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September 1091996

 案山子たつれば群雀空にしづまらず

                           飯田蛇笏

っくき雀どもよ、来るなら来てみろ。ほとんど自分が案山子(かかし)になりきって、はったと天をにらんでいる図。まことに恰好がよろしい。風格がある。農家の子供だったので、私にも作者の気持ちはよくわかる。一方、清崎敏郎に「頼りなくあれど頼りの案山子かな」(『系譜』所収)という句がある。ここで蛇笏と敏郎は、ほぼ同じシチュエーションをうたっている。されど、この落差。才能の差ではない。俳句もまた人生の演出の場と捉えれば、その方法の差でしかないだろう。どちらが好ましいか。それは、読者が自らの人生に照らして決めることだ。『山盧集』所収。(清水哲男)


November 09112003

 さやけしやまためぐりあふ山のいろ

                           かもめ

語は「さやけし」で秋。立冬は過ぎたが、これからしばらくの間、秋と冬の句が混在していくことになる。実際の季節感が秋のようであったり、冬のようであったりと、グラデーション的に寒い季節に入っていく。俳人によっては、もう秋の季語は使わないという人もいると聞くが、そこまで暦に義理を立てる必要はないだろう。是々非々で行く。掲句に目がとまったのは、最近とみに私も、同じような感慨を覚えるようになったからだ。昨年と同じ「山のいろ」にまためぐりあえたというだけで、心の澄む思いがする。まさに「さやけし」である。この心の裏側には、あと何度くらい同じ色にめぐりあえるだろうかという思いがある。いまアテネ五輪に向けての予選がいろいろ行われているが、アテネはともかく、次の北京を見られるだろうか。下世話に言うと、そういう思いと重なる。作者の年齢は知らないけれど、少なくとも若い人ではあるまい。また同じ作者の他の句を見ると「案山子さま吾は一人で立てませぬ」「秋冷の片足で取る新聞紙」などがある。歩行が不自由で、多く寝たままの生活を余儀なくされている方のようだ。だとしたら、なおさらに「まためぐりあふ山のいろ」が格別に身に沁み入ってくる。「案山子さま」という呼びかけ方にも、単なる親しみを越えて、なにか敬意を示したまなざしが感じられる。我が身と同じように人の手を借りて立つ案山子ではあるが、私よりもすっくと凛々しく立っておられる……。御身御大切に。WebPage「きっこのハイヒール」(2003年11月4日付)所載。(清水哲男)


August 2682004

 抱へゆく不出来の案山子見られけり

                           松藤夏山

語は「案山子(かがし)」で秋。「かかし」と発音する人のほうが多いと思うが、「かがし」と濁るのが本来だ。大昔には鳥獣の毛や肉を焼いて、その臭いで害鳥などを追い払った。つまり「嗅がし」に語源があるので濁るというわけである。この句を読んであらためて、案山子にもちゃんと作者がいるのだと気づかされた。当たり前といえば言えるけれど、通りすがりに眺める人のほとんどが、作者の存在には思いが及ばないだろう。よほど目立つ傑作は別にして、作りの上手下手なども気にはかけない。それに案山子の役割は害敵を追い払うことなので、人の目から見た巧拙が、そのレベルの高低で鳥たちに通じるかどうかも疑問だ。「なんだ、こりゃ」みたいな下手っぴいな作りの案山子が、いちばん効果を上げるかもしれないのである。いくら造形的に優れていても、効果がゼロなら話にもならない。要するに、当事者以外はどんな案山子だって良いじゃないかと思うしかないのである。ところが句の作者のように当事者ともなると、事情は大きく変わってくる。そこはそれ近所の手前もあって、そう下手なものは作れない。が、結果は無惨な案山子が出来上がり、立てないわけにもいかないのでコソコソと隠すようにして運んでいる途中で、不運にも「見られけり」。冷や汗が吹き出たことだろう。笑っちゃ悪いけれど、思わずも笑っちゃった。『新歳時記・秋』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)


