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August 0581996

 木の根に晝寝餓ゑに酔ひたる如かりき

                           中村草田男

戦直後、昭和21年の作品。前書きに「ある人の打語れる話、自ら句になりて」とある。みんなが餓えていた時代。空腹もはるかに通り越すと、たしかに酔ったような心持ちになる。このまま、とろとろとあの世へ行ってしまっても構うものかという気分……。(清水哲男)


July 2171997

 横文字の如き午睡のお姉さん

                           宇多喜代子

いえて妙。たとえばワンピース姿のまま昼寝している若い女性の形は、漢字のようではないし仮名のようでもなく、やはりひらひらとした横文字のようだ。これで中年になると太い明朝の平仮名みたいになるのだし、老年になればアラビア文字か。私自身はどうだろう。見たことはないけれど(当たり前だ)、痩せているからたぶん片仮名みたいな寝相なのだろう。この句は拙著『今朝の一句』(河出書房新社・1989・絶版)でも取り上げたが、イラストレーションの松本哉君が大奮闘して、こうでもあろうかとAからZまでのお姉さんの寝相を描いてくれた。スキャナーがあれば、お見せするところなのだが……。(清水哲男)

<と書いて、早朝にアップしたところ> 神奈川県の長尾高弘さんがスキャンして送ってくれました。感謝。お姉さんの寝相はこのようなのです。10時55分。


August 0381997

 愕然として昼寝覚めたる一人かな

                           河東碧梧桐

のようなことは、よく起きる。愕然として昼寝から覚めたのか、それとも覚めてから愕然としたのか。そのあたりは定かではないが、短時間寝るつもりがつい長くなってしまい、目覚めたら家内はしんとしている。寝ている自分を置いて、みな出かけてしまったらしい。しばらくして、いったい今は何時ごろなのだろうかと、柱時計を見上げたりするのである。そこに不意の来客があると、こうなる。「中年やよろめき出ずる昼寝覚」(西東三鬼)。(清水哲男)


August 2181997

 ちらと笑む赤子の昼寝通り雨

                           秋元不死男

夏の陽光をいきなり遮断するように、音をたてて雨が降ってきた。通り雨だ。作者は思わず、傍らですやすやと眠っている赤ん坊が、驚きはしないかと目をやった。すると、赤ん坊がちらりと笑ったというのである。楽しい夢でも見ているのだろうか。すなわち、すべて世は事もなし。なんでもない日常のなかで味わうささやかな幸福観。このがさつな時代に、こういう句に出合うとホッとする。誰もが、もっとこういう時がもてればよいと思う。深刻ぶることだけが文学じゃない。(清水哲男)


July 1971998

 昼寝猫袋の如く落ちており

                           上野 泰

わずも「にっこり」の句。猫の無防備な昼寝はまさにこのとおりであって、人間サマにとっては羨ましいかぎりである。あまりにも無防備なので、ときには人間サマに踏みつけられたりする不幸にも見舞われる。それにしても、そこらへんに落ちている袋みたいだとは、いかにもこの作者らしい描写だ。言われてみると「コロンブスの卵」なのであって、「なあるほど」と感心してしまう。無防備という点では、人間の赤ちゃんも同じようなものだろうけれど、どう見ても袋みたいではない。袋は猫にかぎるようだ〔笑〕。どういうわけか、作者には昼寝の句が多い。「魂の昼寝の身去る忍び足」。もちろんこれは人間である作者の昼寝なのだが、上掲の句とあわせて読むと、今度は人間の「魂」がなんだか猫みたいに思えてきて面白い。これから昼寝という方、あるいは昼寝覚めの方、自分の寝相は何に似ていると思われるでしょうか。『佐介』〔1950〕所収。(清水哲男)


August 2281999

 これよりの心きめんと昼寝かな

                           深見けん二

題にぶち当たる。さあ、どうしたものか。これから「心をきめ」ようという大事なときに、昼寝をするというのは妙だと思われるかもしれない。が、私にはこういう気持ちがよく起きる。というのも、あれこれの思案の果てに疲れてしまうということがあり、思案の道筋をいったん絶ち切りたいという気持ちにもなるからである。思案の堂々巡りを中断し、また新しいアングルから難題を解くヒントを見つけるためには、一度意識の流れを切ってしまうことが必要だ。平たく言えば「ごちゃごちゃ考えても、しゃあない」ときがある。そんなときには、昼寝にかぎる。昼寝は夜の睡眠とは違って短いし、また明るい時間に目覚めることができる。そうした物理的な理由も手伝って、目覚めた後への期待が持てる。終日の思案の果てに就寝すると、一日を棒に振った気持ちになるが、そういうこともない。あくまでも小休止だと、心を納得させて眠りにつける。句は、そういうことを言っている。昼寝の句としては珍しいテーマと言えようが、人間心理の観察記録としては至極真っ当だと、私には読めた。『父子唱和』(1956)所収。(清水哲男)


