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September 0591996

 九月の教室蝉がじーんと別れにくる

                           穴井 太

き中学教師だったころの作品。そういえば、そうでしたね。この季節、遅生まれ(?)の油蝉なんかが、校庭の樹にいきなりやってきて鳴いていました。蝉しぐれの時も終っているだけに、その一匹の声が、ヤケに声高に聞こえたものです。懐しくも切なく感じられる一句です。私は学校が嫌いでしたが、やはり学校はみんなが通った共通の場。この句を読むと、それぞれにそれぞれの郷愁をかきたてられるのではないでしょうか。字余りは作者得意の技法ともいえ、これを指して「武骨に澄んでいる」と評した城門次人の言は的確です。『鶏と鳩と夕焼と』所収。(清水哲男)


August 0781997

 夜の蝉人の世どこかくひちがふ

                           成瀬櫻桃子

たま、夜に鳴く蝉がいる。虫ではあるが、一種の人間的な狂気を感じて恐くなったりする。自然の秩序から外れて鳴くそんな蝉の声を耳にして、作者は、ともすれば人の世の秩序から外れてしまいそうな我が身をいぶかしく思うのである。いかに努力を傾注してみても、くいちがいは必ず起きてきたし、これからも起きるだろう。みずからもまた、夜鳴く蝉にならないという保証はないのだ。何が、どこでどうなっているのか。突き詰めた詠み方ではないだけに、かえって悲哀の感情が滲み出てくる。『成瀬櫻桃子句集』(ふらんす堂・現代俳句文庫)所収。(清水哲男)


July 2571999

 蝉の家したい放題いませねば

                           藤本節子

者は、やかましいほどの蝉時雨を浴びている家にいる。でも、ちっとも不愉快じゃない。むしろ、蝉時雨に拮抗できるほどの元気が、作者にも、そして家族にもあるということだ。病人一人いるわけじゃなし、みんなが元気という、いわば一家の盛りの夏である。とはいえ、この家のこうした元気もいつかは衰えていくだろう、そう長くはつづくまいと、作者は予感している。すでに家中に、かすかな兆しが見えはじめているのかもしれない。だからこその、今のうちなのだ。誰に気兼ねをすることもなく、したい放題自由にふるまう時間は短いだろうから、何でも好きなことをやっておかねば……。俳句にしては、珍しく明朗で愉快なメッセージが伝わってくる。私などは「元気だなあ」と半ば呆れ、半ば感心させられる句境だ。ところで、作者の「したい放題」とは、何だろうか。おそらく、作者にもよくわからないのではないか。とにかく「したい放題」何でもやるのだという元気な決意が、沸き立つ蝉の声を貫いて読者に届けば、それが作者の本意なのだと思う。(清水哲男)


August 0681999

 蝉しぐれ窓なき部屋を借りしと次子

                           古沢太穂

暑。季節が季節だけに、次子からのこの報告は、我が身にもこたえる。窓のない部屋、粗末なアパートの一室を借りたというのである。たしかに家賃は安いだろうが、いかにも不憫だ。何とかしてやろうにも、親の側も手元不如意。どうにもならない身を責めるように、蝉たちがしぐれのごとく鳴いている。単なる出来事のレポートだけれど、燃えるような夏の暑さが、よく伝わってくる。アパートといえば、外観からはうかがいしれぬ様々な部屋がある。不動産屋で調べて行ってみると、たしかに四畳半は四畳半だが、三角の部屋だったりしたこともある。窓があるにはあっても、開けると間近に隣の建物の壁しか見えない部屋も。山本有三の『路傍の石』には、アパートではないけれど、垂直の階段を上り下りする屋根裏部屋が出てくる。階段というよりも梯子だ。今だって、みんながみんな、テレビドラマに出てくるようなしゃれた部屋に居住しているわけではない。窓のない部屋の人もいるだろう。が、街に出ている人の服装や様子は、みんな同じように見える。それが「街」という空間なのだろうけれど。『火雲』(1982)所収。(清水哲男)


August 0781999

 校庭に映画はじまるまでの蝉

                           大牧 広

かが、野外映画会の句を作っているはずだと、長年探していた。遂に、見つけた。平凡な句ではあるけれど、私には嬉しい作品だ。若い読者のために説明しておくと、敗戦後の一時期、娯楽に飢えた人々を癒すため(商売ではあったけれど)に、映画館がなかったり遠かったりする村や町では、巡回映画と称した映画会が開かれていた。句のように、たいていは学校の運動場が会場だった。まだ蝉の声しきりの明るいうちから、オート三輪に映写機材やフィルムの缶を乗せたおじさんがやってきて、校庭に大きな白い布のスクリーンを張り、暗くなると、二カ月ほど前くらいの古いニュース映画とメインの劇映画を上映する。料金は忘れたが、子供といえども無料ではなかった。映画館のように囲いもないのだから、料金を払わなくても見ることは可能だった。が、タダで見た人は一人もいなかっただろう。おじさんの目ではなくて、村社会の監視の目が、そういうことを許さなかったからだ。大人も子供も、蝉しぐれの校庭で、間もなくはじまる映画への期待に、いささか興奮している。そんな気分のなかに、作者も一枚加わっている。校庭映画で、小学生の私は谷口千吉監督、黒沢明脚本、三船敏郎出演の『銀嶺の果て』(東宝・1947)などを見た。(清水哲男)


