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September 0891996

 思ひ寝と言ふほどでなし秋しぐれ

                           中村苑子

ひ寝。「恋しい人を思いながら寝ること」(大辞林)。それほどではないけれど、好ましい誰かをふと思いうかべながら眠りにつく。いつか雨の音が聞こえている。しぐれ(時雨)は冬の季語だが、ここは秋のしぐれ。(辻征夫)


October 09102007

 止り木も檻の裡なり秋時雨

                           瀧澤和治

週末あたりから金木犀の香りが漂うようになったが、せっかくの香りを流してしまうような雨が続いている。颱風の激しさのなかの9月の雨とも、冬の気配を連れてくる11月の雨とも違う10月の雨は、さみしさの塊がぐずぐずとくずれていくように降り続ける。掲句の季題である「秋時雨」にも、「春時雨」の持つ明るさや、冬季の「時雨」が持つ趣きとは別の、心もとない侘しさが感じられる。静かに降り続ける雨のなかで、檻の裡(うち)を見つめる作者。タカやハヤブサ、あるいはフクロウなどの猛禽の名札が付いているはずの檻のなかに、生き物の姿はどこにもない。ただ止り木が描かれているだけだ。そしてそれこそが痛みの源として存在している。翼を休めるための止まり木が渡されてはいても、はばたく大空はそこにはないのだから。ドイツの詩人リルケは「豹」という作品で、檻の内側で旋回運動を続ける豹の姿をひたすら正確に書きとめることで生命の根拠を得たが、掲句では檻のなかの生き物をひたすら見ないことで、いのちの存在を際立たせた。『衍』(2006)所収。(土肥あき子)


February 2322011

 風花やわれに寄り添ふ母の墓

                           加宮貴一

雪、淡雪、沫雪、雪浪、雪しまき、雪まろげ、雪つぶて、銀花、六花(むつのはな)、そして風花……雪の呼び方や種類には情緒たっぷりのものがある。雪と闘っている人にとっては「情緒もクソもあるものか!」と言われそうだけれど。豪雪とか雪崩、雪害などという言葉は人に好かれないが、「風花」はロマンチックでさえある。晴れあがった冬空のもと、それほど寒くもない日に、こまやかな雪片があるかなきかに風に舞う。雪景色のなかであればいっそう繊細な味わいが広がる。掲句はもちろん、母の墓が「われ」に寄り添ってきたわけではない。母の墓にお詣りして、しばし寄り添っている静かな光景であろう。そこへ舞うともなく風花がちらほら舞っている。作者の心は墓と風花の両方に寄り添っているのだろう。墓前でそんな束の間の幸福感に浸っている。「寄り添ふ」のはやはり「母の墓」でなくてはなるまい。雪国で雪が降りつづけたあと、からりと青空がのぞく日がまれにあって、そんな時ちらつく風花は冬の格別な恵みのように感じられる。作家・貴一には「戸隠に日あり千曲の秋時雨」他たくさんの俳句があり、本島高弓との共著句集『吾子と吾夢』がある。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)




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