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September 2191996

 蟲鳴きて海は暮るるにいとまあり

                           鷲谷七菜子

が国は海に取り巻かれている。したがって、海の句も多いわけだ。だが、この句の叙情性が日本人の誰にでもわかるかというと、そうはいかない気がする。この国は、一方で山の国でもあるからだ。山しか知らない人には、海の句はわからない。かくいう私も山の子だから、正直にいって、この作品の叙情の芯はわかりかねる。優れた句だと感じるのはまた別の理由からなので、この句を実感的にとらえられない自分がくやしい。いつの日か、秋の海辺を訪れることがあったら、この句を思いだすだろう。そしてそのときに、はじめてこの句に丸ごと出会えることになるのだろう。『黄炎』所収。(清水哲男)


September 2491996

 虫の土手電池片手に駆けおりる

                           酒井弘司

のとき、作者は高校生。何のために必要な電池だったのか。とにかくすぐに必要だったので、そう近くはない電器店まで買いに行き、近道をしながら戻ってくる光景。川の土手ではいまを盛りと秋の虫が鳴いているのだが、そんなことよりも、はやくこの電池を使って何かを動かしたいという気持ちのほうがはやっている。作者と同世代の私には、この興奮ぶりがよくわかる。文字通りに豊かだった「自然」よりも、反自然的「人工」に憧れていた少年の心。この電池は、間違いなく単一型乾電池だ。いまでも懐中電灯に入れて使う大型だから、手に握っていれば、土手を駆けおりるスピードも早い、早い。『蝶の森』(1961)所収。(清水哲男)


November 10111996

 闇に鳴く虫に気づかれまいとゆく

                           酒井弘司

冬にかかると、虫の音も途絶えがちになる。そんなある夜、作者は道端の草叢で鳴く虫の音を耳にした。たった一匹の声らしい。そこで作者は、機嫌良く鳴いているこの遅生まれの虫を驚かすまいと、忍び足で行き過ぎていくというわけだ。このとき、酒井弘司はまだ高校生。この若年の感受性は天性のもので、その後の俳句人生を予感させるに十分な才質というべきだろう。『蝶の森』所収。(清水哲男)


September 0391997

 虫の音をあつめて星の夜明けかな

                           織本花嬌

情の質からすれば現代を思わせるが、作者は一茶と同時代に生きた江戸期の女流である。たしかに秋の夜明けは、いまでもかくのごとくに神秘的で美しい。蕪村の抒情性などを想起させるところがある。ところで、作者の嬌花は一茶より三歳年上で南総地方随一の名家の嫁であり、後に未亡人となった人だが、一茶の「永遠の恋人」として伝承されている。もとよりプラトニック・ラブだったけれど、一茶の片思いの激しさのおかげで、いま私たちはこのように嬌花の句を読むことができるというわけだ。文化六年三月に嬌花の部屋で行われた連句の会の記録が残っている。まずは一茶が「細長い山のはずれに雉子鳴いて」と詠みかけると、彼女は「鍋蓋ほどに出づる夕月」と受けている。いや、しらっと受け流している。このやりとりを見るかぎり、すでに一茶の恋の行方は定まっていたようなものだ……。気の毒ながら、相手が一枚も二枚も上手(うわて)であった。(清水哲男)


September 2091998

 虫なくや我れと湯を呑む影法師

                           前田普羅

んでいるのは「茶」ではなく「白湯」。健康上の理由からだろうか、この頃の普羅は「白湯」を呑むことに努めていたようだ。「がぶがぶと白湯呑みなれて冬籠」の句もある。白湯だから味わって呑むのではなく、一気のガブ呑みだ。ふと見ると、壁に写った影法師も同じ姿で一生懸命に付き合ってくれている。外では、虫の音しきり。わびしいような滑稽なような、作者の文字通りの微苦笑が目に見えるようだ。ところで「影法師」であるが、光源は電灯だろうか、それともランプだろうか。大正も初期の句だから、このあたりは問題だ。どちらの可能性もある。私の好みとしてはランプの光にゆらゆらと揺れているほうが面白いのだが、実際のところはわからない。普羅の略歴を読んでも、そんなことは書いてない。古い作品は、これだから厄介だ。ただ、光源が何であれ、一つ言えることは、当時の人たちはみな、現代の私たち以上に灯りには敏感だったということである。句のように影法師に着目するのも、そのあらわれだろう。光あるところには必ず影があるというわけだ。いまは、光の氾濫が影の存在を希薄にしている。精神のありように影響しないはずはない。中西舗士編『雪山』(1992)所収。(清水哲男)