August 2081999

 油蝉死せり夕日へ両手つき

                           岡本 眸

ろそろ、油蝉の季節も終りに近づいてきた。地上に出てきた蝉の寿命は短いから、夏の間蝉はいつでも死につづけている理屈だが、この句は夕日を強調していることもあり、初秋に近い作品だろう。偶然の死に姿とはわかっていても、その夕日に謝しているような姿勢が、心を有したものの最期のように思えてくる。激しくも壮烈な死を遂げた、という感じだ。荘厳ですらある。作者は見たままに詠んでいて、格別の作為はない。そこが、よい。見事という他はない。このところ、放送の仕事が終わると、バス・ストップまで西日を正面から浴びて歩く。それだけで、汗だくになる。バスに乗ったら乗ったで、その強烈な陽射しが、冷房を利かせないほどだ。とても、夕日側の窓の席に着く度胸はない。少々混んでいても、そんな席だけはぽつりぽつりと空いているのだから、物凄い暑さである。バスを降りて五分ほど、今度は蝉しぐれと排気ガスでむうっとした道を帰る。そういえば、今年はまだ蝉の抜け殻も死骸も見ていない。『冬』(1976)所収。(清水哲男)


July 2172000

 女等昼寝ネオンの骨に蝉が鳴く

                           ねじめ正也

者は東京・高円寺で乾物店をいとなんでいた。店は常時開けてあるので、みなでいっせいに昼寝というわけにはいかない。妻や母などの「女等」が昼寝をしている間の店番だ。それでなくとも人通りの少ない炎天下、客の来そうな気配もないけれど……。所在なくしていると、ヤケに近くで蝉が鳴きはじめた。目でたどっていくと、ネオンを汲んだ「骨」にとまって鳴いている。いかにも暑苦しげな真昼の「町」の様子が、彷彿としてくる。作者の立場もあるが、炎天にさらされた「町」の情景を、店の中から詠んだ句は珍しいのではなかろうか。「ネオンの骨」には、うっとうしくも確かな説得力がある。句歴の長い人だが、句集は晩年に一冊しかない。子息のねじめ正一の新著というか母堂との共著である『二十三年介護』(新潮社)を読むと、そのあたりの事情がはっきりする。そろそろ句集をと人がすすめると、作者はいつも「そんなもん出せるか」と怒っていたそうだ。たった一冊の句集は、予断を許さぬ病床にあった父への、子供たちからのプレゼントだった。活字になっていないものも含めると、句稿は段ボール三箱分もあったという。『蝿取リボン』(1991・書肆山田)所収。(清水哲男)


August 1282000

 いつまでも捕手号泣す蜥蜴消え

                           今井 聖

合に敗れたチームの「捕手」が、ベンチ脇の草叢に突っ伏して、声をあげて泣いている。プロテクターやレガーズをつけたままだから、「捕手」と知れる。チームメイトが肩などを叩いてやるが、いつまでも泣きやまない。高校野球の地方予選では、ときおり目にする光景だ。このときに「蜥蜴(とかげ)消え」とは、彼の夏が終わったことを暗示している。「蜥蜴」は夏の季語。でも、なぜ「蜥蜴」なのだろうか。彼が「捕手」だからだと、私は読んだ。「捕手」の目は、ナインのなかで一番地面に近い。グラウンドの片隅にある投球練習場所の近くには、たいてい草叢があるので、そこに出没する「蜥蜴」を、彼はいつも目にしてきたわけだ。他の選手は、草叢に「蜥蜴」がいることさえ知らないだろう。でも、負けてしまったので、この夏にはもう「蜥蜴」を見ることもないのである。したがって、作者は「蜥蜴消え」と押さえた。投手を詠んだ句は散見するが、素材に「捕手」を持ってくる句は少ない。地味なポジションに着目するあたり、作者はよほどの野球好きなのだろうか。「グロウブを頭に乗せて蝉時雨」と、微笑を誘われる句もあるので、相当に熱心な人のようではある。「俳句文芸」(2000年8月号)所載。(清水哲男)


August 1382000

 別宅という言葉あり蝉しぐれ

                           穴井 太

いたいが、この人はよくわからない句をたくさん作った。私など、句集を読んでも半分以上はわからない。この句も、然り。ただ、わからないながらも、何となく気になる句が多いのだ。読者の琴線に触れるというよりも、琴線に近いところまではすうっと近づいてくる。が、それ以上は何も言ってくれない。そのたびに苛々させられるのだが、かといって、縁切りにはされたくないと思ってきた。もしかすると、こうした「もどかしさ」の魅力が、穴井太を俳句作家として支えていたのかもしれない。掲句からわかることは、読んで字のごとし。「蝉しぐれ」のなかで、ふと「別宅」という言葉を思い出したと書いているだけだ。作者は長い間、中学校の教員だった。してみると、夏休み中の早い勤務帰りだろうか。「別宅」には別邸や別荘とは違って、「本宅」にいる本妻とは異なる女性の影がある。単に、別の家という意味じゃない。永井荷風のように、常に「別宅」のあった文学者もいたわけで、これからそういう家に行く途中の自分を、ふっと空想したということなのだろう。そうだとしたら、この暑苦しいだけの「蝉しぐれ」も、よほど違って聞こえただろうに。でも、現実は「言葉」だけでのこと。人生には、実に「言葉」だけの世界が多いなア。一瞬の空想の空疎さを、力なく笑ってしまったというところか。蝉しぐれはいよいよ激しく、なお「本宅」までの道は遠い。……とまあ、これも一読者としての私の「蝉しぐれ」のなかの「言葉」だけでしかないのである。『穴井太句集』(1994)所収。(清水哲男)


