パチパチと燃える松葉の小さい炎は、おそらく作者の淋しさを、いわば甘美に増幅したのではあるまいか。この句には、下敷きがある。佐藤春夫の詩「海辺の恋」がそれだ。「こぼれ松葉をかきあつめ/をとめのごとき君なりき、/こぼれ松葉に火をはなち/わらべのごときわれなりき」。成就しない恋のはかなさを歌ったこの詩の終連は、「入り日のなかに立つけぶり/ありやなしやとただほのか、/海べのこひのはかなさは/こぼれ松葉の火なりけむ」と、まことにセンチメンタルで美しい。たまにはこの詩や句のように、感傷の海にどっぷりと心を浸してみることも精神衛生的には必要だろう。『清水径子全句集』(2005・らんの会)所収。(清水哲男)


October 28102008

 歩きまはればたましひ揺らぐ紅葉山

                           本郷をさむ

ろそろ都心の街路樹も色づき始めた。淡い色彩で満開になる桜と違い、鮮やかな赤や黄色が満載の紅葉を視界いっぱいに映していると、くらくらとめまいがするような心地になる。それは、単純に色だけの問題ではなく、もしかしたら科学的に身体や視覚に作用するなにかがあるのかもしれないと調べてみたら、紅葉の仕組みはまだ解明されていない点が多いらしい。花見や月見と違って、紅葉を見物することは紅葉狩、「見る」ではなく「狩る」なのである。秋の山の奥へ奥へと進み、紅葉する木々を眺めることは、花や月を愛でつつ飲食を伴う遊山とは違う、きりりと張り詰めた緊張感があるように思う。透き通った空気のなかで原色の世界に身を置く不安が「足を止めてはいけない」と、心を揺さぶるのだろうか。ところで、書名となっている「物語山」とは、群馬県下仁田町にある実在の山だという。名の由来には諸説あるらしいが、この風変わりな名を持つ山では、きっと魂を閉じ込めておくのが難しいほどの美しい紅葉を見せてくれるのではないかと思うのだった。〈物語山返信のやうに朴落葉〉〈コンビニを曲りて虫の村に入る〉『物語山』(2008)所収。(土肥あき子)


September 1892009

 満月に落葉を終る欅あり

                           大峯あきら

のように一本の欅が立つ。晩秋になり葉を落してついに最後の一枚まで落ち尽す。そこに葉を脱ぎ捨てた樹の安堵感が見える。氏は虚子門。虚子のいう極楽の文学とはこういう安堵感のことだ。落葉に寂寥を感じたり、老醜や老残を見たりするのは俳句的感性にあらず。俳句が短い詩形でテーマとするに適するのはやすらぎや温かさや希望であるということ。この句がやすらぎになる原点は満月。こういう句を見るとやっぱり俳句は季語、自然描写だねと言われているような気がする。さらにやすらぎを強調しようとすれば、次には神社仏閣が顔を出す。だんだん「個」の内面から俳句が遠ざかっていき、俳句はやすらぎゲームと化する。難しいところだ。『星雲』(2009)所収。(今井 聖)


October 13102009

 月入るや人を探しに行くやうに

                           森賀まり

陽がはっきりした明るさを伴って日没するのと違い、月の退場は実にあいまいである。日の出とともに月は地平線に消えているものとばかり思っていた時期もあり、昼間青空に半分身を透かせるようにして浮かぶ白い月を理解するまで相当頭を悩ませた。月の出時間というものをあらためて見てみると毎日50分ずつ遅れており、またまったく出ない日もあったりで、律儀な日の出と比べずいぶん気ままにも思えてくる。実際、太陽は月の400倍も大きく、400倍も遠いところにあるのだから、同じ天体にあるものとしてひとまとめに見てしまうこと自体乱暴な話しなのだが、どうしても昼は太陽、夜は月、というような存在で比較してしまう。太陽が次の出番を待つ国へと堅実に働きに行っている留守を、月が勤めているわけではない。月はもっと自由に地球と関係を持っているのだ。本日の月の入りは午後2時。輝きを控えた月が、そっと誰かを追うように地平線に消えていく。〈道の先夜になりゆく落葉かな〉〈思うより深くて春のにはたづみ〉『瞬く』(2009)所収。(土肥あき子)