October 09101998

 勉強の音がするなり虫の中

                           飴山 實

の手柄は、なんといっても「勉強の音」と言ったところだ。いったい「勉強」に「音」などがあるだろうかと、疑問に思う読者のほうが多いかと思うが、ちゃんと「勉強」にも「音」はある。本のページをめくる音、ノートに何か書きつける音、茶を飲む音や独り言など、四囲から虫の音が聞こえてくるほどの静かな秋の夜であるから、かすかな室内の音までもがよく聞こえるのである。作者は眠りにつこうとしているのであり、隣の部屋では誰かがまだ勉強しているという図であろう。深夜、本をめくる音が気になると、私はそれぞれ別々のシチュエーションで、二度注意されたことがある。自宅では母に、下宿では同級生に……。いずれも襖一枚をへだてていたのだが、眠ろうとする人にとっては、相当にうるさく聞こえるらしいのだ。放送業界では「ペーパー・ノイズ」といって、台本などの紙をめくる音は大いに騒々しいので、素人の出演者にまで注意したりする。マイクがよく拾う音は、人間の耳にもうるさいということだろうか。句の作者は、しかし、うるさいと思っているわけではあるまい。「勉強」している人に、そしてその「音」に、好ましさを感じながら眠りにつこうとしているのだと思う。『少長集』(1971)所収。(清水哲男)


November 06111998

 ゐなくなるぞゐなくなるぞと残る虫

                           矢島渚男

の千草も虫の音も、枯れて淋しくなりにけり……。これはこれで素敵な詩だ。が、句のように枯れ果てる一歩手前の虫の音を、このようにとらえた作品は珍しくもあり見事でもある。ここで作者は、わずかに残った虫どもに「ゐなくなるぞ」と、いわば脅迫されている。この句を知ってからというものは、私も「今夜で消えるのか、明日までもつのか」などと、消えていく虫の声が気になって仕方がなくなってしまった。でも、ミもフタもない話をしておけば、虫の音が枯れてくるのは物理的な理由による。一つは、数が減ってくること。これは当たり前。もう一つは、虫の音は周知のようにハネをこすりあわせることで「声」のように聞こえるのだが、初秋のころには元気だったハネも、こすっているうちにだんだんと摩滅してくるからだ。で、晩秋ともなると擦り切れてしまい、哀れをもよおすような音しか出なくなってしまう。決して、虫が感傷的に鳴いているのではない。だが、その物理的な理由による消え入るような細い声を、このように聞いている人もいる。そう思うだけで、残った虫たちには失礼なことながら、逆に心温まる気持ちがしてくる。『梟』(1990)所収。(清水哲男)


August 2481999

 彼方の男女虫の言葉を交わしおり

                           原子公平

会の公園だろうか。それとも、もう少し草深い田舎道あたりでの所見だろうか。夕暮れ時で、あたりでは盛んに秋の虫が鳴きはじめた。ふと遠くを見やると、一組の恋人たちとおぼしき男女が語らっている様子が見える。が、見えるだけであって、むろん交わされている言葉までは聞こえてはこない。彼らはきっと、作者の周囲で鳴く虫と同じような言葉でささやきあっているのだろう。そんな錯覚にとらわれてしまった。が、錯覚ではあるにしても、人間同士の愛語も虫どものそれも、しょせんは似たようなものではあるまいか。と、そんなことを作者は感じている。すなわち、愛語は音声を発すること自体に重要な意味あいがあるのであって、言葉の中身にさしたる意味があるわけではない場合が多いからだ。皮肉は一切抜きにして、作者は微笑とともに、そういうことを言っているのだと思う。ああ、過ぎ去りし我が青春の日々よ。作者は、それから半ば憮然として、この場を足早に立ち去ったことだろう。『海は恋人』(1987)所収。(清水哲男)


