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September 0391996

 さんま焼くや煙突の影のびる頃

                           寺山修司

語という言葉があるが、この光景はもはや「死景」といってよいだろう。ただただ懐しい。そして十代の寺山修司は、この光景が「今」だったころに、既にセピア色に焼き付けている。しゃれている。センスの良さである。七輪で焼いた秋刀魚が、無性に食べたくなった。いや、思い切りジュージュー焼けていく秋刀魚の煙をかぎたくなった。『われに五月を』所収。(清水哲男)


September 1691996

 ジーパンをはき半処女や秋刀魚焼く

                           磯貝碧蹄館

処女という造語(?)が絶妙にして秀逸。いまどきの娘はみなそういうものです。作者は元郵便局員として有名。俳号の奇妙さでも有名。韓国の古戦場にちなんだ名というが、本当かしらん。(井川博年)


September 0491998

 近所に遠慮することないゾ秋刀魚焼く

                           井川博年

サイトでも、評者としておなじみの詩人・井川博年の近作。なにしろ彼は、高校時代に松江図書館で『虚子全集』を読破してしまったというほどの俳句好きだから、俳句についての知識は抜群だ。私も参加している「余白句会」(小沢信男宗匠)の、いわば生き字引的存在である。しかし、あまりにも知り過ぎているということは、クリエーターとしては困ることも多く、とくに五七五と短い詩の世界では往生するのではあるまいか。つまり、どんな発想をもってしても、自分の知っている誰かの句に似てしまったりするわけで、密度の高い知識の隙間を見つけるのは容易ではない。だから、どうしてもこうした破調に傾きやすい。この破調にしても、同種の先例がないわけではなく、あれやこれやと思案の末に、今度は中身の破調にとあいなっていく。かくして井川博年は、美味い秋刀魚を食いたい一心のオタケビをあげて「現代風雅」をむさぼろうとしたのである。窓を開けて盛大に秋刀魚を焼くと、消防車が飛んできかねない現代の東京だ。そんな環境への怒りが、極私的に内向的に炸裂している。いろいろな意味で、私にとっては面白くも馬鹿馬鹿しくもほろ苦いのだが、しかし愛すべき一句ではある。「俳句朝日」(1998年9月号)所載。(清水哲男)


October 17101998

 星降るや秋刀魚の脂燃えたぎる

                           石橋秀野

く晴れた秋の夜、作者は戸外で秋刀魚を焼いている。第三者としてそんな主婦の姿を見かけたら、微笑を浮かべたくなるシーンであるが、作者当人の気持ちは切迫している。秋刀魚にボッと火がついて、火だるまになった様子を「燃えたぎる」と表現する作者は、名状しがたい自分の心の炎をそこに見ていると思われる。単なる生活句ではないのである。いや、作者が生活句として書こうとしても、どうしてもそこを逸脱してしまう気性が、彼女には生来そなわっていたというべきなのかもしれない。浅薄な言い方かもしれないが、火だるまになれる気性は男よりも数段、女のほうにあらわれるようだ。だから「生来」と、私としては言うしかないのである。上野さち子の名著『女性俳句の世界』(岩波新書)より、秀野の俳句観を孫引きしておく。敗戦直後の1947年の俳誌「風」に載った文章である。「俳句なんどなんのためにつくるのか。飯の足しになる訳ではなし、色気のあるものでもなし、阿呆の一念やむにやまれずひたすらに行ずると云ふより他に答へやうのないものである」。このとき、秀野三十九歳。掲句は1939年、三十一歳の作品だ。『桜濃く』(1959)所収。(清水哲男)


September 1991999

 火だるまの秋刀魚を妻が食はせけり

                           秋元不死男

焦げの秋刀魚(さんま)。商売人が焼くようには、うまく焼けないのが秋刀魚である。でも、うまく焼けなくても、うまいのも秋刀魚だ。火だるまの秋刀魚も、また良し。炭化寸前の部分に、案外なうまみがあったりする。第一、火だるまのほうが景気がいいや…。と、結局のところで、妻の焼き方の下手さ加減を嘆じつつも、作者は彼女を慰めていると読んだ。ただし、これは秋刀魚だから句になるのであって、たとえば鰯(いわし)などでは話にならない。さて、秋刀魚に詩的情趣を与えたのは、御存じ・佐藤春夫の「秋刀魚の歌」(『わが一九二二年』所収)である。「あはれ/秋風よ/情(こころ)あらば伝へてよ/……男ありて/今日の夕餉に ひとり/さんまを食(くら)ひて/思ひにふける と。」にはじまる詩の哀調は、さながら秋刀魚に添えられる大根おろしのように、この魚の存在を引き立ててきた。ところで 今年の秋刀魚は、昨年につづいて不漁だという。平年だと一尾100円のものが、150円ほどはしている。そこで橋本夢道に、この一句あり。「さんま食いたしされどさんまは空を泳ぐ」。(清水哲男)


