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August 0781996

 藷畑にただ秋風と潮騒と

                           山本健吉

芸評論家・山本健吉の数少ない俳句作品の一つ。「ただ秋風と潮騒と」と言ってはいるが、古典に詳しい健吉のことであるから、秋風と共に芭蕉を思い、潮騒と共に人麻呂を思っていたかも知れぬ。但し、この句は石山での作でも、石見での作でもなく、島原の乱で有名な原城址での作。長崎県出身の健吉にとって、島原の乱はことのほか興味深かったようだ。(大串章)


November 03112001

 定型やひもじくなればイモを食ひ

                           筑紫磐井

句で、単に「いも」と言えば「芋」のことで、里芋を指す。馬鈴薯や甘藷の「藷(いも)」ではない。「芋」は儀礼食として伝統行事に使われてきたから、そしてこの国の「いも」ではかなりの古株(縄文時代には、既に野生種があったという)だから、南米原産の新参の「藷」よりもはるかに格が上なのである。月見に供えるのも、里芋だ。でも、掲句の表記は「イモ」と片仮名である。片仮名にしたのは「里芋」ではないよということであり、「芋」も「藷」も含み込んだすべてのイモ類のことを言っていると受け取った。米が食えずに「ひもじくなれば」イモの類を食うのは歴史的に人の常であり、まさに「定型」。そして、もう一つ。ひもじい作句を比喩的に捉えれば、発想に貧すると必ず貧民がイモを食うような句に仕上げてしまう。これも「定型」。ぼかしてはあっても、むろん作者の力点は後者にかかっているのであり、飢えた人たちが「イモ」を食ったように、いわば定型の伝統的な根菜を食いつくすかのような俳句界の現状を、憂いつつ笑っている。作者は論客としても知られているが、しかし、散文でひもじい俳句作家たちを撃つ限界を心得ている。本物の戦争でも「地上軍」には「地上軍」をぶつけねば勝てないように、「俳句」にも「俳句」をもってするのが最も有効な手だてであることを。このところの磐井句は、そういう意味で見落とせない。次の句などは、無季ながら傑作だ。単なる揶揄や意地悪に終わっていないからである。「虚子・精子頭はでかく肝小さし」。一読、男なら誰しもが、ありもしない自分の「精子の肝」に思いが行ってしまうはずである。俳誌「豈」(2001年AUTUMUN号)所載。(清水哲男)


August 0882003

 師の芋に服さぬ弟子の南瓜かな

                           平川へき

語は「芋」と「南瓜」で、いずれも秋。ああ言えばこう言う。師の言うことに、ことごとく反抗する弟子である。始末に終えない。私も、高校時代にはそんな気持ちの強い生徒だったと思う。『枕草子』を読む時間に解釈を当てられ、我ながら上手にできたと思ったのだが、今度は文法的な逐語訳を求められた。勉強してないのだから、わかりっこない。が、私は言い張った。「古文でも現代文でも、意味がわかればそれでいいんじゃないですか。第一、清少納言が文法を意識して書いたはずもありませんしね」。まったく、イヤ〜な生徒だ。先生、申し訳ありませんでした。そんなふうだったので、二十代でこの句をはじめて読んだときには、とてもこそばゆい感じがしたのだった。ところで、作者は「ホトトギス」の熱心な投句者だったというが、虚子はこの人に辟易させられていたようだ。というのも、この人は一題二十句以下という投稿規定があるにもかかわらず、いろいろと見え透いた変名を使っては百句以上も投稿してきた。それも「ことにその句は随分の出鱈目で作者自身が慎重な態度で自選をさへすればその中から二十句だけ選んで、他はうつちやつてしまつても差支えないものであると分つた時には、いよいよ選者の煩労を察しない態度を不愉快に思ふのであつた」。その人にして、この句あり。にやりとさせられるではないか。虚子は一度だけ、秋田の句会で平川へきに会っている。「あまり年のいかないやりつ放しの人」と想像していたところ、なんと「端座して儀容を崩さない年長者」なのであった。高浜虚子『進むべき俳句の道』(1959・角川文庫)所載。(清水哲男)