October 14101999

 ものかげに煙草吸ふ子よ昼の虫

                           鈴木しづ子

とえば「娼婦またよきか熟れたる柿食うぶ」などと奔放に書いた作者の、もう一つの顔はこのようであった。人にかくれて煙草を吸う少年、あるいは少女。チッチッと弱々しげな昼の虫の音が「ものかげ」から聞こえてくる。めったに姿を見せない鉦叩(かねたたき)の類だろうか。作者によって「子」と「虫」がこのように切り取られたとき、その相似性が語るものは、生きとし生けるものなべての哀れさであろう。ただし注目すべきは、作者がどこかでこの「哀れ」を楽しんでいる気配のうかがえるところだ。自虐の深さまでには至っていないが、この気分が昂揚すると娼婦句の世界へとつながっていくのだと思われる。『女流俳句集成』(1999・立風書房)の年譜によれば、鈴木しづ子は1919年(大正8年)東京神田生まれ、東京淑徳高等女学校卒。松村巨愀の主宰誌「樹海」に出句し、戦後間もなくは各務原市に住んで二冊の句集を出版したが、その後はぷつりと消息を断ってしまった。現在に至るも、生死不明という。第一句集『春雷』(1946)所収。(清水哲男)


September 1092001

 一米四方もあれば虫の村

                           五味 靖

んだとたんに「なるほどね」と膝を打った。虫の音や姿を詠むのは、人間のいわば手前勝手な営みだが、虫同士の生活の場に思いをいたすのは、その反対だ。小さな虫たちが、それもたったの「一米四方」で村落を形成していると想像することで、鳴き声や姿の受け取りようも、ずいぶんと変わってくるではないか。私に虫のテリトリーの知識は皆無だけれど、この小さな「村」から生涯出ていかない(いけない)虫もいるのだろう。逆に、村から村へと渡り歩く気ままな流れ者もいそうである。戦いもあれば、災害もあるだろう。あれこれそんなことを考えていると、小さな虫たちに一入(ひとしお)いとしい気持ちがわいてくる。作者は、とても優しい人なのだろうなとも思う。そして小さな「村」があるからには、それらが寄り集まった「国」も存在する理屈だ。同じ句集に「寝落つとは虫の国へと入りしこと」があり、この句にもまた「なるほどね」と、作者の独特な資質を感じた。虫の音を聞いているうちに、いつしか「寝落」ちてしまった。考えてみれば「寝る」とは自然の摂理に同化することであり、人為的な「国」やら文化文明の類いとは切れてしまうことだ。このときに、人間も虫もが同じ「国」に生きるのである。なお、両句とも季語は「虫」で秋季。『武蔵』(2001)所収。(清水哲男)


September 1692001

 或る闇は蟲の形をして哭けり

                           河原枇杷男

の音しきりの窓辺で書いています。窓外は真っ暗と言いたいところですが、東京の郊外といえども、どこかしらに光りがあって、真の闇は望むべくもありません。でも、虫の声の聞こえてくるあたりを見やると、そこはたしかに闇の中という感じがします。あちこちに、とても小さな真の闇がある。その意味では、都会の闇には、いつもそれなりの「形」があると言ってもよいだろう。むろん揚句の闇は、巨大なる真の闇である。鼻をつままれても、相手が誰だかわからないほどの……。だから、この闇には形などないわけで、そんな闇に「蟲(むし)の形」を与えたところが手柄の句。そして「哭(な)けり」の主語は「蟲」ではなくて、あくまでも「闇」そのものだ。平たく言えば、たまたま「闇」が「蟲」の形をして、いま「哭」いているのだよという見立て。したがって、句の「蟲の形」は明確な輪郭を持つものではない。いわば心眼をこらせば「蟲の形」をなしてくる「或る闇」なのだ。見ようとしなければ絶対に見えない「形」だし、見ようとすれば見える感じになる「形」である。故にたとえば「或る時」に「或る闇」は、たまたま人間の形になって哭くこともあるだろう。そんな方向に読者を連れていくのが、この句の大きな魅力だと思った。『密』(1970)所収。(清水哲男)