September 1292001

 江戸の空東京の空秋刀魚買ふ

                           摂津幸彦

風一過の(か、どうかは知らねども)抜けるような青空が広がっている。この空は、江戸も東京も同じだ。とても気分がよいので、今夜は「秋刀魚(さんま)」にしようと買い求めた。江戸の人も、青空の下で自分と同じような気分で買っていたにちがいない。時代を越えて、この空が昔と同じであるように、昔の人と気持ちがつながった思いを詠んでいる。威勢のよさのある魚だから、江戸っ子気質にも通じている。ところで、江戸期に秋刀魚は「下品(げぼん)」とされていたようだ。つまり、下等な魚だと。例の馬琴の『俳諧歳時記栞草』を調べてみたが、載っていなかった。となれば、「秋刀魚」はごく新しい季語ということになる。あまりにも安価でポピュラーすぎた魚だからだろうか。そりゃまあ、鯛(たい)なんかと比べれば、ひどく脂ぎっているので上品な味とは言えない。そういえば落語の『目黒の秋刀魚』の殿様の食前にも、蒸して脂を抜き上品に調理した(つもりの)ものが出ていたのだった。さぞや不味かったろう。だから「秋刀魚は目黒に限る」が効いている。掲句とは無関係だが、「秋刀魚」の句を探しているうちに、こんな句に出会った。「花嫁はサンマの饅のごときもの」(渡辺誠一郎)。「饅」は酢味噌で食べる「ぬた」。ずいぶん考えてみたが、さっぱりわからない。悔しいけど、お手上げです。どなたか、解説していただけませんでしょうか。両句とも『新日本大歳時記・秋』(1999)所載。(清水哲男)


September 2892001

 秋刀魚焼かるおのれより垂るあぶらもて

                           木下夕爾

いてい「秋刀魚」を焼く句というと、菜箸(さいばし)に火がついたとか、煙がものすごいとか、当の魚それ自体の焼かれる状態には目をやらずに詠む。目がいかないのではなくて、目はいっているのだが、見なかったことにして詠むのである。何故か。書くまでもないだろうが、これから食べようかという相手を、人は同じ生物レベルで認めたくないからだ。認めたなら、すなわち共食いになるからだ。共食いを感性的に忌避するのは、人間だけだと思う。人が自然界で弱いほうの生物として生き永らえてきたのは、まずは人間同士の共食いを可能なかぎりに避けてきた知恵からではないだろうか。したがって人食い人種(と言われた人たちの真実は知らないが)は、極めて「人為」的に淘汰されてしまった。共食いを人類生存の障害として排除してきた別種の表現形態や様式が、食欲とは何の関係もない風情で、しれっと文化文明として我々の前に立っていると思うと、これはこれで興味深い。掲句の作者は、そうしたことどもに半ば本能的に苛立ち、共食いを直視せよと言わんばかりなのである。人にも我が身を焼く「あぶら」はあるじゃないか、と。このときに、自分自身の「あぶら」で身を焼かれている「秋刀魚」を哀れとも、ましてや滑稽と言うのではない。むしろ掲句は、共食いを直視できない人間の哀れと滑稽を言いたかったのだと思う。淡く透明な抒情詩をたくさん書いた詩人にしては、めずらしく原初的な怒りを露(あらわ)にした句だ。ただし賭けてもいいが、この人は「秋刀魚」が好物ではなかったと、それだけは言えるだろう。『遠雷』(1959)所収。(清水哲男)