October 14102009

 焚くほどは風がもてくる落葉かな

                           良 寛

語として「落葉」は冬だけれど、良寛の句としてよく知られた代表句の一つである。越後の国上山(くがみやま)にある古刹・国上寺(こくじょうじ)に付属する小さな五合庵の庭に、この句碑はのっそり建っている。もともと同寺が客僧を住まわせ、日に五合の米を給したところから名前がついた。良寛はここに四十歳から約二十年近く住んだ。同庵をうたった詩のなかに「索々たる五合庵/室は懸磬(けんけい)のごとく然り/戸外に杉千株」「釜中時に塵あり/甑裡(そうり)さらに烟なし」などとある。煮焚きをするのに余分なものはいらない。あくせくせず、ときに風が運んできてくれる落葉で事足りるというわけである。落葉一枚さえ余分にいらないという、無一物に徹した精神であり、そうした精神を深化させる住庵の日々であったと言える。「わが庵を訪ねて来ませあしびきの山のもみぢを手折りがてらに」「国上山杉の下道ふみわけて我がすむ庵にいざかへりてん」など、草庵での日々を詠んだ歌がたくさん残されている。山の斜面にひっそりと建つ五合庵から托鉢に出かけるには、夏場はともかく、雪に閉じ込められる冬場は、難渋を強いられたであろうことが容易に推察される。大島花束編『良寛全集』には「たくだけは風がもて来る落葉かな」とあり、一茶の日記には「焚くほどは風がくれたる……」というふうに、異稿も残されている。『良寛こころのうた』(2009)所収。(八木忠栄)


November 21112009

 落葉掃く音の聞こえるお弁当

                           木原佳子

弁当、いい響きの言葉だ。現在、自分で作って勤め先に持っていくお弁当は、何が入っているか当然承知しているから、開ける時のわくわく度はぐっと低いが、それでも、さてお昼にするか、とお弁当箱の蓋を開ける時は、ほんわかとした気持ちになる。この句のお弁当は、どこで食べているのだろう。とある小春日和の公園あたりか。落ち葉は、それこそ散り始めてから散り尽くすまで、ひっきりなしに降り続く。そして落ち葉を掃く音は、少しやわらかく乾いている。ひたすら掃く、ひたすら落ちる、ひたすら掃く。冬を少しづつ引きよせるように続くその音を聞くともなく聞きながら、日溜りで開くお弁当はなんとも美味しそう。省略の効いた一句の中で、お弁当、の一語が、初冬を語って新鮮に感じられた。「俳句同人誌 ありのみ 第二号」(2009)所載。(今井肖子)


December 13122009

 かがみ磨ぎ寺町のぞくおちばかな

                           建部巣兆

つだったか、だいぶ昔のとあるいちにちに、タクシーに乗ってぼんやりと窓から外を見ていたことがあります。まだ30代の若い頃で、事情があって住む家をさがしていました。松戸駅からほど近い小路を、ゆっくりと曲がろうとする車の中で、一瞬天地が激しく傾いたような感覚を持ちました。車が角を曲がる瞬間に、確かに大地が斜めに競りあがり、商店が空中に高く浮きあがったのです。車内にしがみつくようにして瞬間的に目を閉じ、そのあとで落ち着いて目を凝らせば、曲がり角のちょうど曲がり目のところに、大きな鏡が置いてありました。鏡、という言葉を見ると、あのころの不安定な心持を思い出します。今日の句は、鏡磨ぎという職業の人が、落ち葉の積もる寺町へ入っていったという、ただそれだけのことを詠んでいます。昔は鏡も金属でできていましたから、刀や包丁のように、表面を磨ぐ職業があったのでしょう。「かがみ」と「寺」のイメージが支えあって、落ち着いた美しい句になっています。落ち葉が敷き詰められている地面を手で払えば、その下には、深く空を映した鏡が張られている。そんな印象を持たせてくれる句です。『日本名句集成』(1992・學燈社)所載。(松下育男)


