死語という言葉があるが、この光景はもはや「死景」といってよいだろう。ただただ懐しい。そして十代の寺山修司は、この光景が「今」だったころに、既にセピア色に焼き付けている。しゃれている。センスの良さである。七輪で焼いた秋刀魚が、無性に食べたくなった。いや、思い切りジュージュー焼けていく秋刀魚の煙をかぎたくなった。『われに五月を』所収。(清水哲男)
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