September 1992003

 寂鮎を焼けくちびるの褪せぬ間に

                           吉田汀史

語は「寂鮎」で秋。寂鮎の表記は初見だが、錆鮎(さびあゆ)を雅びにひねった当て字かと思われる。鮎は産卵期になると川を下ってくる(落鮎)が、体に刃物の錆びたような斑点が現れるので錆鮎の名が生まれた。句は、歌人の吉井勇が大正期に書いて大ヒットした「ゴンドラの歌」(作曲・中山晋平)を踏まえている。♪いのち短し 恋せよ少女(おとめ) 朱き唇 褪(あ)せぬ間に 熱き血潮の 冷えぬ間に 明日の月日は ないものを。戦後では、黒澤明が映画『生きる』で使ったことから、愛唱する人が増えた。この句を、私は最初、抱卵した鮎を美少女に焼けという、ちょっと屈折した愛情表現かなと思ったのだが、眺めているうちにそうではなさそうだと思い直した。焼けと言った相手は、昔の美少女に対してなのだと。そう読めば、こうなる。いつまでもぺちゃくちゃ喋っていないで、その口の乾かぬ間に、つまり鮎の鮮度が落ちぬ間に早く焼いてくれよ……と。むろんどちらにも取れる句だが、後者の方が俳諧的なサビが効いている。それに、現在ただいまの美少女に対してならば、単に「くちびる」とは言わずに、やはり「朱き」の形容詞は外せないところだろう。とはいえ、いやあ、こうなると昔の美少女も形無しだななどと読んではいけない。作者は相手が美少女であったことを認めているのだし、だからわざわざ「ゴンドラの歌」を持ち出したのだし、こちらのほうがよほど屈折した愛情表現と受け取れるからだ。男なんてものは、たいていがこうである。もう一句。「七輪を出せこの秋刀魚俺が焼く」。『一切』(2002)所収。(清水哲男)


September 0392004

 よく晴れて秋刀魚喰ひたくなりにけり

                           和田耕三郎

刀魚の句というと、たいていはじゅうじゅう焼いている場面のものが多いなかで、こうした句は珍しい。ありそうで、無い。「よく晴れて」天高しの某日、体調もすこぶる良好。むらむらっと秋刀魚が「喰ひたく」なったと言うのである。この句を読んだ途端に、私もむらむらっと来た。句に添えて、作者は「晴れた日は焼いた秋刀魚を、雨の日は煮たものが食べたい」と書いているが、その通りだ。料理にも威勢があって、とくに威勢のよい焼き秋刀魚などは、威勢良く晴れた日に食べるのがいちばん似合う。秋刀魚は昔ながらの七輪で焼くのがベストだけれど、我が家には無いので、仕方なく煙の漏れない魚焼き器で焼いている。これはすこぶる威勢に欠けるから、そう言っては何だけど、どうも今ひとつ美味くないような気がする。食べ物に、気分の問題は大きいのだ。秋刀魚で思い出したが、学生時代の京都にその名も「さんま食堂」という定食屋があった。メニューは、ドンブリ飯に焼いた秋刀魚と味噌汁と漬け物の一種類のみ。一年中、いつ行ってもこれ一つきりで、毎日ではさすがに飽きるが、よく出かけたものだ。旬のこの季節になると、やはり相当待たされるくらいに繁盛していたけれど、あの店はどうなったかしらん。むろん、厨房にはいつも威勢良く煙が上がっていた。「俳句」(2004年9月号)所載。(清水哲男)


October 16102005

 忙しなく秋刀魚食べ了へひとりかな

                           ともたけりつ子

語は「秋刀魚」で秋。句集の内容から推して、作者は若い独身女性のようだ。仕事を持ち、ひとり暮らしをしている。仕事帰りに、初物の「秋刀魚」をもとめてきたのだろう。せっかくの季節の物だから、ちゃんと大根おろしを添え、柚子かレモンの汁を滴らせたにちがいない。だが、いざ食べる段になると、季節感をじっくり味わうというのでもなく、いつものように「忙(せわ)しなく」食べ了(お)えてしまった。もはや習い性となってしまったそんな食べ方に、つくづくと「ひとり」を感じさせられている。私の独身時代を思い起こしてみても、似たようなものだった。とにかく「食べておかなければ」という意識が強く、旬の物であれ何であれ、そそくさと食べる癖がついてしまうのだ。言うならば、ちょっと中腰のままで食べる感じである。「秋刀魚の歌」の佐藤春夫みたいに色模様もないので、「男ありて/今日の夕餉に/ひとりさんまを食ひて/思ひにふけると」なんて情趣は湧いてこない。句に戻れば、だから作者の「ひとりかな」という表現は、寂寥感を押し出して言っているのではなく、一抹の寂しさを伴ってはいるが、その内実は「苦笑」に近いと思う。「ひとり」の自分を客観視して詠んでいるところが、掲句のポイントである。『風の中の私』(2005)所収。(清水哲男)