September 0392002

 虫の夜の星空に浮く地球かな

                           大峯あきら

語は「虫」で秋。秋に鳴く虫一般のことだが、俳句で単に「虫」といえば、草むらで鳴く虫たちだけを指す。鳴くのは、雄のみ。さて、天には星、地には草叢にすだく虫。作者は、まことに爽やかかつ情緒纏綿たる秋の夜のひとときを楽しんでいる。星空を見上げているうちに、自分がいまこうして存在している「地球」もまた、あれらの星のように「空」に浮かんでいるのだと思った。すると、作者の視座に不思議なずれが生じてきた。地球をはるかに離れて、どこか宇宙の一点から星空全体を眺めているような……。この視座からすると、たしかに地球が遠くで青く光る姿も見えてくるのである。となれば、虫たちは地球上の草叢ではなくて、いわば宇宙という草叢全体ですだいている理屈になる。つまり、作者には庭先の真っ暗な草叢が、にわかに宇宙的な広がりをもって感じられたということだろう。一種の錯覚の面白さだが、はじめて読んだときには、ふわりと浮遊していく自分を感じて、軽い目まいを覚えた。それは、地球が空に浮いているという道理からではなく、草叢がいきなり宇宙空間全体に拡大されたことから来たようだった。『夏の峠』(1997)所収。(清水哲男)


October 16102002

 蚊帳吊るも寒さしのぎや蟲の宿

                           富田木歩

帳(かや)が出てくるが、季節は「蟲(虫)」すだく秋の候。夜がかなり寒くなってきた、ちょうど今頃の句だろう。「蟲の宿」は自宅だ。一読、この生活の知恵には意表を突かれた。冷え込んできたからといっても、まだ重い冬の蒲団を出すほどの本格的な寒さではない。夏のままの夜具を使いまわしながら、なんとなく一夜一夜をやり過ごしてきた。が、今夜の冷えはちょっと厳しいようだ。思い切って冬のものに切り換えようかとも思ったけれど、また明日になれば暖かさが戻ってくるかもしれない。そうなると厄介だ。何か他に上手い方策はないものか。と考えていて、ふと蚊帳を吊って寝ることを思いついたのである。どれほどの効果があるものかはわからないが、夏の蚊帳の中での体験からすると、あれはかなり暑い。となれば、相当な防寒効果もあるのではないか。きっと大丈夫。我ながら名案だなと、作者は微苦笑している。ご存知の方も多いように、木歩は幼いときに歩行の自由を失い、鰻屋だった家も没落して、世間的には悲惨な生涯を送った人だ。だから彼の句は、とかく暗く陰鬱に読み解かれがちだが、全部が全部、暗い句ばかりではない。掲句の一種の茶目っ気もまた、木歩本来の気質に備わっていたものである。小沢信男編『松倉米吉・富田木歩・鶴彬』(2002・EDI叢書)所収。(清水哲男)


September 0892005

 千の蟲鳴く一匹の狂ひ鳴き

                           三橋鷹女

語は「蟲(虫)」で秋。たくさんの(千の)「蟲」が鳴いている。と、なかに「一匹」だけ、他の蟲とはまったく違う鳴き方をしているのがいる。どう聞いてみても,明らかに「狂ひ鳴き」だ。まことに哀れである。表面的にはこういう意味だろうが、これが作者晩年の句と知れば、年老いて至りついた一つの感慨と読みたくなる。このときに、実際に千の蟲は鳴いていたのだろう。だが、どこにも「狂ひ鳴き」の蟲なんぞはいはしなかった。いたとすれば、それは蟲ならぬ作者自身に他なるまい。人と生まれて人並みに生きてきたつもりだったが、振り返ってみると、そして今も、私ひとりだけはどうやら狂い鳴きの人生だったようだ……。俳誌「船団」に三宅やよいが連載中の「鷹女への旅」によれば、俳句では「人嫌いとも思える孤高を保っていた印象のある」彼女だったが、日常生活では「気遣いの行き届いた親切な人」であった。そのことを三宅は、鷹女の長男である三橋陽一の談話資料で裏付けている。鷹女の夫は歯科医だった。「内助の功というか、患者さんを大事にしましてね。よくお茶を出したりしてました。診察が終わると応接間でどうぞお話しくださいと、母がお茶を出したりとか。(中略)患者さんが来るとお茶を飲むのが普通なのかと思うくらいに」。詳しくは「船団」を見てほしいが、こうした側面ではまったき「千の蟲」であった人だ。だからこそ他方で孤高の俳人格を生きた自分が、日常と創作のはざまにあって、引き裂かれた人生を送ってきたと痛感しているのである。しかし、そのどちらもが本当の自分なのだ。そこが切なく、苦しい。『女流俳句集成』(1999)所載。(清水哲男)


