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September 0491996

 大阪はこのへん柳散るところ

                           後藤夜半

句もいいけれど、技巧的に優れた作品ばかり読んでいると、だんだん疲れてくる。飽きてしまう。そのようなときに、夜半はいい。ホッとさせられる。夜半は、生涯「都会の人」ではなく「町の人」(日野草城)だったから、一時期をのぞいて、ごちゃごちゃしんきくさいことを言うことを嫌った。芸術家ではなく、芸人だった。生まれた大阪の土地や文化をこよなく愛した。自筆の短冊を写真で見たことがあるが、いまどきの女の子の丸字の先駆けのようにも思える。ちっとも偉そうな字ではないのである。昭和51年初秋、柳の散り初めるころに没。享年81歳。『底紅』所収。(清水哲男)


October 09101997

 柳散る銀座に行けば逢へる顔

                           五所平之助

の取り柄もない句だが、そこが取り柄。秋風が吹いてくると、突発的発作的に人恋しくなるときがある。誰かに会いたい、ちょっとした話ができれば誰でもかまわない。そんなときに、酒飲みは常連として通っているいつもの酒場に足が向いてしまう。その場所がたまたま銀座だったというわけだが、銀座名物の「柳散る」が作者の心象風景を素朴に反映していて好もしい。五所平之助は『煙突の見える場所』(1953・椎名麟三原作)などで知られる映画監督。そういえば、この句には懐しい日本映画の一場面のような雰囲気もある。(清水哲男)


October 25102010

 柳散る銀座もここら灯を細く

                           山田弘子

十代はじめのころ、友人と制作会社を設立して銀座に事務所を構えた。いまアップル・ストアのあるメイン・ストリートのちょうど裏側あたりのおんぼろビルの三階だった。素人商売の哀しさ、この会社は仕事の幅を広げすぎ狡猾な奴らに食い物にされたあげく、たちまち倒産してしまった。手形を落とすためのわずかな金を毎日のように工面し、私が雑誌などに書いた文章のささやかな原稿料までをつぎこんだのだが、貧すれば鈍するでうまく行かなかった。だから、銀座には良い思い出はあまりない。だから、こういう句には弱い。しんみりとしてしまう。いまでもそうだが、銀座で灯がきらきらしているのは表通りだけで、一本裏道に入ると灯はぐんと細くなる。そんな街に名物の柳がほろりほろりと散るさまは、まるで歌謡曲の情緒にも似て物悲しいものだ。私が通っていたころは、毎晩おでんの屋台も出てたっけ。客は主にキャバレーの女の子たち。顔見知りになって「そのうち店に行くからね」と言うのは口だけで、事務所の隣にあった大衆的な「白いバラ」にも行ったことはなかった。いや、行けなかった。『彩・円虹例句集』(2008)所載。(清水哲男)


October 10102011

 折りかへすマラソンに散る柳かな

                           阿波野青畝

格的なフルマラソンというよりも、市民運動会などの距離の短いマラソンのようである。ランナーは懸命に走っているのだろうが、折り返し点の柳が目に入るくらいだから、どこかのんびりとした雰囲気を漂わせたマラソンだ。早くも疲れた表情の走者たちがひとり、またひとりと、間隔を開けて折り返してゆく。次の走者が到着するまで、所在なく風景に目をやっていると、柳の葉がはらりはらりと散っているのに気がついた。いまは秋たけなわの候だが、そこに散ってゆく柳を認めると、この良い季節もまもなく去っていくんだなあという感慨が湧いてくる。深読みをしておけば、マラソンに挑むほどに元気いっぱいの人の盛りの人生も、すでに亡びの様相を兆しつつあるということか……。今日は体育の日。私の住む三鷹市でも市民運動会があるので、カメラを持ってのぞきに行こうと思っている。『花の歳時記・秋』(2004・講談社)所載。(清水哲男)




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