September 2092006

 秋刀魚焼くはや鉄壁の妻の座に

                           五木田告水

日、銀座の「卯波」で友人たちと数人で飲み、今年の初秋刀魚を塩焼きで食べた。大振りでもうしっかり脂がのっていておいしかった。食べながら、いつかのテレビでお元気な頃の真砂女さんが、客が注文した秋刀魚をかいがいしく運んでおられた様子を思い出していた。真砂女の句に「鰤は太り秋刀魚は痩せて年の暮」がある。その時期のスリムな秋刀魚も、それはそれでひきしまって美味である。近年、関東でも食べられるようになった秋刀魚の丸干しのうまさ、これもたまらない。さて、秋刀魚の句にはたいてい火や煙やしたたる脂がついてまわるが、この句のように「鉄壁」が秋刀魚と取り合わせになったのは驚きである。おみごと! しかも「はや」である。「鉄壁」とはいえ、ここではどっしりとした腰太で、今や恐いものなしと相成った妻ではあるまい。いとしくもしおらしいはずの新妻も、たちまちしっかりした妻の座をわがものとしつつある。亭主のハッとした驚きが「はや鉄壁」にこめられている。良くも悪くも女の変わり身の早さ。秋刀魚を焼く妻の姿によって、そのことにハタと気づかされて驚くと同時に、「座」についたことにホッとしている亭主。秋刀魚の焼き具合はまだ今一でも、さぞおいしいことだろう。若さのある気持ちいい句である。さて、「鉄壁」という“守り”がゆるぎない「鉄壁」の“攻撃”に変容するのは、もう少し先のこと? 平井照敏編『新歳時記』(1996・河出書房新社)所載。(八木忠栄)


September 1492008

 うらがえすやもう一つある秋刀魚の眼

                           五十嵐研三

い先日も、夕食のテーブルの上に、ちょこんと載っていました。勤めから帰って、思わず「サンマか」と、口から出てきました。特段珍しいものではありませんが、箸をつけて口に入れた途端、そのおいしさに素直に驚いてしまいました。掲句、「うらがえすや」とあるのですから、片面を食べ終わって箸で裏返したところを詠っています。眼がもう一つあると、わざわざ言っているからといって、秋刀魚の眼を意識しながら食べていたわけでもないのでしょう。それほどに威圧的に見つめられているわけでもなく、眼のある位置に眼があるのだと、あたりまえの感慨であったのかと思います。とはいうものの、秋刀魚を食べている時に、眼がもう片方にもあるのだとは、通常は考えないのですから、ここに文芸作品としての発見があるのは言うまでもありません。ただ、そんなことはことさらに書くことでもないのです。その、ことさらでないところが、秋刀魚という魚のもっている特長とちょうどよくつりあっており、この句は、日々の生活に添うように、不思議な安心感を与えてくれるのです。『合本俳句歳時記 第三版』(2004・角川書店)所載。(松下育男)


September 0592009

 食べ方のきれいな男焼秋刀魚

                           二瓶洋子

刀魚、と秋の文字が入っているが、今開いている歳時記の解説によれば、江戸時代には「魚中の下品(げぼん)」と言われ、季題にもされなかったという。子供の頃、七輪を裏庭に出して焼いていると、お約束のように近所の猫がやってきたが、やおら魚をくわえて逃げる、ということはなく、なんとなく一緒に焼けるのを待っていた。妹は特にそれこそ猫跨ぎ、頭と骨だけ矢印のように残して食べたが、そういえば父は食べ方があまりうまくなかったように思う。見るからに器用そうな指をしながら、不器用だからだろうか。魚はきれいに残さず食べる方がいいに違いないけれど、初めて一緒に魚を食べたら思いのほか下手なところが、なんだか好もしく思えたり、あまりに見事に残された骨を見て、その几帳面さがふといやになったり。この句の場合はやはり、食べている男も、食べられている秋刀魚のように、すっきりした男ぶりなのだろうか。『新日本大歳時記 秋』(1999・講談社)所載。(今井肖子)