June 1062001

 人叩く音にて覚めし昼寝かな

                           中村哮夫

目覚めるときに聞こえる音は、たいてい決まっている。カラスの鳴き声や鳥のさえずりであったり、新聞配達の人が駆けていく足音であったりと、耳慣れた音である。ところが昼間となると、実にいろいろな音がする。朝のように慣れた音ではなかなか目が覚めないけれど、昼の不意で雑多な音には慣れていないので、音で目が覚めることが多い。句はまずそのことを言っていて鋭いが、事もあろうに「人叩く音」というのだから穏やかではない。寝ぼけつつも、体内をサッと緊張感が走り抜けただろう。一瞬身構えて、半身を起こしたかもしれない。しかし、これはおそらく夢に混ざり込んできた音であって、現実の音は「人叩く音」ではなかったと思う。夢の中身に、タイミングよく何かの音が呼応して、それが「人叩く音」に聞こえてしまったのだ。かりに現実の音と読めば、句としては平凡すぎて面白くない。誰だって、現実の「人叩く音」には目覚めて当然だろうからだ。それにしても、いまの生臭いような音は何だったのか。作者は徐々に覚醒してくる意識のなかで、しきりに首をひねっている。表はまだ明るい。夢でよかった。読者の私も、そう思った。『中村嵐楓子句集』(2001)所収。(清水哲男)


March 1232002

 白木蓮に純白という翳りあり

                           能村登四郎

語は「白木蓮(はくもくれん)」で春。この場合は「はくれん」と読む。落葉潅木の木蓮とは別種で、こちらは落葉喬木。木蓮よりも背丈が高い。句にあるように純白の花を咲かせ、清美という形容にふさわしいたたずまいである。いま、わが家にも咲いていて、とくに朝の光りを反射している姿が美しい。そんな様子に「ああ、きれいだなあ」で終わらないのが、掲句。完璧のなかに滅びへの兆しを見るというのか、感じるというのか。「純白」そのものが既に「翳り(かげり)」だと言う作者の感性は、古来、この国の人が持ち続けてきたそれに合流するものだろう。たとえば、絢爛たる桜花に哀しみの翳を認めた詩歌は枚挙にいとまがないほどだ。花の命は短くて……。まことにやるせない句ではあるが、このやるせなさが一層花の美しさを引き立てている。しかも白木蓮は、盛りを過ぎると急速に容色が衰えるので、なおさらに引き立てて観賞したくもなる花なのだ。「昼寝覚しばらくをりし白世界」、「夏掛けのみづいろといふ自愛かな」、「老いにも狂気あれよと黒き薔薇とどく」など、能村登四郎の詠む色はなべて哀しい。『合本俳句歳時記・二十七版』(1988・角川書店)所載。(清水哲男)


July 1972002

 をさなくて昼寝の國の人となる

                           田中裕明

語は「昼寝」で夏。「をさなくて」を、どう読むか。素直に「幼いので」と読み、小さな子供が寝つきよく、すうっと「昼寝の國」に入っていった様子を描いた句としてもよいだろう。そんな子供の寝姿に親は微笑を浮かべ、ときおり団扇で風を送ってやっている。よく見かける光景だ。もう一つには、作者自身が「幼くなって」「幼い気持ちになって」昼寝に入ったとも読める。夜の就寝前とは違い、昼寝の前にはあまりごちゃごちゃと物を考えたりはしない。たとえ眠れなくても、たいして気にはかからない。とりあえずの一眠りであり一休みであり、すぐにまた起きるのだからと、気楽に眠ることができる。この精神状態を「をさなくて」と言っているのではあるまいか。子供時代に帰ったような心持ち。この気楽さが、作者をすぐに「昼寝の國」に連れていってくれた。そこには、大人の世界のような込み入った事情もなければ葛藤もない。みんなが幼い人として、素直に邪心なく振る舞っている。大人的現実の面倒なあれこれがないので、極めて快適だ。昼寝好きの私としては、後者を採りたいのだが、みなさんはどうお考えでしょうか。ちょっと無理でしょうかね。ともあれ、明日は休みだ。昼寝ができるぞ。『別冊「俳句」・現代秀句選集』(1998)所載。(清水哲男)