July 1972001

 「実入れむ実入れむ」田を重くする蝉時雨

                           和湖長六

わゆる「聞きなし」である。鳥のさえずりなどの節まわしを、それに似たことばで置き換えることだ。地方によっても違うだろうが、たとえばコノハズクの「仏法僧」、ホオジロの「一筆啓上仕り候」、ツバメの「土喰うて虫喰うて口渋い」、コジュケイの「ちょっと来い、ちょっと来い」などが一般的だろう。米語にもあるようで、コジュケイは「People pray」だと物の本で知った。日本人のある人には「かあちゃん、こわい」としか聞こえないそうだ(笑)。このように、鳥の「聞きなし」は普通に行われてきたが、掲句のような蝉のそれには初めてお目にかかった。「蝉時雨」だから何蝉ということではなく、作者には集団の鳴き声が「実入れむ実入れむ」と聞こえている。青田を圧するように鳴く蝉たちの声を聞いているうちに、自然にわき上がってきた言葉だから、無理がない。それにしても、こんなにも連日やかましく「実入れむ」と激励されるとなると、いよいよ田の責任は重大だ。「田を重くする」は、そんな田の心情(!)と、田を押さえつけるような蝉時雨の猛烈さとを、諧謔味をまじえて重層的に表現していて納得できる。この夏、信州に行く。あの一面の青田に出会ったら、きっとこの句を思い出すだろう。はたして「実入れむ」と聞こえるかどうか。楽しみだ。『林棲記』(2001)所収。(清水哲男)


August 0482004

 蝉しぐれ防空壕は濡れてゐた

                           吉田汀史

の声、しきり。八月になると、どうしても戦争の記憶が蘇ってくる。といっても、私は敗戦時にはまだ七歳で、先輩方に言わせればぬるま湯のような記憶でしかないことになるのだろう。それでも、東京に暮らしていたから、連日の空襲の記憶などは鮮明だ。白日の空中戦も、何度か目撃した。庭先に掘られた「防空壕」には昼夜を問わず、空襲警報のサイレンが鳴れば飛び込んだものである。立派な防空壕じゃないから、四囲の壁などは剥き出しの土のままだった。夏場には、入るとひんやりとはしていたが、文字通りに泥臭かった。つまり、じめじめと「濡れて」いたのである。おそらく作者も、そんな感触を思い出しているにちがいない。そしてこの句の勘所は、「蝉しぐれ」の「しぐれ(時雨)」に引っ掛けて「濡れて」と遊んだところにあるだろう。現実には「蝉しぐれ」に濡れるわけはないから、一種の言葉の上での遊びであるが、しかしこの言葉遊びは微笑も呼ばなければ苦笑も誘わない。蝉しぐれの喧噪の中にも関わらず、何かしいんとした静けさを読む者の心に植え付けて座り込む。間もなく戦後も六十年。もはや往時茫々の感無きにしも非ずだが、茫々のなかにも掲句のように、いまだくっきりとした体感や手触りは残りつづけている。それが、戦争というものだろう。俳誌「航標」(2004年8月号)所載。(清水哲男)


July 2472005

 蝉時雨一分の狂ひなきノギス

                           辻田克巳

ノギス
語は「蝉時雨(せみしぐれ)」で夏。近着の雑誌「俳句」(2005年8月号)のグラビアページに載っていた句だ。作者の主宰する「幡」15周年を祝う会が京都であり、その集合写真に添えられていた。私は俳人にはほとんど面識がないこともあり、こういうページもあまり見ないのだが、たまたま面白いアングルからの写真だったので目が止まったというわけだ。最前列の中央の作者からなんとなく目を流していたら、いちばん右側に旧知の竹中宏(「翔臨」主宰)が写っていて、懐かしいなあとしばし豆粒のような彼の顔を眺めていた。まあ、それはともかく、この「ノギス」もずいぶんと懐かしい。簡単に言えば、物の長さを測定する道具だ。外径ばかりではなく、段差やパイプの内径とか深さなども測れる。父親が理工系だった関係から、ノギスだの計算尺だの、あるいは少量の薬品などの重さを量る分銅式の計量器だのが、子供の頃から普通に身辺にあった。それらを私はただ玩具のように扱っただけだけれど、どういうものかは一応わかっているつもりだ。蝉の声が降り注ぐ工場か、あるいは何かの研究室か。ともかく暑さも暑し、注意力や集中力が散漫になりがちな環境のなかで、作者(だと思う)は「一分の狂ひ」もないノギス(精度は0.05ミリないしは0.02ミリ)を使って仕事をしている。測っていると、汗が額や目尻に浮かんでくる。それを拭うでもなく、一点に集中している男の顔……。変なことを言うようだが、「カッコいい」とはこういうことである。良い句だなあ。(清水哲男)


August 1482005

 ケチャップの残りを絞る蝉の声

                           桑原三郎

こにも書かれてはいないけれど、晩夏を詠んだ句だと思う。「残り」「絞る」という語句に,過ぎ行く時、消え去るものが暗示されているように読めるからだ。半透明のプラスチック容器から、残り少なくなったケチャップを絞り出すのは,なかなかに厄介である。ポンポンと底を叩いてみたり,容器を端っこからていねいに絞り上げてみたりと、いろいろ試みても,なかなかすんなりとは出て来てくれない。かといって、まだかなり残っているのに捨てるのも惜しいし,けっこう苦労を強いられてしまう。暑さも暑し,そんなふうにして時おりぽとっと落ちてくるケチャップの色はちっとも涼しげではないし,表からは今生の鳴き納めとばかりに絞り出されているような「蝉の声」が聞こえてくるし……。日常的にありふれた食卓の情景とありふれた蝉の鳴き声とを取り合わせて,極まった夏の雰囲気を的確に伝えた句だと読めた。この洒落っ気や、良し。さて、ここで作者のように、ケチャップを絞り出すのに苦労しているみなさんに朗報が(笑)。「日本経済新聞」によれば「ハインツ日本株式会社(本社:東京都台東区浅草橋5−20−8、代表取締役社長:松村章司)は、2005年9月1日(木)より、液ダレしないノズルと、逆さに置ける洗練されたデザインのボトルが特長の『トマトケチャップ 逆さボトル』(通称、逆さケチャップ)を日本で初めて発売いたします。ケチャップは、「液ダレしてキャップの口が汚れ、不衛生」、「へなっとしたボトルは食卓やキッチン台に置きにくい」、「残量が少なくなると出しにくい」など、さまざまな問題点がありました。今回発売される『逆さケチャップ』は、このような主婦の悩みを解決する新しい付加価値商品です」と。『不断』(2005)所収。(清水哲男)