October 05102009

 さんま食いたしされどさんまは空を泳ぐ

                           橋本夢道

えを詠んだ句を、私は贔屓せずにはいられない。あれは心底つらい。いまでも鮮明に覚えているが、敗戦直後は三度の食事もままならず、やっと粥が出てきたと思ったら、湯の中に米が数十粒ほど浮かんでいるという代物だった。これでは腹一杯になるはずもないと、食べる前から絶望していた記憶。いつか丼一杯の白飯を食べてみたいというのが人生最大の夢だった記憶。掲句は有名な「無礼なる妻よ毎日馬鹿げたものを食わしむ」を第一句とする連作のうちの一句だ。「さんま」が食いたくて、矢も盾もたまらない。今日の読者の多くは、空を泳ぐさんまの姿を手の届かぬ高価な魚の比喩として理解し、たいした句ではないと思うかもしれない。無理もない。無理もないのだけれど、この解釈はかなり違う。なぜなら、この空のさんまは、作者には本当に見えているのだからだ。飢えが進行すると、一種の幻覚状態に入る。ときには陶酔感までを伴って、飢えていなければ見えないものが実際に見えてくるものだ。子供が白い雲を砂糖と思うのは幻覚ではなく知的作業の作るイメージだが、これを白米と思ったり、形状からさんまに見えたりするのは実際である。元来作者はイメージで句作するひとではないし、句は(糞)リアリズム句の一貫なのだ。つまり壮絶な飢えの句だ。いまの日本にも、こんなふうに空にさんまを見る人は少なくないだろう。今日の空にも、たくさんのさんまが泳いでいるのだろう。それがいまや全く見えなくなっている私を、私は幸福だと言うべきなのか。言うべきなのだろう。新装版『無禮なる妻』(2009・未来社)所収。(清水哲男)


February 2422010

 大井川担がれて行く冬の棺

                           榎本バソン了壱

井川は静岡県中部から駿河湾に注ぐ、全長百六十八キロの川。その昔、架橋や渡船が禁じられていた川だから、人足が肩車や輦台(れんだい)で渡したことで知られる。担がれて渡るのは人ばかりではなく、棺だって担がれて渡ったであろう。冬の水を満々とたたえた、流れの速い大河を、棺がそろそろと慎重に担がれて行く。寒々とした冬である。命知らずの猛者たちが棺を担いで渡る様子が、大きなスケールと高いテンションを伴って見えて印象深い。掲出句は本年1月に刊行されたバソン了壱の第一句集『川を渡る』のなかの一句。東京から京都の大学へ通う新幹線が渡る百十一の川をネットで確認し、番外一句を加えて川を詠みこんだ百十二句の俳句を収めている。尋常ならざるアイディアと、尋常ならざる俳句の人である。しかも、全句を多様なスタイルの筆文字(左利き)で自ら書いたという、コンパクトでユニークな句集である。「小さな事件に悩み、喜んでいるささやかな自分を川という鏡に映して、反問している」、それが句集全般を支配している、と前書で本人は述懐している。掲出句よりもバソン了壱らしい句は、むしろ「秋刀魚焼く女の脂目黒川」とか「安藤川一二三アンドゥトロワ」などのほうにある、と言っていいかもしれない。ともかく、「冬の棺」が担がれ去って行くことで、いよいよ冬も去り春が近いことを暗示している。もう二月尽。『川を渡る』(2010)所収。(八木忠栄)


September 0992010

 アンデスの塩ふつて焼く秋刀魚かな

                           小豆澤裕子

年の秋刀魚は不漁で例年より値が高い。10日ほど前駅前のスーパーで見た秋刀魚は一尾480円と信じられない値が付けられていた。この高騰にもかかわらず例年行われる目黒の秋刀魚祭りでは焼いた秋刀魚を無料で配ったというのだから、集まった人たちは「秋刀魚は目黒にかぎる」とその心意気に打たれたことだろう。それはさて置き、掲句にある「アンデスの塩」はボリビアから輸入されているうすいピンク色の岩塩だろう。ほんのりと甘く海塩とは違った味わいがある。銀色に光る秋刀魚にアンデス山脈から切り出されたピンク色の岩塩を振りかけて火にかける。思えば日々の食卓に上がるものはフィリッピンの海老だったり、ニュージーランドの南瓜であったり、アメリカの大豆であったり、世界各国から輸入されたものに彩られるわけで、ひとつひとつの出自を思いながら食せば胃の腑で出会うものたちがたどってきた道のりの遠さにくらくらしそうだ。『右目』(2010)所収。(三宅やよい)