August 1982002

 昼寝びと背中この世の側にして

                           小川双々子

語は「昼寝」で夏。そろそろ、大人の昼寝のシーズンもお終いだ。私は昼寝が大好きだが、涼しくなってくると、さすがに寝る気にはなれなくなる。暑さゆえの疲労感がなくなるからだろう。夜の睡眠とは違って、昼寝には明日の労働力再生産への準備といったような意味合いがない。たいてい、何の目的もない。だから、夜間に眠れなくて深刻に悩む人は多いけれど、昼間に寝られないからといって、気に病む人はいないはずだ。そして、昼寝に入るときの至福感は、入浴のときの「ああ、天国天国」という感じによく似ていると思う。当今流行の言葉で言えば、一種の「癒し」に通じている。作者はたぶん、そういう感覚から「昼寝びと」を見ているのだろう。すなわち、昼寝の当人は「天国」に向いている気持ちなのだが、起きている作者からすると、そういったものでもないのである。俯せにか、横向きにか。無邪気に寝入っている人の気持ちはともかく、見えている「背中」は「この世の側」に残っている。現実が、べったりと背中に貼り付いている。かといって、昼寝の人が故意にこの世に背を向けているのでもない。人の気持ちと現実とが乖離(かいり)している様子を、視覚的にとらえてみせた巧みさに、私は惹かれた。俳誌「地表」(2002年・第415号)所載。(清水哲男)


June 0362003

 何か負ふやうに身を伏せ夫昼寝

                           加藤知世子

語は「昼寝」で夏。昼寝というと、たいがいは呑気な寝相を思ってしまうが、掲句は違う。「身を伏せ」て寝るのは当人の癖だとしても、何か重いものを負っているかに見えるというのである。最近の夫の言動から推して、そんな具合に見えているのだろう。痛ましく思いながらも、しかしどうしてやることもできない。明るい夏の午後に、ふっと兆した漠然たる不安の影。この対比が、よく生きている。一つ家に暮らす妻ならではの一句だ。ちなみに、「夫」は俳人の加藤楸邨である。ただ実は、作者・知世子の夫を詠んだ句には、このようなシリアスな句は珍しい。例外と言ってもよいくらいだ。家庭での楸邨はよほどの怒りん坊であったらしく、その様子は多くカリカチュアライズされて妻の句に残されている。「怒ることに追はれて夫に夏痩なし」。これまた妻ならではの句だけれど、距離の置き方が掲句とは大違いだ。ああまた例によって怒ってるなと、微笑すら浮かべている。なかで極め付けは「夫がき蜂がくすたこらさつさとすさるべし」だろう。「き」と「く」は「来」で、なんと夫を「蜂」と同じようなものだとしているのだから、思わずも笑ってしまう。三十六計逃げるに如かず、君子危うきに近寄らず。と、楸邨の癇癪玉を軽く避けている図もまた、長年連れ添った妻ならではの生活模様だ。夫よりも一枚も二枚も上手(うわて)だったと言うしかないけれど、しかし読者には、これで結局はうまくいっている夫婦像が浮かび上がってくる。『朱鷺』(1962)所収。(清水哲男)


June 2462003

 昼寝覚電車戻つてゐるやうな

                           原田 暹

語は「昼寝」で夏。昼寝から覚めた後で、一瞬「ここはどこ、私は誰」みたいな状態になることがある。そのあたりの滑稽を詠んだ句は多いけれど、電車の中とは意表を突かれた。車中でのうたた寝も、なるほど昼寝といえば昼寝か。これからの季節、こっくりこっくりやっている人をよく見かける。はっと目が覚めて窓外を見るのだが、どこを走っているのかわからない。おまけに、ぼおっとした頭で懸命に判断してみるに、なんだか目的駅とは反対の方向に「戻つてゐるやうな」気がする。ややっ、こりゃ大変だ、どうしよう……。と、ここで一気に眠気の吹っ飛ばないのが車中のうたた寝というもので、なお作者は車中の人に気づかれないよう平静を装いながら、必死に窓外に目をやっている。このあたりが、実に可笑しい。それもこれもが、私にも覚えがあるからで、こういうときに、次の駅であわてて飛び降りたりするとロクなことにはならない。たいていは、そのまま乗っててもよかったのだ。本当に戻ってしまったのは、一度だけ。ほとんど徹夜で飲んだ後、鎌倉駅から東京駅に向かっていたはずが、気がついたら逆方向の逗子駅だった。途中まで友人と一緒だったので、はじめから方向を間違えて乗ったわけじゃない。明らかに、ちゃんと東京駅に着いた電車が折り返してしまったのだった。誰か起こしてくれればよかったのにと、糞暑い逗子駅で東京行きを待つ時間の長かったこと。以来、終点で寝ている人を見かけたら起こすことにした。『天下』(1998)所収。(清水哲男)