December 18122010

 落ちる葉のすつかり落ちて休憩所

                           上田信治

葉はやがて枯葉に、そして落葉となって土に還っていく。葉が落ちきってしまった木は枯木と呼ばれるが、そんな一本の木に何を見るか。青空に夕空に美しい小枝のシルエット、しっかり抱かれた冬芽、通り過ぎていく風の音、枝先を包む乾いた日差し。何かをそこに感じて、それを詠もうとすることに疲れた身にこの句は、少し離れたところから視線を投げかけるともなく投げかけている、勝手にそんな気がした。休憩所は、さまざまな人がちょっと立ち寄って、一息ついたら去っていく場所。そんな通りすがりの束の間に見上げる木には、もう一枚の葉も残っていない。落ちる葉、は、芽吹いた時から最後は落ちると決まっている葉、であり、そんな葉という葉が例外なくすべて落ちていくことは自然なことだ。ただそれを詠んでいるのに、すっと感じ入るのは、休憩所、という言葉の置かれ方の良さだろうか。『超新撰21』(2010・邑書林)所載。(今井肖子)


January 1312012

 父よりも好きな叔父来て落葉焚き

                           芝崎康弘

ヤジがふつうの会社員で、フーテンの寅さんみたいな叔父さんがやって来る。またはその逆で職人のてやんでいオヤジに対して叔父さんはビジネス最前線の商社マンだったりする。まあ、前者の方が通俗性があって落葉焚きにも寅さん叔父の方が似合いそうだが、後者だと子どもの屈折がみえて、ちょっとシリアスな話になりそうな気がする。実際はそんな対照的な兄弟はあまりいなくて職人兄弟とか医者兄弟とかが圧倒的に多いのだ。階級格差の根は深い。落葉焚きは落葉を処理するために焚くというイメージは僕にない。なんとなくぼおっとしたいときに落葉を焚く。春愁や秋思にひってきする精神的な季語だ。もっとも焼芋を目的とする落葉焚きというのもあるかもしれない。『17音の青春II』(2000)所載。(今井 聖)


December 18122013

 月一つ落葉の村に残りけり

                           若山牧水

の時季、落葉樹の葉はすっかり散り落ちてしまった。それでも二、三枚の枯葉が風に吹かれながらも、枝先にしがみついている光景がよくある。あわれというよりもどこかしら滑稽にさえ映る。何事もなく静かに眠っているような小さな村には、落葉がいっぱい。寒々と冴えた月が、落葉もろとも村を照らすともなく照らし出しているのであろう。季重なりの句だが、いかにも日本のどこにもありそうで、誰もが文句なく受け入れそうな光景である。牧水が旅先で詠んだ句かもしれない。この句から「幾山河越えさり行かば寂しさのはてなむ国ぞ今日も旅ゆく」の名歌が想起される。作者は冬の月を眺めながら、どこぞでひとり酒盃をかたむけているのかもしれない。暁台に「木の葉たくけぶりの上の落葉かな」がある。牧水には他に「牛かひの背(せな)に夕日の紅葉かな」がある。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)


September 2292014

 落葉して地雷のごとき句を愛す

                           矢島渚男

き寄せられた落葉。こんもりとしていて、その上を歩くとクッションが効いているので足裏に心地よい。そんな情感を詠んだ句ならヤマほどありそうだが、作者は想像力を飛ばしてもう一歩も二歩も踏み込んでいる。積もった落葉の下には、何があるのだろうか。もちろん、土がある。ならばその土の下には何が埋まっているのだろうかと貪欲である。有名な「櫻の樹の下には屍体が埋まつてゐる」ではないけれど、作者はそこに地雷が存在すると想像した。そして地中の地雷は、いわば冷たく逆上しながらも、あくまでも静かに爆発の時を待ちかまえている。と、ここまで連想が至ったときに、自分の好きな句はそんな地雷のような構造を持った句なのだと閃いた。つまりこのときに作者の作家魂は、とつぜん地雷と化したに違いなく、だからここで「地雷のごとき句」と言っているのは、何某作の句という具体的なものではなくて、そんな気概を込めた未来の自作を指しているのだと思った。『延年』(2003)所収。(清水哲男)