August 3082006

 夏痩せて嫌ひなものは嫌ひなり

                           三橋鷹女

月に何年ぶりかで成田山新勝寺の祇園祭に出かけた。広々とした本堂前にくり出した山車を見物し、広い公園を散策したのち古い店で鰻を食べた。その帰り、にぎわう参道の傍らにポツリと立つ和服姿の女性の前でふっと足をとめた。鷹女さん――写真で見覚えのある鷹女の、気品ある等身大のブロンズ像だった。彼女は成田に生まれたし、父は新勝寺の重役を務めた。眼鏡の奥の鋭い目。とがった顎。この人が夏痩せしたら、いっそう全体にとがっただろうに。毅然として「嫌ひなものは嫌ひなり」ときっぱり言い切ったら、暑気も何も吹っ飛んでしまうだろう。ヤワではない。それは鷹女の気性であったことはもちろんだが、じつは一見柔和そうな女性が内に秘めている勁さでもあると思われる。こういう句を作った女性が果して幸せだったか否か・・・。そこいらに転がっている、いわゆる「台所俳句」などの類を顔色なからしめる世界である。「おそらく終生枉げることのできなかったであろう激しい気性や潔癖な性質を伝える句」という馬場あき子の指摘が、とりわけ初期の句を言い当てている。いや、晩年の遺作にも「千の蟲鳴く一匹の狂ひ鳴き」「木枯山枯木を折れば骨の匂ひ」などがあり、激しさは健在だった。第一句集『向日葵』(1940)所収。(八木忠栄)


October 09102006

 虫の夜の寄り添ふものに手暗がり

                           黛まどか

句で「虫」と言えば秋に鳴く虫のことだが、草むらですだく虫たちを指し、蝉などは除外する。そろそろ肌寒さを覚えるようになった頃の秋の夜、ひとり自室で虫の音を聞いていると、故知れぬ寂しい感情に襲われることがある。しょせん、人はひとりぼっち‥‥。そんな思いにとらわれてしまうのも、そうした夜のひとときだ。無性に人恋しくなったりして、そのことがまた寂しさを募らせる。この寂しい気持ちを癒すために、何かに寄り添いたい、いや何かに寄り添ってもらいたい。自然にわいてくるこの感情のなかで、作者はふと自分の手元に視線をやった。最前まで本をよんでいたのか、書き物でもしていたのか。手元をみつめると、そこに「手暗がり」ができている。読書や書き物に手暗がりはうっとうしい限りだけれど、いまの作者の寂しい感情はそれすらをも、自分に寄り添ってくれているものとして、いとおしく感じられたということである。形容矛盾かもしれないが、このときに作者が感じたのは、心地よい寂寥感とでも言うべき心持ちだ。この種のセンチメンタリズムの奥にあるのは、おそらく自己愛であろうから、一歩間違えると大甘な句になってしまう。そこを作者は巧みに避けて、その心持ちを小さな手暗がりにのみ投影させたことにより、読者とともに心地よい寂寥感を共有することになった。『忘れ貝』(2006)所収。(清水哲男)