July 1772004

 昼寝する我と逆さに蝿叩

                           高浜虚子

の夏の生活用品で、今では使わなくなったものは多い。「蝿叩(はえたたき)」もその一つだが、句は1957年(昭和三十二年)の作だから、当時はまだ必需品であったことが知れる。これからゆっくり昼寝をしようとして、横になった途端に、傍らに置いた蝿叩きの向きが逆になっていることに気がついた。つまり、蝿叩きの持ち手の方が自分の足の方に向いていたということで、これでは蝿が飛んできたときに咄嗟に持つことができない。そこで虚子は「やれやれ」と正しい方向に置き直したのかどうかは知らないが、せっかく昼寝を楽しもうとしていたのに、そのための準備が一つ欠けていたいまいましさがよく出ている。日常生活の些事中の些事でしかないけれど、こういう場面を詠ませると実に上手いものだと思う。虚子の句集を見ると、蝿叩きの句がけっこう多い。ということは、べつに虚子邸に蝿がたくさんいたということではなくて、家のあちこちに蝿叩きを置いておかないと気の済まぬ性分だったのだろう。それかあらぬか、娘の星野立子にも次の句がある。「蝿叩き突かへてゐて此処開かぬ」。引き戸の溝に蝿叩が収まってしまったのか、どうにも開かなくなった。なんとかせねばと、立子がガタガタやっている様子が浮かんできて可笑しい。いやその前に、父娘して蝿叩きの句を大真面目に詠んでいるのが微笑ましくも可笑しくなってくる。『虚子五句集・下』(1996・岩波文庫)所収。(清水哲男)


June 2662005

 家中が昼寝してをり猫までも

                           五十嵐播水

語は「昼寝」で夏。この蒸し暑さで、例年より早く昼寝モードに入ってしまった。昼食後、すぐに一眠り。建設的な習慣はなかなか身につかないが、こういうことだとたちまち身になじんでしまう。心身が、生来無精向きにできているようだ。さて、掲句。まことに長閑で平和な情景だ。屈託のない詠みぶりとあいまって、解釈の分かれる余地はないだろう。気がつけば、自分を除いて「猫までも」が熟睡中だ。ならば当方もと、微笑しつつ作者も枕を引き寄せたのではあるまいか。ただし、人間を長くやっていると、こうした明るい句にもちょっぴり哀しみの影を感じるということが起きてくる。すなわち、長い家族の歴史の中で、このように一種幸福な状態は、そう長くはつづかないことを知ってしまっているからだ。そのうちに、いま昼寝をしている誰かは家を出て行き、誰かは欠けてゆく。家族の歴史にも盛りのときがあり、句の家族はまさに盛りの時期にあるわけだけれど、哀しいかな、今が盛りだとは誰もが気がつかない。後になって振り返ってみて、はじめてこの呑気な情景の見られたころが、結局は家族のいちばん良いときだったと思うことができるのである。切ないものですね。あなたのご家庭では、如何でしょうか。『新歳時記・夏』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)


August 1882006

 運慶とのつぴきならぬ昼寝かな

                           平山雄一

倉時代を代表する仏師運慶は、東大寺南大門の金剛力士像や興福寺の無著・世親菩薩立像などが代表作。運慶作の仏像を観た興奮が作者の中に残っていて、その昂ぶりを抱え込んだまま昼寝の刻を過ごしている。実際に眠ったのか、悶々としたのか、はたまた夢に運慶が現れたのか。とにかく仏像という作品を通して運慶という芸術家の魂が現代に生きる作者の魂を揺さぶったのだ。それが「のつぴきならぬ」。八百年余の時を超えて二つの魂が出会う。そして、この句に漲る青春性は、なんと言っても「昼寝」にある。明るい光の中で畳に仰臥する姿は、大らかでいて、どこか捨身無頼の生き方を思わせる。作者の中にそういうことに対する憧憬や予感があったのかもしれない。『天の扉』(2002)所収。(今井 聖)