August 3082003

 帰郷われに拳をあづけ芋掘る父

                           栗林千津

語は「芋」で秋。俳句では馬鈴薯や甘藷ではなく、里芋のことを言う。句の眼目は「拳あづけて」にあり、実際に拳をあずけて(手をつないで)芋を掘れるわけはないから、「拳」は比喩だ。子供のころにいたずらをしたときなど、すぐに飛んできた父の拳骨。本当に恐かった拳骨。いまにして思えば、それは父の若さの象徴であり、一家を支える活力の源のようなものであった。その若かったときの力をいま、老いた父は作者にあずけるようにして、うずくまり黙々と芋を掘っている。たぶん夕食にでも、娘に食べさせるためなのだろう。久しぶりに帰郷してなんとなく若やいだ気分になっていた作者は、そんな父の姿を認めることで、経てきた歳月の長さを思い知らされているのだ。情け容赦なく、現実の時間は過ぎてゆく……。同じ作者の同じ句集に「鬼やんま父の脾腹を食はんとす」もある。まことに「鬼やんま」は、人に突っかかるように凄いスピードで飛んでくる。父をめがけるようにして飛んできた瞬間に、作者は「あっ、食われる」と直感的に反応したのだった。「脾腹(ひばら)」はわき腹のこと。わき腹が無防備に見えるということもまた、その人の老いをよく示しているだろう。若ければ、わき腹など造作なくガードできるからだ。この句は鬼やんまの獰猛とも言える生態を借りながら、実は老いたる父の弱ってきた様子を一えぐりに提出している。『湖心』(1993)所収。(清水哲男)


September 1292005

 父の箸母の箸芋の煮ころがし

                           川崎展宏

語は「芋(いも)」で秋。俳句で「芋」といえば「里芋」のことだ。里芋の渡来は稲よりも古いとする説もあるそうで、大昔には主食としていた地方(九州や四国の山間部)もあることから、もっとも一般的に知られたイモだったからだろう。したがって、今はそうでもなくなってきたが、里芋の料理、とくに「煮ころがし」は、私の子供時代くらいまではごく日常的な家庭料理であった。いわゆる「おふくろの味」というヤツだ。作者の食卓にもいま、そんな煮ころがしが乗っている。久しぶりだったのだろう。懐かしいな、どれどれと箸をつけたときに、自然に思い出されたのが幼い日の「父の箸母の箸」であった。太くて長くて黒っぽい父の箸と細くて短くて朱っぽい母の箸と,そして芋の煮ころがしが卓袱台(ちゃぶだい)に乗っていた光景。これらの取り合わせは何の変哲もないがゆえに、逆に往時への郷愁をかきたてられるのだ。父も若く、母も若かった。あの頃は,こうした暮らしがなんとなくいつまでも続くように思っていたけれど、振り返ってみれば、わずかな期間でしかなかった。誰にも、容赦なく時は過ぎ行くのである……。と、それこそ芋の煮ころがしのように、ただ三つの名詞を転がしただけの句であるが、とても良い味を出している。『葛の葉』(1973)所収。(清水哲男)


October 02102006

 芋煮会遊び下手なる膝ばかり

                           山尾玉藻

語は「芋煮会」で秋。俳句で「芋」といえば「里芋」のことだ。名月のお供えも里芋である。句集ではこの句の前に「遊ばむと芋と大鍋提げ来る」とあるから、予定なしに急遽はじまった芋煮会なのだろう。それも小人数だ。一瞬、その場に楽しげな雰囲気が漂った。が、いざ大鍋を囲んでみると、なんだかみんな神妙な顔つきになってしまった。こういうときにはワイワイやるのがいちばんで、誰もが頭ではわかっているはずなのだが、いまひとつ盛り上がらない。冗談一つ出るわけでもなく、みんな鍋の中ばかりを見ている。むろん作者もその一人で、ああなんてみんな「遊び下手」なんだろうと、じれったい思いはするのだが、自分からその雰囲気をやわらげる手だては持っていない。自分への歯がゆさも含めて見回すと、揃ってみんなの「膝」が固く見えたというのである。こういうときに、人は人の顔を真っすぐ見たりはしない。俯くというほどではないけれど、なんとなく視線は下に向きがちになる。ささやかな遊びの場に、そんな人情の機微をとらえ、みんなの「膝」にそれとなく物を言わせたところに、揚句の手柄がある。私も遊び下手を自覚しているから、こんな思いは何度もしてきた。その場に一人でも盛り上げ役がいないと、どうにもならないのだ。友人には遊び上手なのが何人かいて、会っていると、いつも羨ましさが先に立つ。どうしたらあんなに楽しめるのだろうかと、つくづく我が性(さが)が恨めしく思われる。『かはほり』(2006)所収。(清水哲男)