October 05102011

 正面に月を据えたる秋の酒

                           一龍斎貞鳳

識的かもしれないが、まあ、呑んベえなら「秋の酒はこうでありたい」という願いを、絵に描いたような句である。「正面に月」だからではないが、まさしく正面から正攻法で詠まれた、一点の曇りもない句である。月と斜っかいではなく、正面から腰を据えて向き合っている。たまにこういう句に出会うとホッとする。年がら年中、時も場所もわきまえないで、のべつ酒杯をはこぶ左党諸氏にとっても、秋という季節に酌む酒はまた格別であろう。しかも皓々と照る月を正面に眺めながらの酒である。大勢集まってにぎやかに酌むもよし、気の合った二、三人、あるいは一人静かに酌む酒であってもいい。だが、こういう設定は環境的にむずかしくなってきてはいないか。掲句には「四十一年九月二十九日、中秋名月に我が家にて」と詞書が添えられている。貞鳳は言うまでもなく講談師。テレビ・ドラマの「お笑い三人組」で知られたが、昭和四十六年に参議院議員になった。その後、国会対策副委員長、政務次官などを歴任して引退した。俳句は独学二十年。久保田万太郎、富安風生らに私淑したという。随筆集『想ひ川』(1978)には鷹羽狩行選考による「病妻抄」として約三百句が収められている。他に「秋刀魚にも義理人情あるがごと」などの句がある。『講談師ただいま24人』(1968)所収。(八木忠栄)


September 2492012

 駆け出しと二人の支局秋刀魚焼く

                           小田道知

聞社の支局だろう。駆け出しの新人と作者との二人で、その地域をまかなっている。田舎の町の小さなオフィスで、昼餉のための秋刀魚を焼いている。もうこれだけの道具立てで、いろいろな物語が立ち上がってくるようだ。出世コースからは大きく外れた支局長の作者は定年間近であり、新人にいろいろなノウハウを教えてはいるが、若い彼は近い将来に、必ず手元を離れていってしまう。めったに事件らしい事件も起きないし、いざ起きたとなれば、街の大きな支社から援軍がやってくる段取りだ。新聞記者とはいいながら、あくせく過ごす日常ではない。そんな日常のなかだからこそ、「秋刀魚焼く」という行為がいささかの滑稽さを伴いながらも、鮮やかに浮き上がってくる。このとき、駆け出しの新人はどうしていただろうか。たぶん秋刀魚など焼いたこともないので、感心したようなそうでもないような複雑な顔をして、作者を眺めていたような気がする。小さな支局での小さな出来事。映画の一シーンにでなりそうだ。『彩・円虹例句集』(2008)所載。(清水哲男)


August 2182013

 秋刀魚の目ひたすら遠し三尾買う

                           岡本敬三

三さんが私たちの余白句会に、何回かゲスト参加した時期があった。参加されなくなってしばらく経つなあと思っていたら、六月三日に亡くなったとの報に驚いた。以前は酒乱気味だったと聞いていたが、お会いした頃は目立ちたがらず、句会でも静かな存在だった。店先の秋刀魚であろう、その目に向けられたまなざしは静かに慈愛に満ちていて、「おいしそうに輝いているから買おう」という気持ちは、ここには働いていない。掲句を引用して、清水哲男は「秋刀魚を買うというごく普通の行為にしても、その底に、死んだ魚の目のありように触発されたからだと述べずにはいられない」とコメントしている。「一尾」ではなく、せめて「三尾」買ったところになぜかホッとできる。秋刀魚の「ひたすら遠」い目に惹かれて買ったのであろう。他に「君はただそこにいるのか茄子の花」という句があり、私には「茄子の花」に敬三自身が重なって感じられる。合掌。「ににん」51号(2013)所載。(八木忠栄)


September 2092013

 まひるまの秋刀魚の長く焼かれあり

                           波多野爽波

たり前といえば、当たり前の光景だが、不思議な臨場感がある。その秘密はひとつは、上五の「まひるまの」にあろう。これが、夕餉の準備で、たとえば、「夕方の秋刀魚の長く焼かれあり」では、おもしろくもなんともない。「まひるま」という明るい時空で焼かれることによって、秋刀魚の存在感は増してくる。一句のもうひとつの妙味は、「長く」にある。秋刀魚が長い形をしていることは常識だが、常識をあえて、言葉にすることによって、対象物のありようを再認識させてくれる。『骰子』(1986)所収。(中岡毅雄)