August 0982006

 閑さや岩にしみ入蝉の声

                           松尾芭蕉

蕉のあまりにも有名な句ゆえ、ここに掲げるのは少々面映いけれど、夏の句としてこの句をよけて通るわけにはいかない。改めて言うまでもなく『おくのほそ道』の旅で、芭蕉は山形の尾花沢から最上川の大石田へ向かうはずだった。けれども「一見すべし」と人に勧められ、わざわざ南下して立石寺(慈覚大師の開基)を訪れて、この句を得た。「山上の堂にのぼる。岩に巌を重ねて山とし、松栢年旧、土石老て苔滑に、岩上の院々扉を閉て、物の音きこえず。云々」と記してこの句が添えられている。麓の仙山線・山寺駅で下車して、私は二回その「山上の堂」まで登ったことがある。見上げると切り立つ急峻に圧倒されるが、てっぺんまでは三十分くらいで登れた。一回は1997年8月、秋田からの帰りに種村季弘さんご夫妻と一緒に登った。天地を結ぶ閑けさとただ蝉の声、それは決して喧騒ではなく澄みきった別乾坤だった。あたりをびっしり埋め尽くした蝉の声に身を預け、声をこぎ分けるようにして、汗びっしょりになりながら芭蕉の句を否応なく体感した。奇岩重なる坂道のうねりを這い、途中の蝉塚などにしばし心身を癒された。芭蕉の別案は「山寺や石にしみつく蝉の声」だが、「しみ入」と「しみつく」とでは、その差異おのずと明解である。(八木忠栄)


August 0682007

 子の墓へうちの桔梗を、少し買いそえて持つ

                           松尾あつゆき

日広島忌。松尾あつゆき(荻原井泉水門)は三日後の長崎で被爆し、三人の子供と妻を失った。「すべなし地に置けば子にむらがる蝿」「なにもかもなくした手に四枚の爆死証明」。掲句は被爆後二十二年の夏に詠まれた。作者の置かれた状況を知らなくても、「少し買いそえて」の措辞から、死んだ子に対する優しくも哀切な心情がよく伝わってくる。この無残なる逆縁句を前にして、なお「しょうがない」などと言える人間がいるであろうか。「老いを迎えることのできなかった人びとの墓前に佇む時、老年期を持てることは一つの『特権』なのだ、という思いに強くとらわれる」(「俳句界」2007年8月号)と、私と同年の天野正子は書く。老いが「自明の過程」のように語られる現在、この言葉の意味は重い。「子の墓、吾子に似た子が蝉とっている」。掲句と同時期に詠まれた句だ。生きていれば三人ともに二十代の大人になっているはずだが、死者はいつまでも幼くあるのであり、そのことが作者はもとより読者の胸を深くゆさぶってくる。今朝は黙祷をしてから、いつもより少し遅いバスに乗って出かける。『原爆句抄』(1975)所収。(清水哲男)


October 24102007

 鈴虫の彼岸にて鳴く夜もありき

                           福永武彦

リーン、リリーン、あんなに美しい声で鳴く鈴虫の、美しくない姿そのものは見たくない。声にだけ耳かたむけていたい。初めてその群がる姿を見たときは信じられなかった。『和漢三才図会』には「夜鳴く声、鈴を振るがごとく、里里林里里林といふ」とある。「里里林里里林」の文字がすてきに響く。晩年は入退院が多かったという武彦は、体調によっては「彼岸」からの声として聴き、あるいは自分もすでに「彼岸」に身を横たえて、聴いているような心境にもなっていたのかもしれない。彼の小説には、死者の世界から現実を見るという傾向があり、彼岸の鈴虫というのも考えられる発想である。「みんみんや血の気なき身を貫徹す」という句もあるが、いかにも武彦らしい世界である。虫というのはいったいに、コオロギにしても、バッタにしても、カマキリにしても、可愛いとか美しいというよりは、よくよく観察してみればむしろグロテスクなスタイルをしている。ならば「彼岸」で鳴く虫があっても不思議はなかろう、と私には思われる。武彦は軽井沢の信濃追分に別荘があり、毎夏そこで過ごした。「ありき」ゆえ、さかんに鳴いていた頃の夜を思い出しているのだろう。「鈴虫」の句も「みんみん」の句も、信濃追分の早い秋に身を置いて作られたものと思われる。いや、季節の移り変わりだけでなく、生命ある人間の秋をもそこに敏感に見通しているようである。詩人でもあったが、短歌や俳句をまとめた「夢百首雑百首」がある。結城昌治『俳句は下手でかまわない』(1997)所載。(八木忠栄)