October 17102006

 小鳥来るはじめて話すことばかり

                           明隅礼子

語「小鳥来る」は、秋に渡ってくる鳥のなかでも鶇(つぐみ)、鶸(ひわ)などの鳥に限定されて使われる。身体の小さな鳥たちが賑やかにさんざめく様子もさることながら、「コトリクル」の愛らしい響きには華やぎがあり、続く「はじめて話すことばかり」の調べにも明るいきらめきを感じる。並ぶ句に「胎の子の四方は闇なり虫の夜」とあることから、掲句もおそらくお腹の子へ語りかけているのだと推察する。というのも「話す」の文字を使ってはいても、どこか人の気配を感じさせない静謐さを漂わせているからだ。とかく秋という季節が持つ背景が、ひとりきりの空気を引き出すからだろうか。小鳥たちが頭を寄せ合う景色をゆるやかにまとい、静かにひとりごちている作者の姿がある。そこから見える風景や、自分のこと、家族のこと、そしてどんなにかあなたをみんなが待っていること。清らかな秋の光りに包まれ、それは歌うようにいつまでも続き、お腹の子が耳にするはじめての子守唄となっていることだろう。精神的な父親の自覚と違い、母親の自覚は常に肉体的なものだが、女性も出産と同時に瞬時に母親になるのではない。自分のなかにもうひとつの命のある不思議さを躊躇なく受け入れたときから、こうして胎児と濃密なふたりきりの時間をじゅうぶん過ごしつつ、母性は茂る葉のように育っていくのだろう。「はらはらと麒麟は青葉食べこぼし」「しやぼん玉はじめ遠くへ行くつもり」なども羨望の句。『星槎』(2006)所収。(土肥あき子)


October 28102008

 歩きまはればたましひ揺らぐ紅葉山

                           本郷をさむ

ろそろ都心の街路樹も色づき始めた。淡い色彩で満開になる桜と違い、鮮やかな赤や黄色が満載の紅葉を視界いっぱいに映していると、くらくらとめまいがするような心地になる。それは、単純に色だけの問題ではなく、もしかしたら科学的に身体や視覚に作用するなにかがあるのかもしれないと調べてみたら、紅葉の仕組みはまだ解明されていない点が多いらしい。花見や月見と違って、紅葉を見物することは紅葉狩、「見る」ではなく「狩る」なのである。秋の山の奥へ奥へと進み、紅葉する木々を眺めることは、花や月を愛でつつ飲食を伴う遊山とは違う、きりりと張り詰めた緊張感があるように思う。透き通った空気のなかで原色の世界に身を置く不安が「足を止めてはいけない」と、心を揺さぶるのだろうか。ところで、書名となっている「物語山」とは、群馬県下仁田町にある実在の山だという。名の由来には諸説あるらしいが、この風変わりな名を持つ山では、きっと魂を閉じ込めておくのが難しいほどの美しい紅葉を見せてくれるのではないかと思うのだった。〈物語山返信のやうに朴落葉〉〈コンビニを曲りて虫の村に入る〉『物語山』(2008)所収。(土肥あき子)


October 10102010

 さびしさはどれも劣らず虫合

                           北 虎

夜10時になると、犬の散歩に出かけるわたしは、このごろ確かに虫の涼やかな声を聞くことが多くなりました。坂道の途中で犬が、理由もなく急に立ち止まると、やることもなくその場で虫の声に聞き入ってしまいます。今日の句、虫合は「むしあわせ」と読みます。平安時代に、郊外に出かけて鳴き声のいい虫を捕り、宮中に奉ったことを「虫選(むしえらび)」と言い、虫の声のよしあしを合わせて遊ぶことを虫合というと、歳時記に説明がありました。なるほど、今ほど刺激的な時間のつかい方がなかった時代には、草づくしだの、虫合だの、じかに手で自然に触れて、そのまわりでささやかな楽しみを見つけていたようです。今日の句では、虫たちが競っている響きのよい声を、「さびしさ」に置き換えています。秋の虫の声そのものにさびしさを感じるだけではなく、一生を美しく鳴き通すことをも、さびしいといっているかのようです。そういえばこのさびしさは、どんな遊びに興じた後にも襲ってくるさびしさと、通じるものがあるのかもしれません。『角川俳句大歳時記 秋』(2006・角川書店)所載。(松下育男)


October 16102010

 虫の夜のコップは水に沈みをり

                           飯田 晴

元の「安野光雅の画集」(1977・講談社)に、「コップへの不可能な接近」(谷川俊太郎)という詩の抜粋が載っている。そこに「それは直立した凹みである」という一行があるのだが、テーブルに置かれた空のコップを見てなるほどと思った。そこに水を注ぐと、あたりまえだけれど水はきちんとコップにおさまり、コップは水を包み守りながら直立し続ける。そんなコップが一日の役目を終え、台所の流しに浸けられている。透明な水がそのうちそとを満たし、力のぬけたコップをいまは水が包んでいるようだ。ひたすらな虫の夜に包まれている作者、夜の厨の風景が虫の音を静かに際立たせている。『たんぽぽ生活』(2010)所収。(今井肖子)