October 01102008

 秋風や案山子の骨の十文字

                           鈴木牧之

風と案山子で季重なりだが、案山子にウェイトが置かれているのは明らかゆえ、さほどこだわることはあるまい。「案山子」の語源は、もともと鳥獣の肉を焼き、その臭いを嗅がせて鳥を追い払ったところから「かがし」が正しいという(ところが、私のパソコンでは「かかし」でしか「案山子」に変換できない)。実った稲が刈り取られたあと、だだっ広い刈田に、間抜けな姿でまだ佇んでいる案山子の光景である。稲穂の金波のうねりに揺られるようにして立っている時期の案山子とはまるでちがって、くたびれて今やその一本足の足もとまですっかり見えてしまっている。なるほど案山子には骨のみあって肉はない。竹で組まれた腕と足を、「骨の十文字」とはお見事。寒々しく間抜けているくせに、どこかしら滑稽でさえある。昨今の日本の田園地帯では、もはや案山子の姿は見られなくなったのではないか。数年前に韓国の農村地帯で色どり豊かな案山子をいくつか見つけて驚いたことがある。それは実用というよりも、アート展示の一環だったようにも感じられた。案山子ののどかな役割はもはや終焉したと言っていいだろう。与謝蕪村は「水落ちて細脛高きかがしかな」と詠んでいて、こちらは滑稽味がさらにまさっている。牧之は越後塩沢の人で、縮(ちぢみ)の仲買いをしていて、雪国の名著『北越雪譜』『秋山記行』を著わした文雅の士であった。文政四年(1830)に自撰の『秋月庵発句集』が編まれた。「牧之」は俳号。『秋月庵発句集』(1983)所収。(八木忠栄)


March 0432009

 人形も腹話術師も春の風邪

                           和田 誠

どもの頃、ドサまわりの演芸団のなかにはたいてい腹話術も入っていて、奇妙といえば奇妙なあの芸を楽しませ笑わせてくれた。すこし生意気な年齢になると、抱っこされて目をクリクリ、口パクパクの人形の顔もさることながら、腹話術師の口元のほうに目線を奪われがちだった。なんだ、唇がけっこう動いているじゃないか、ヘタクソ!とシラケたりしていた。腹話術師は風邪を引いたからといって、舞台でマスクをするわけにはいかないから、人形にも風邪はうつってしまうかもしれない。絶対にうつるにちがいない、と考えると愉快になる。――そんな妄想を、否応なくかきたててくれるこの句がうれしい。冬場の風邪ではなく、「春の風邪」だからそれほど深刻ではないし、どこかしらちょいと色気さえ感じられる。そのくせ春の風邪は治りにくい。舞台の両者はきっと明かるくて軽快な会話を楽しんでいるにちがいない。ヨーロッパで人形を使った腹話術が登場したのは、18世紀なかばとされる。イラストだけでなく、しゃれた映画や、本職に負けない詩や俳句もこなすマルチ人間の和田さん。通常言われる「真っ赤な嘘」に対し、他愛もない嘘=「白い嘘」を句集名にしたとのこと。ことばが好きであることを、「これは嘘ではありません」と後記でしゃれてみせる。ほかに「へのへのと横目で睨む案山子かな」という句も楽しい。虚子の句に「病にも色あらば黄や春の風邪」がある。『白い嘘』(2002)所収。(八木忠栄)


September 2892015

 雀らの友となりたる捨案山子

                           矢島渚男

作農家の子のくせに、案山子とはほとんど縁がなかった。我が家に限らず、私の田舎では、案山子を立てる家は少なかった。おそらくは案山子によって追い払われる純情な雀らなど、もはや存在しなかったからだろう。鳥たちには鳥たちの学習能力があって、最初は人間の形にだまされても、だんだんと動かない案山子が無害であることに気づき、平気で無視して飛び回るようになったのだ。だから人間の側にしても一工夫も二工夫も重ねる必要があり、鳴子を使ってけたたましい音を発することにより、ときどき驚かしては追い払ったりすることなどを試みていた。我が田舎では、この鳴子方式が主流だったように思う。それでも一種のおまじないのように立てられていた案山子がなかったわけではない。人間にしてみれば、どうせまじないなのだからと、案山子の衣裳も顔も素朴なもので、子供の目にも「やっつけ仕事」で作られたように思えた。例の「へのへのもへじ」顔の案山子である。したがって、収穫のシーズンが終わっても大切にしまわれることもなく、そのままうっちゃっておかれる「捨案山子」がほとんどだった。『越年』所収。(清水哲男)




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