June 2162008

 しんしんと離島の蝉は草に鳴く

                           山田弘子

京は今梅雨真っ盛りだが、昨年の沖縄の梅雨明けは六月二十一日、今年はもう明けたという。梅雨空は、曇っていても、雨が降っている時でさえ、なんとなくうすうす明るい。そんな空をぼんやり見ながら、その向こうにある青空と太陽、夏らしい夏を待つ心持ちは子供の頃と変わらない。東京で蝉が鳴き始めるのは七月の梅雨明け前後、アブラゼミとニイニイゼミがほとんどで、うるさく暑苦しいのだが、それがまた、こうでなくちゃとうれしかったりもする。この句の蝉は、草蝉という草むらに棲息する体長二センチほどの蝉で、離島は、宮古島だという。ずいぶんかわいらしい蝉だなあと思い、インターネットでその鳴き声を聞いてみた。文字で表すと、ジー、だろうか。鳴き始めるのは四月で、五月が盛りというからもう草蝉の時期は終わっているだろう、やはり日本は細長い。遠い南の島の草原、足元から蝉の声に似た音が立ちのぼってくる。聞けば草に棲む蝉だという。いち早く始まっている島の夏、海風に吹かれ、草蝉の声につつまれながら佇む作者。しんしんと、が深い情感を与えている。句集名も含め、蝉の字は、虫偏に單。『草蝉』(2003)所収。(今井肖子)


July 0972008

 蝉しぐれ捨てきれぬ夢捨てる夢

                           西岡光秋

歳になっても夢をもちつづける人は幸いである。しかし、一つの夢を実現させたうえで、さらに新たな夢をもつこともあれば、一つの夢をなかなか果せないまま齢を重ねてしまう、そんな人生も少なくない。掲出句の場合は、後者のように私には思われる。捨てきれない夢だから、なかなかたやすく捨てることはできない。たとえ夢のなかであっても、その夢を捨てることができれば、むしろホッと安堵できるのかもしれない。それはせめてもの夢であろう。けれども、現実的にはそうはいかないところに、むしろ人間らしさがひそんでいるということになるか。外は蝉しぐれである。うるさいほどに鳴いている蝉の声が、「夢ナド捨テロ」とも「夢ハ捨テルナ」とも迫って聴こえているのではないか。中七・下五は「捨てきれぬ夢」と「捨てる夢」の両方が、共存しているという意味なのではあるまい。それでは楽天的すぎる。現実的に夢を捨てることができないゆえ、せめて夢のなかで夢を捨ててしばし解放される。そこに若くはない男の懊悩を読むことができる。だから二つの夢は別次元のものであろう。手元の歳時記に「蝉時雨棒のごとくに人眠り」(清崎敏郎)という句があるが、「棒のごとくに」眠れる人はある意味で幸いなるかな。光秋には「水打つて打ち得ぬ今日の悔一つ」という句もある。『歌留多の恋』(2008)所収。(八木忠栄)


July 2272008

 宿題を持ちて花火の泊り客

                           半田順子

休みが始まり、平日の昼間の駅に子どもたちの姿がどっと見られるようになった。夏休みのイベントのなかでも、花火と外泊は絵日記に外すことのできない恰好の題材だ。わが家も掲句同様、わたしと弟とそれぞれの宿題を背負い、花火大会の前後を狙って祖父の家に滞在するのが夏休みの恒例行事だった。打上げ花火の夢のような絵柄が、どーんとお腹に響く迫力ある音とともに生み出されていくのを二階の窓から眺めていたことを思い出す。打上げ音が花火よりわずかに遅れて聞こえてくることの不思議に、光りと音の関係を何度聞かされても腑に落ちず、連発になると今のどーんはどの花火のどーんなのかと、見事な花火を前にだんだんと気もそぞろになっていくのは今も変わらない。そしていよいよ白い画用紙を前に、興奮さめやらぬままでかでかと原色の花火を描く。しかし花火を先に描いてしまうと、夜空の黒を塗り込むのがとても厄介になることも、毎年繰り返していた失敗だ。以前の読者アンケートに、このページを読んでいる小学生もわずかに存在するという結果が出ていたが、花火を描くときには「夜空から塗る」、これを愚かな先輩からのアドバイスとして覚えていてほしい。〈夏来ると浜の水栓掘り起す〉〈蝉穴の昏き歳月覗きをり〉『再見』(2008)所収。(土肥あき子)


May 1952009

 蝉の羽化はじまつてゐる月夜かな

                           大野崇文

は満ち欠けする様子や、はっきりと浮きあがる模様などから、古今東西神秘的なものとして見られている。また、タクシードライバーが持つ安全手帳には、満月の夜に注意することとして「不慮の事故」「怪我」「お産」と書かれていると聞いたことがある。生きものの大半が水分でできていることなどを考えると、月の引力による満潮や干潮の関係などにも思い当たり、あながち迷信妄信と切り捨てられないようにも思う。蝉が何年もの間、長く暮らした土中から、必ず真夜中に地上に出て、夜明けまでに羽化するのは、月からの「いざ出でよ」のメッセージを受けているのではないのか。地中から出た蝉の背を月光がやわらかに割り、新しい朝日が薄い羽に芯を入れる。今年のサインを今か今かと待つ蝉たちが、地中でそっと耳を澄ましているのかと思わず足元を見つめている。〈ラムネ玉こつんと月日還りけり〉〈蟻穴を出づる大地に足を掛け〉『夕月抄』(2008)所収。(土肥あき子)


June 1962009

 それは少し無理空蝉に入るのは

                           正木ゆう子

句をつくる上での独自性を志す要件はさまざまに考えられるが、この短い形式における文体の独自性は究極の志向といっていいだろう。優れた俳人も多くは文体の問題はとりあえず手がつかない場合が多い。自由律でもない限り575基本形においてのバリエーションであるから、オリジナルの余地は極端に少ないと最初から諦めているひとがほとんどではないか。否な、自由律俳句といえど尾崎放哉のオリジナル文体がその後の自由律の文体になった。自由といいながら放哉調が基本になったのである。内容の新と同時に器の新も工夫されなければならない。この句の器は正木さんのオリジナルだろう。33255のリズムの器。「無理」の言い方が口語調なのでこの文体が成立した。その点と魅力をもうひとつ。「少し」がまぎれもない「女」の視点を感じさせる。男はこの「少し」が言えない。オリジナルな「性」の在り方も普遍的な課題である。『夏至』(2009)所収。(今井 聖)


