1996年8月30日の句(前日までの二句を含む)

August 3081996

 しその葉に秋風にほひそめにけり

                           木下夕爾

いねいに、しみじみとした境地でつくられた句。ちょっと出来過ぎの気がしないでもないが(類似の句もありそうだが)、この季節、同じ思いの人も多いことだろう。作者は、詩人としても著名。というよりも、俳句は余技というべきか。ただ、私に言わせれば、詩も俳句もいかにも線が細い。華奢である。それを評して「空きビンの中につくられた精巧な船の模型」みたいだと、書いたことがある。1965年に五十歳の若さで亡くなった。久保田万太郎門。『菜の花集』所収。(清水哲男)


August 2981996

 朝顔の好色たただよう朝の老人

                           原子公平

根に這わせた朝顔が、今朝も見事に咲いている。部屋着のままで表に出て、老人がいとおしげに眺めている。どこにでも、よくある平和な朝の光景だ。多くの人たちは微笑してその場を通過していく。だが、作者は違った。なんでもないそのシーンに、一瞬なにか生臭いものを感じてしまったのである。老人のいまの「男」のありどころを…。あるいはまた、その人の来し方の生々しい情欲のありようなども。人間は厄介だ。悲しい歌である。『良酔の歌』所収。(清水哲男)


August 2881996

 秋雨の新居はじめて電話鳴る

                           皆吉 司

居へのはじめての電話だというのだから、まだ部屋がきちんと片付いていない状態である。とりあえずは外部との連絡のために、電話機のジャックだけはつないでおいた。電話機は、まだ所を得ず畳の上だ。外はあいにくの雨だから、戸外のあれこれは、今日はできない。室内で荷物を整理しているうちに、電話機は衣類の下に埋もれてしまったりする。そこへ電話のベルが鳴る。番号を知らせてあるのは、親戚や友人の数人だ。誰だろう。たいてい見当はついているのだが……。さりげないタッチで、引っ越し時の一場面をリアルにとらえているところは、さすがに皆吉爽雨の実孫だ。作者と面識はないけれど、また作者がどう思おうと、血は争えないと私は思う。たとえば、短歌における佐佐木幸綱(祖父は佐佐木信綱)の如し。『ヴェニスの靴』所収。(清水哲男)




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