October 21102014

 月の夜のワインボトルの底に山

                           樅山木綿太

がワインを手にしたのは古代メソポタミア文明までさかのぼる。醸造は陶器や革袋の時代を経て、木製の樽が登場し、コルク栓の誕生とともにワインボトルが普及した。瓶底のデザインは、長い歴史のなかで熟成中に溶けきらなくなったタンニンや色素の成分などの澱(おり)を沈殿させ、グラスに注ぐ際に舞い上がりにくくするために考案されたものだ。便宜上のかたちとは分かっても、ワインの底にひとつの山を発見したことによって、それはまるで美酒の神が宿る祠のようにも見えてくる。ワインの海のなかにそびえる山は、月に照らされ、しずかに時を待っている。〈竜胆に成層圏の色やどる〉〈父と子の落葉けちらす遊びかな〉『宙空』(2014)所収。(土肥あき子)


July 2972015

 鈴本のはねて夜涼の廣小路

                           高橋睦郎

鈴本」は上野の定席の寄席・鈴本演芸場のことであり、「廣小路」は上野の広小路のことである。夜席だろうか、9時近くに寄席がはねて外へ出れば、夏の日中の暑さ・客席の熱気からぬけて、帰り道の広小路あたりはようやく涼しい夜になっている。寄席で笑いつづけたあとの、ホッとするひと時である。高座に次々に登場したさまざまな噺家や芸人のこと、その芸を想いかえしながら、家路につくもよし、そのへんの暖簾をくぐって静かに一杯やるもよし、至福の時であろう。「夜涼」は「涼しさ」などと同様、夏の暑さのなかで感じる涼しさのことを言う。睦郎は2001年に古今亭志ん朝が亡くなったとき「落語國色うしなひぬ青落葉」という句を詠んで、そのあまりに早い死を惜しんだ。小澤實が主宰する「澤」誌に、睦郎は「季語練習帖」を長いこと連載しているが、掲句はその第67回で「涼し、晩涼、夜涼」を季語としてとりあげたなかの一句。「『涼し』という言葉の中には大小無数の鈴があって響き交わしている感がある」とコメントして、自句「瀧のうち大鈴小鈴あり涼し」を掲げている。「澤」(2015年7月号)所載。(八木忠栄)


November 16112015

 大学祭テントに落葉降りつもる

                           池田順子

の通った大学では「11月祭」といって、学園祭は毎年恒例で秋に開かれていた。まさに落葉の季節である。それなりににぎわうのだが、日暮れ近くともなると、そぞろ冷たい風も吹いてきて、どこか物悲しく、しかしそれはそれで捨てがたい味わいがあった。テントに降り積もる落葉もそのひとつだ。私が入学したころの学園祭の総合テーマは「平和と民主主義、よりよき学園生活のために」という当時の全学連のスローガンをそのまま流用したもので、これはほとんどの大学に共通していた。ところが二回生のときだったか、「これではつまらん」と上級生が言い出して、まことにもって唖然とするようなスローガンを打ち出した。曰く「独占資本主義下におけるサディズムとマゾヒズム」というのである。何のことかさっぱりわからなかったが、さすがに「大学であるな」とこれが妙に気に入ってしまった。以後、いろいろな大学から独自のテーマが生まれてきて今日に至るというわけだ。『彩・円虹例句集』(2008)所収。(清水哲男)


November 22112015

 落葉焚き人に逢ひたくなき日かな

                           鈴木真砂女

に会いたくない日があります。寝過ぎ寝不足で顔が腫れぼったい日もあれば、何となく気持ちが外に向かず、終日我が身を貝殻のように閉ざしていたい、そんな日もあります。長く生きていると、事々を完全燃焼して万事滞りなく過ごす日ばかりではありません。人と関わりながら生きていると、多かれ少なかれ齟齬(そご)をきたしていることがあり、心の中にはそれらが堆積していて、重たさを自覚する日があります。そういう日こそ、心の深いところにまで張り巡ぐらされていた根から芽が出て言の葉が生まれてくるのかもしれません。句では「逢ひ」の字が使われていることから、逢瀬の相手を特定しているとも考えられます。句集では前に「落葉焚く悔いて返らぬことを悔い」があるので、そのようにも推察できます。完全燃焼できなかった過去の悔いをせめて今、落葉を焚くことで燃焼したい。けれどもそれは心の闇をも照らし出し、過去と否応なく向き合うことになります。それでも焚火は、今の私を明るく照らし、暖をとらせてもらっています。句集では「焚火して日向ぼこして漁師老い」が続きます。これも、婉曲的な自画像なのかもしれません。『鈴木真砂女全句集』(2001)所収。(小笠原高志)




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