July 2172009

 蝉生れ出て七曜のまたたく間

                           伊藤伊那男

曜(しちよう)とは太陽と月、火星、水星、木星、金星、土星をさし、これらを日曜から土曜までの曜日名とした7日間をいう。一ヵ月や一年というくくりがない、7種類の星の繰り返しが全てである七曜は、一週間を意味しながら、太陽系の惑星が連なる果てしない空間も思わせる。七日間といわれる蝉の一生は、もう出会うことのない月曜日、二度とない火曜日、と思うだに切ないが、それが運命というものだろう。何年か前、数日降り通しの雨がようやく上がった深夜の蝉の声に、ぎょっとしたことがある。命の限界を前に、切羽詰まったもの苦しいまでの鳴き声に、単なる憐憫とは異なる、どちらかというと恐怖に近い感情を抱いた。日本人の平均寿命の80年も、巨大な鍾乳洞でいえばわずか1cmにも満たない成長の時間である。それぞれの生の長さは、はたしてどれも一瞬なのだ。ままならぬ「またたく間」を笑ったり泣いたり、じっと辛抱したりしながら、懸命に生きていく。〈ひきがへる跳びて揃はぬ後ろ足〉〈くらければくらきへ鼠花火かな〉『知命なほ』(2009)所収。(土肥あき子)


August 0782010

 みんみんを仰げる人の背中かな

                           酒井土子

らしい夏がないまま立秋を迎えた昨年と違い、今年はいやというほど真夏を実感。まだまだ暑い東京だけれど、八月に入ってからは朝から空がすっきり青い。そこに、ほわっと軽そうな雲の群が静かに流れて行くのを、ここ数日夏期講習の合間に9階の教室の窓から眺めている。空から少しづつ秋へ動いているのかもしれない。勤め先のある千代田区は、みんみん蝉が目立って多い。同じ東京でも家の近くは、にいにい蝉と油蝉が主流。時に耳鳴りのようにべったり聞こえるそれらの蝉と違い、みんみん蝉は一匹が主張して鳴くので、蝉の声に立ち止まって思わず木を見上げる、というのもみんみん蝉だから。緑蔭に立つその人の背中を少し離れて見ている作者。そこに同じ郷愁が通い合っているようにも感じられる。『神送り』(1983)所収。(今井肖子)


September 0692010

 落蝉に一枚の空ありしかな

                           落合水尾

生句ではない。作者の眼前には、落蝉もなければ空もない。「ありしかな」だから回想句かとも思われるが、それとも違う。小さな命の死と悠久の空一枚。現実の光景をデフォルメすれば、このような景色は存在するとも言えるけれど、作者の意図はおそらくそうした現実描写にはないだろう。強いて言えば、作者が訴えているのは、命のはかなさなどということを越えた「虚無」の世界そのもの提出ではなかろうか。感傷だとか慈しみだとか、そういった人情の揺らぎを越えて、この世界は厳然と展開し存在し動かせないものだと、作者は言いたいのだと思う。このニヒリズムを避けて通れる命はないし、そのことをいまさら嘆いてみても何もはじまらないのだ。私たちの生きている世界を何度でもここに立ち戻って認識し検証し、そのことから何事かを出発させるべきなのだ……。妙な言い方をするようだが、この句は老境に入りつつある作者の人生スローガンのようだと読んだ。『日々』(2010)所収。(清水哲男)


July 1372011

 夕焼の樹々まっくろく蝉鳴けり

                           高垣憲正

あかと西空をみごとに染めあげている夕焼を遠景にして、今日を限り(?)と蝉が激しく鳴いている。燃えるように広がる夕焼の赤に対して、「まっくろ」を対置した大胆さには舌を巻かざるを得ない。実際に蝉の鳴く声が黒いわけではない。蝉が樹に蝟集しているのであろう。そのびっしり寄り集まっている様子から、鳴き声までも黒々と感受されていて穏やかではない。「黒々」ではなく「まっくろ」という衝撃。私は十数年前に広島の真昼の公園で、樹の幹に蝉がまっくろに蝟集して鳴いている場面に出くわしたことがある。あの時の無気味な光景は今も忘れることができない。いちばん早く鳴きはじめる松蝉(春蝉)にはじまって、にいにい蝉、あぶら蝉、くま蝉……とつづく。雌の蝉は鳴かないから唖蝉。高橋睦郎が直近で「雌(め)の黙(もだ)のひたと雄蝉の歌立たす」他蝉十句を発表している。(「澤」7月号)詩人である憲正は句集のあとがきで「若い日の俳句の勉強が、ぼくの現在の詩の手法に、決定的な影響を及ぼしていることにも、あらためて驚かされる」と記している。過半の句が高校生のころのものだが、いずれもシャープである。他に「蟹あまたおのが穴もち夏天もつ」など。『靴の紐』(1976)所収。(八木忠栄)


July 1572011

 蝉むせぶやもとより目鼻なき地蔵

                           古沢太穂

語以上の結びつきが習慣的に固定し、ある決まった意味を表すものを成句という。「広辞苑」。この説明の前半部分「習慣的に固定した二語以上の結びつき」もまた詩としては言葉の緊張の不足する要素となりえよう。まして短詩形に於いては致命的になりかねない。川流る、雪降れり、蝶舞へり。季語とて同じ。揚雲雀、緋のカンナなどはどこか最初から絵柄の類型化を志しているかのように思える。蝉につなげて、むせぶは成句を拒否する姿勢がありあり。その二語が成功しているかどうかは二の次。類型を拒否する態度からすべてが始まるのではないか。「もとより目鼻なき地蔵」も、風蝕、雨蝕がすすんで石に還りゆく仏だの消えゆく石の文字だのの定番を裏切っている。もとから目鼻など無いのだ。類型拒否というのは古い型を嫌うということ。それは詩形変革、俳句変革、ひいては自己変革への一歩だ。『捲かるる鴎』(1983)所収。(今井 聖)


