October 14101996

 つぶら目の瞠れるごとき栗届く

                           嶋崎茂子

歳くらいまでの子供と二十歳前後の女性を見られない人生はつまらない。そんな趣旨のことを、山田風太郎が先週の朝日新聞に書いていた。老人の素朴にして率直な物言いである。それこそ素直に納得できた。山田さんほどの年令ではないけれど、とりわけて最近の私は、子供の「つぶらな」瞳にひかれる。だから、この句は心にしみる。粒ぞろいの栗の輝きをこのように歌うことは、技巧だけではできない。そこに、生きとし生けるものへの素直な愛情がなければ、発想すら不可能だろう。なんでもないような作品であるが、こういう句こそが俳句を豊かにしてくれるのだ。加藤郁乎大人の口癖に習っていうと「嶋崎さん、書いてくださってありがとう」となるのである。なお「瞠れる」は「みはれる」と読む。為念。作者は大串章門。『沙羅』所収。(清水哲男)




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