August 2682015

 秋刀魚焼く夕べの路地となりにけり

                           宇野信夫

ともなれば、なんと言っても秋刀魚である。七輪を屋外に持ち出して、家ごとに秋刀魚をボーボー焼くなどという下町の路地の夕景は、遠いものがたりとなってしまった。だいいち秋刀魚は干物などで年中食卓にあがるし、台所のガスレンジで焼きあげられてしまう。佐藤春夫の「秋刀魚の歌」も遠くなりにけりである。とは言え、秋になって店頭にぴんぴんならんで光る新秋刀魚は格別である。「今年は秋刀魚が豊漁」とか「不漁で高い」とか、毎年秋口のニュースとして報道される。何十年か前、秋刀魚が極端に不漁で、塩竈の友人を訪ねたおりに、気仙沼港まで脚をのばした。本場の秋刀魚も、がっかりするほどしょぼかった。しょぼい秋刀魚にやっとたどり着いて食した、という苦い思い出が忘れられない。まさしく「さんま苦いか塩っぱいか」であった。かつての路地は住人たちの生活の場として機能していた。今や生活も人も文化も、みな屋内に隠蔽されて、あの時の秋刀魚と同様に、しょぼいものになりさがってしまった。信夫には「噺家の扇づかひも薄暑かな」がある。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)


October 04102015

 学生寮誰か秋刀魚を焼いている

                           ふじおかはつお

月22日、午後12時30分前。車を運転しながら、NHK第一放送を聞いていた時に、読まれた句です。お昼のニュースの後にのどかな音楽が始まって、各地の土地と暮らしの様子をアナウンサーが語る「昼の憩い」という10分の番組で、終わりには一句または一首が読まれます。もう、何十年も続いている番組なので、耳にしたことのある方は多いでしょう。農作業の畑の畦(あぜ)で、お弁当を食べながら聞くリスナーも少なくないようです。ラジオから掲句を聞いて、懐かしい気持ちが秋刀魚の匂いとともに届きました。この学生寮は、たぶん、1960年代くらい。まだ、旧制高校の寮歌がうたい継がれ、「デカンショ節」どおりの蛮カラな生活の中で、人生と哲学を語り合って教養を 熟成する場が学生寮でした 。高度経済成長が始まったとはいえ、日本はまだ貧しく、学生たちは、いつも腹を減らしていました。その時、寮のどこからか、煙とともに秋刀魚を焼く油の香ばしい匂いがたちこめてきます。寮生たちの嗅覚は犬猫なみですから、本を読んでいた者、洗濯していた者、将棋を指していた者、昼寝をしていた者それぞれが立ちあがり、ゾロゾロ匂いの元に向かいます。さて、寮の庭の隅で隠れるように七輪で焼かれていた秋刀魚一匹は、無事、焼き手の口にだけ納まったのか。それとも、箸を手にして七輪を取り囲む猛者たちに分け与えられたのか。50年前の秋、北大の恵迪(けいてき)寮や京大、吉田寮の実景でしょう。(小笠原高志)


October 17102015

 秋刀魚焼くどこか淋しき夜なりけり

                           岡安仁義

漁続きや価格高騰と言われながらも、このところまあまあの大きさと値段の秋刀魚が近所の魚屋に出始めてうれしい。七輪で炭火焼は残念ながらできないのだが、この句の秋刀魚は庭に置かれた七輪の上でこんがり焼かれている。縁側に腰かけて、あるいは庭の中ほどで膝をかかえて、姿の良い秋刀魚をじっと見つめながら焼いている作者。目を上げると茜色だった空は暗くなっており虫の声も聞こえ始めている。秋刀魚が焼き上がればいつもと変わらない食卓が待っていてことさら淋しさを感じる理由もないのだがどこか淋しい。美しい魚が焼かれてゆくのを見ていたからなのか、肌寒さを感じてふと心もとなくなったのか、いずれにしても深秋の夜ならではの心情だろう。『俳句歳時記 秋』(2007・角川学芸出版)所載。(今井肖子)




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