July 1972011

 蝉しぐれ丹念に選る子安石

                           苑 実耶

州の宇美八幡宮は「宇美=産み」ということで安産の神社で、境内には囲いのなかに氏名を記した手のひらほどの子安石が積まれている。立て札には「安産をお祈りの方はこの石を預かりて帰り、目出度くご出産の後、別の石にお子様の住所、氏名、生年月日をお書きのうえ、前の石と共にお納めくださって成長をお祈りされる習慣となっております」と書かれ、参拝者が自由に持ち帰ることができる。個人情報重視の昨今の時勢からすれば、まったく言語道断ともいえるものかもしれないが、無事生まれてきた赤ちゃんが、これから生まれてくるお腹の赤ちゃんを見守り、引率してくれるという赤ちゃん同士のネットワークのような考え方に感嘆する。また全国の安産祈願のなかには、短くなったロウソクを分けるという習慣もあることを聞いた。火が灯る短い間にお産が済むようにという願いからだという。このような全国に分布するさまざまな安産をめぐる習わしには、出産が生死を分かつ大仕事という背景がある。何十何百の怒鳴りつけるような蝉の鳴き声がこの世の象徴のようでもあり、灼熱の太陽に灼かれた石のより良さそうなものを選る人間らしい健気な仕草を笑う天の声のようにも思える。〈ひとなでの赤子の髪を洗ひけり〉〈泣けば済むさうはいかない葱坊主〉『大河』(2011)所収。(土肥あき子)


July 3072011

 われに鳴く四方の蝉なりしづかなり

                           長谷川素逝

けば鳴いたでやかましい蝉だが、今年のようになかなか鳴かないとなんとなく物足りない。家居の初蝉は今週火曜日、かすかな朝のミンミン蝉だったが、その前に出かけた古寺の境内で聞いたのが今年の初蝉。山裾にあるその寺の蝉の声は、蝉時雨、というほどではなく、空から降りそそいで寺全体を包んでいた。じっとその声を見上げていると、あらためて山寺の境内の広さと涼しさが感じられ、しばらくそこに佇んでいたが、掲出句はその時聞いた遠い蝉声を思い出させる。蝉の存在を親しく感じることで自分の心も自然にとけこんで穏やかになる、そんな印象の一句である。『新日本大歳時記 夏』(2000・講談社)所載。(今井肖子)


September 0592011

 うらがへる蝉に明日の天気かな

                           青山茂根

の死骸は、たいていが裏返っている。人間からすればまったくの無防備な体位に見えるが、それが自然体なのだろう。もっとも死に際しては無防備もへちまもない理屈だが、この句の蝉はまだ完全に死んではいないのかもしれない。つまり「うらがへる蝉」を「裏返りつつある蝉」と読むならば、この蝉はまだ生きていて瀕死の状態にあると解釈できるからだ。そんな状態の蝉に、作者は「明日の天気」の様子をかぶせるようにして見ている。すなわち、限りある命に限りない天気の移り行きを重ねて見ることで、そこに醸し出されてくる情景を凝視しているのである。あるときにはそれは世の無常と言われ、またあるときには自然の摂理などと言われたりもするわけだが、作者は一切そのような世俗的な感想を述べようとはしていない。命の瀬戸際など無関係に移り変わる空模様への予感を書くことで、命のはかなさではなく、落命を感傷的に捉えない視点を確立しようとしているように思える。この抒情は新しく、魅力的だ。明日、晴れるか。『BABYLON バビロン』(2011)所収。(清水哲男)


July 1872012

 女等昼寝ネオンの骨に蝉が鳴く

                           ねじめ正也

者のことを最初に明かしてしまえば、ねじめ正一のお父さんである。もう知られているように、乾物屋さんの店主だった。(正一『高円寺純情商店街』参照)商いとはいえ暑い夏には、朝が早い人はかつてよく昼寝をしたものだ。個人商店だから「女等」と言っても、妻や女店員だろう。せいぜい二人くらいだと思われるけれど、商店街のお隣もお向かいも同じように女性たちが、ごろりと束の間の昼寝をむさぼっているのかもしれない。昼間のネオンは用無しで間抜けである。「ネオンの骨」という見立てがおもしろい。その支柱にとまっている蝉がやおら鳴き出したけれども、女たちは起きそうもないし、主人も起こさない。主人である作者は女たちと蝉の声を気にしながら、店番をしながらぽつねんとしているのだろう。夏の昼下がりの商店街の無聊が、のんびりと感じられてくるようだ。昼寝と白昼のネオン、しばし手持ち無沙汰の主人……蝉の声も、どこかしらのんびりとしか聞こえてこない。正也のただ一冊の句集『蠅取リボン』は正一ら子どもたちからのプレゼントだった。清水哲男編『「家族の俳句」歳時記』(2003)所載。(八木忠栄)