September 2692008

 親芋の子芋にさとす章魚のこと

                           フクスケ

に煮物の芋と章魚が盛り付けてある。大きめの芋が親芋。小さいのが子芋。子芋が親芋に尋ねる。「なんでここに章魚がいるの?」親芋は章魚に気を使って小声で子芋に応える。「一緒にいると私たちだけでいるよりも美味しくなるからでしょ」「なんで?」「それぞれの美味しいダシが混ざってもっと美味しくなるのよ」「そうかなぁ。なんかイボイボが気持ち悪い」「そんなこというものじゃありません。失礼でしょ章魚さんに」そんなことを言いながら三者はやがて食べられてしまいました。目が点、耳がダンボ、式にちょっと可愛くちょっと戯画化した少女四コマ漫画ふうの俳句は現代のひとつの流行。自己表現という大命題のダサさをおちょくって氾濫しているが、この句ような馬鹿馬鹿しいまでのドン臭さはまた別ものの笑い。やはり流行りの気取った「可笑しみ」の俳諧とも違う。これを作るのも勇気はいるが、取った虚子もつくづく凄い。虚子編『新歳時記・増訂版』(1951)所載。(今井 聖)


October 08102008

 家遠く雲近くして野老掘る

                           佐藤春夫

老(ところ)は薯蕷(とろろ)芋や山芋と属は同じヤマイモ科だが、別のものである。苦いので食用には適さず、薬用とされる。ヒゲ根が多いところから長寿の老人になぞらえて、「海老(えび)」に対して「野老」と記すといういわれがおもしろい。高い山で野老を探して掘りつづけているのである。だから晴れわたった秋空に浮く雲は、すぐ近くに感じられる。もちろん奥山だから、わが家(あるいはその集落)からは、遠いところに来てしまっている。野老を掘っているうちに、いつのまにか山の高いあたりまで到りついたのであろう。広大な風景のなかの澄みわたった空気、その静けさのなかで黙々と掘る人の映像が見えてくる。この場合の「遠」と「近」との対照的な距離が、句姿を大きく見せている。いかにも秋ではないか。春夫の句について、村山古郷は「形や内容にとらわれないで、のびのび嘱目感想を詠んだ」と評している。秋を詠んだ他の句に「柿干して一部落ある夕日ざし」「思ひ見る湖底の村の秋の燈を」などがある。いずれも嘱目吟と思われる。『能火野人(のうかやじん)十七音詩抄』(1964)所収。(八木忠栄)


October 08102010

 我を捨て遊ぶ看護婦秋日かな

                           杉田久女

性看護士への悪口。「芋の如肥えて血うすき汝かな」同時期にこんな句もある。僕の友人だった安土多架志は長く病んで37歳で夭折したが、神学校出で気遣いのある優しい彼でさえ、末期の病床で嫌な看護婦がいるらしかった。その看護婦が来るとあからさまに嫌な顔をした。病院という閉鎖的な状況に置かれた人の気持ちを思えばこういう述懐も理解できる気がする。同じように長く病んだ三好潤子には「看護婦の青き底意地梅雨の夜」ある。それにつけても看護の現場に生きる人は大変だ。閉鎖的空間に居ることを余儀なくさせられた病者の気持ちに真向かう職業の難しさ。俳句は共感というものを設定し、それに適合するように自己を嵌め込むのではなくて、まず、自分の思うところを表現してみるということをこういう俳句が示唆してくれる。「詩」としての成否はその次のこと。『杉田久女句集』(1951)所載。(今井 聖)




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