September 0992012

 虫鳴いて裏町の闇やはらかし

                           楠本憲吉

の仲間と別れ、表通りをほろ酔い気分で歩いている。虫の音に誘われて、裏町に足を踏み入れると、闇は濃くやわらかい。この裏町には、私ひとりを招き入れてくれる隠れ家がありそうだ。裏町には人も棲んでいて、鉢植えもあるので、虫の寝床もあります。裏町の路地は、海でいうならカニやヤドカリが棲息できる入り江や磯に似て、表の世界で疲れたり、傷ついたりした男たちが、身をやすめに来られるところです。日本の都市の多くは、表通りと裏通りが平行しています。表通りが広い車道のオフィスビル街なのに対して、裏通りは車の入りにくい商店街や飲食街、それに民家も続いていて、都市のにぎわいを形成しています。たとえば銀座なら、昭和通りに平行し交わる路地は数十を越えますし、大阪なら、御堂筋に平行する心斎橋筋に活気があります。たぶん、街を楽しむということは、歩くことを楽しむということで、そのとき、虫の音や、闇のやわらかさを肌で感じとれるということなのでしょう。「日本大歳時記・秋」(1981・講談社)所載。(小笠原高志)


October 18102012

 友の子に友の匂ひや梨しやりり

                           野口る理

の頃は赤ん坊や幼児を連れている若い母親を見かけることがほとんどない。子供の集まる場所へ縁がなくなったこともあるのだろう。乳離れしていない赤ん坊だと乳臭いだろうから、目鼻立ちも整い歩き始めた幼児ぐらいだろうか。ふっとよぎる匂いに身近にいた頃の友の匂いを感じたのだろう。中七を「や」で切った古風な文体だが、下五の「梨しやりり」が印象的。「匂い」の生暖かさとの対比に梨が持つ冷たい食感や手触りが際立つのだ。「虫の音や私も入れて私たち」「わたくしの瞳(め)になりたがつてゐる葡萄」おおむね平明な俳句の文体であるが、盛り込まれた言葉にこの作者ならではの感性が光っている。『俳コレ』所載。(三宅やよい)


June 1962015

 海鵜憂し光まみれであるがゆえ

                           高野ムツオ

は全身光沢のある黒色で、嘴の先がかぎ状になっている。潜水が上手で魚を捕食し水から上がると翼を広げて乾かす習性がある。主に川鵜と海鵜が知られる。川鵜は東京上野の不忍池でよく見られる。海鵜の方は長良川の鵜飼いで有名である。掲句の海鵜はきらきらと光が眩しい岩礁に体を曝して羽を休めているのであろう。波の飛沫の光りの中に黒い体を沈めている。黒い体は黒い闇に抱かれた時心休まる。そんな我身が今白日の下に晒されて、光まみれとなり、ふいと憂鬱に襲われている。他に<わが恋は永久に中古や昼の虫><死際にとっておきたき春の雨><大志なら芋煮を囲み語るべし>など。『満の翅』(2013)所収。(藤嶋 務)


October 13102015

 虫の音に満ちたる湯舟誕生日

                           山田径子

の声が力強く響く夜。同じ季節の風物詩でありながら蝉や蛙のように「うるさい!」と一喝されないのは、心地よい秋の空気も味方をしてくれているのだろう。西欧人が虫や鳥の声を音楽脳で処理するのに対し、日本人は言語脳が働くという。鳥の聞きなしや虫の音を「虫の声」と表現する日本語を思うと、大きく頷ける。掲句は湯船につかる幸せなひとときに、虫の音がたっぷりと届く。「満ちる」の斡旋によって、さみしげな印象を振り払い、誕生日の今日を寿ぎ、一斉に合奏してくれているようなにぎやかさに包まれた。湯船にひとり、幸せな虫の音の海にたゆたう。と、私事ながら本日誕生日(^^)〈いくたびも大志を乗せし船おぼろ〉〈林立も孤立も蒲の穂の太し〉『楓樹』(2015)所収。(土肥あき子)




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