July 1772013

 この先を考へてゐる豆のつる

                           吉川英治

のように詠まれてみれば、豆にかぎらず蔓ものは確かに「さて、これからどちらの方向へ、どのように伸びて行こうか…」と思案しているようにも見える。また、作家としての英治自身の先行き、といった意味が込められているようにも読める。マメ科の蔓植物は多種ある。考えながらも日々確実に伸びて行くのだから、植物の見かけによらない前向きの生命力には、目を見張るばかりである。豆ではないが、わが家のプチ・モンステラなどは休むことなく、狭い部屋で日々その先へ先へと蔓を伸ばしていて、驚くやら感心するやらである。蔓ではないが、天まで伸びる「ジャックと豆の木」を思い出した。壮大な時代小説を書いた英治は多くの俳句を残したが、それにしても「豆のつる」という着眼は卑近でほほえましいし、「考へてゐる」という擬人化には愛嬌が感じられる。もちろんそのあたりは計算済みなのであろう。何気ないくせに、思わず足を止めてみたくなる一句である。ほかに「蝉なくや骨に沁み入る灸のつぼ」がある。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)


August 0482014

 蝉時雨何も持たない人へ降る

                           吉村毬子

ま蝉時雨に降りこめられた格好で、これを書いている。午後一時半。気温は33度。先ほどまで35度を越えていた。何度か読んで、この句は二通りに解釈できると思った。一つは全体をスケッチのように捉えて、文字通りに何も持たない手ぶらの人が、激しい蝉時雨のなかで、暑さにあえいでいる図。しかしこの人は、あえいではいるけれど、へこたれてはいない。暑さをいずれはしのいでやろうという心根がかいま見える。もう一つの解釈は、何も持たないことを比喩的に捉えて、たとえば資産的にもゼロの状態にあり、血縁などももはや無し。世間とはほとんど無縁というか孤立状態に追い込まれていて、少し普遍化してみれば、この状態は多くの老人のそれといってよいだろう。そんな老人に、もはや蝉時雨に抗する元気はない。真夏の真昼どき、蝉時雨に追い立てられるようにして歩いていく。それを見ている作者のまなざしには、憐憫ではなくてむしろ愛惜に近い情がこもっている。誰にとっても、明日は我が身なのである。『手毬唄』(2014)所収。(清水哲男)


February 2722015

 雉子飛んで火の国の空輝かす

                           松田雄姿

本は北から南へ背骨が火山で貫かれた火の国である。そして大和まほろば稲穂の国でもある。そんな農耕民族のすぐ傍らに狸や狐や鴉や雀そして雉子などが共棲していた。桃太郎さんでは無いが犬も猿もまた身近な友だった。なだらかな火山の裾野に淡々と日常の農事を営なんでいると、傍らからぱっと雉子が飛んで、見上げる空を彩った。火の国の山河が下萌えている。他に<冬木立つ己れ養ふ静けさに><蟷螂は火星の農夫かも知れぬ><蝉鳴くや大事な妻を叱りつけ>などなど。『鶴唳』(2003)所収。(藤嶋 務)


June 2762015

 茄子漬の色移りたる卵焼

                           藤井あかり

供の頃から茄子の漬物が好きだった。糠漬けの茄子は、祖父母、父母、妹との六人家族時代、祖母と二人だけの好物で、よく台所の片隅でこそこそ食べた。その頃紫陽花の花を見て、茄子の漬物みたいな色だよね、と母に言って、あなたは俳句には向いていないわね、と言われたことも思い出す。あの美しい茄子色も、卵焼きに移ってしまうとやや残念ではあるが、黄色い卵焼きを染めてしまった茄子漬の紫がどれだけ鮮やかか、ということがよくわかる。そして、お弁当箱を開いた時の、あ、というこんな瞬間も俳句にしてしまう作者は今まさに、眼中のもの皆俳句、なのだろう。〈足元の草暮れてゆく端居かな〉〈万緑やきらりと窓の閉まりたる〉〈遥かなるところに我や蝉時雨〉。『封緘』(2015)所収。(今井肖子)


August 0182015

 悲しさを漢字一字で書けば夏

                           北大路翼

の句集『天使の涎』(2015)を手にした時は春だった。そして付箋だらけになった句集はパソコン横の「夏の棚」に積まれ今日に至った。悲しさは、悲しみより乾いていて、淋しさより深い。夏の思い出は世代によって人によって様々に違いないが、歳を重ね立ち止まって振り返ることが多くなって来た今そこには、ひたすら暑い中太陽にまみれている夏のど真ん中で、呆然と立ち尽くしている自分がいる。暦の上では今年の夏最後の土曜日、来週には秋が立つ。他に〈冷奴くづして明日が積みあがる〉〈三角は全て天指す蚊帳の中〉〈拾ひたる石が蛍になることも〉〈抱くときの一心不乱蟬残る〉。(今井肖子)


August 1282015

 蝉鳴くや隣の謡きるゝ時

                           二葉亭四迷

つて真夏に山形県の立石寺を訪れたとき、蝉が天を覆うがごとくうるさく鳴いていた。芭蕉の句「閑かさや岩にしみ入る蝉の声」どころか、岩を転がし砕かんばかりの圧倒的な声に驚嘆したことが忘れられない。ごく最近、海に近い拙宅で一回だけうるさく鳴く蝉の声で、早朝目覚めたことがあった。幸い天変地異は起こらなかったが、いつからか気象は狂ってしまっているらしい。掲出句の蝉は複数鳴いているわけではあるまい。隣家で謡(うたい)の稽古をしているが、あまりうまくはない。その声が稽古中にふと途切れたとき、「出番です」と誘われたごとく一匹の蝉がやおら鳴き出した。あるいは謡の最中、蝉の声はかき消されていたか。そうも解釈できる。「きるゝ時」だから、つっかえたりしているのだろう。意地悪くさらに言うならば、謡の主より蝉のほうがいい声で鳴いていると受け止めたい。そう解釈すれば、暑い午後の時間がいくぶん愉快に感じられるではないか。徳川夢声には「ソ連宣戦はたと止みたる蝉時雨」という傑作がある。四迷には他に「暗き方に艶なる声す夕涼」がある。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)




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