April 2542007

 灯台は立たされ坊主春の富士

                           小林恭二

句評論で活躍している小林恭二に、『春歌』という一冊の尋常ならざる句集がある。「初期句集」と記され、九十三句を収めた句集らしくない趣きの句集。加藤裕将の楽しい挿絵多数。あとがきに「大学二年で俳句を始め、卒業と同時に本格的な句作から手をひきました」とある(在学中は「東大学生俳句会」の一員だった)が、時どき彼の俳句を目にすることがある。中学校時代に「立たされ坊主」をよく経験した者(私)にも、ほほえましく享受できる句である。近くに灯台があり、遠方に富士山が見えていると解釈すれば、ゆるやかな春の光と風のなかに突っ立っている灯台と、彼方にモッコリと立っている(聳えているのではない)富士山とのとり合わせが、いかにも駘蕩としていて、対比的で好ましいのどかな風景になっている。灯台を富士山に重ねる解釈も成り立つだろうけれど、ここはやはり両者が同時に見えているワイド・スクリーンとしてとらえたほうが、春らしい大きな句姿となる。さらに穿った解釈が許されるならば、作者は「東大は立たされ坊主」というアイロニーを裏に忍ばせているのかもしれない。小林恭二は「俳句研究」に毎号「恭二歳時記」を五年間にわたって連載中だが、同誌四月号のインタビューで「(句作を)毎日やっていればまた別なのかもしれませんけれども、二年とか三年に二句詠む、三句詠むなんて、もう面倒臭くて」と答え、実作者としての目は「限りなくゼロに近い」と述懐している。句集には「昼寝覚マッチの頭燃え狂ふ」「ひねくれば動く電気仕掛の俳句かな」などがある。『春歌』(1991)所収。(八木忠栄)


June 1062008

 海底のやうに昏れゆき梅雨の月

                           冨士眞奈美

雨の月、梅雨夕焼、梅雨の蝶など、「梅雨」が頭につく言葉には「雨が続く梅雨なのにもかかわらず、たまさか出会えた」という特別な感慨がある。また、前後に降り続く雨を思わせることから、万象がきらきらと濡れて輝く様子も思い描かれることだろう。夕暮れの闇の不思議な明るみは確かに海底の明度である。空に浮かぶ梅雨の月が、まるで異界へ続く丸窓のように見えてくる。ほのぼのと明けそめる暁を「かはたれ(彼は誰)」と呼ぶように、日暮れを「たそかれ(誰そ彼)」と呼ぶ。どちらも薄暗いなかで人の顔が判別しにくいという語源だが、行き交う誰もが暗がりに顔を浸し輪郭だけを持ち歩いているようで、なんともいえずおそろしい。昼と夜の狭間に光りと影が交錯するひとときが、梅雨の月の出現によって一層ミステリアスで美しい逢魔時(おうまがとき)となった。〈白足袋の指の形に汚れけり〉〈産み終へて犬の昼寝の深きかな〉〈噛みしめるごまめよ海は広かつたか〉俳句のキャリアも長い作者の第一句集『瀧の裏』(2008)所収。(土肥あき子)


June 2962008

 居るはづの妻消えてゐし昼寝覚め

                           平石保夫

通の読み方をするなら、この句はほほえましい光景として受け止められるのでしょう。連日のつらい通勤から、やっとたどり着いた休日なのに、勤め人というのはなぜか朝早く目が覚めてしまうのです。そのために昼過ぎにはもう、朝の元気は消えうせ、眠くて仕方がありません。腕枕をしながらテレビでも見ようものなら、5分とたたずに眠ってしまいます。いつもなら、「こんなところで邪魔ねえ」と、早々に起こされるところが、なぜか今日はぐっすり眠らせてもらえたようです。なんだか頭の芯まですっきりするほどに眠ってしまったのです。窓の外を見れば、すでに夕暮れが訪れてきています。部屋の電気も消え、まわりには何の物音もしません。どうしてだれもいないのだろうと、だるい体で考えをめぐらせているのです。読みようによっては、「消えて」の一語が、ちょっとした恐怖感をかもし出しています。でも奥さんは単に、夕飯の買い物にでも出かけたか、あるいは何かの用事があって外出しているだけなのでしょう。さびしさとか、取り残されているとか、そんな感じの入り込む余地のない、おだやかで、堅実な日々のしあわせを、この句から感じ取れます。『鑑賞歳時記 夏』(1995・角川書店)所載。(松下育男)


August 2082008

 打水や下駄ぬぎとばし猶も打つ

                           土師清二

昼、都心の舗道を汗を拭き拭き歩いていると、いつも思う――どこまでもつづくコンクリート装置が、必要以上の暑熱を容赦なく通行人や街に照り返している! 異常としか言いようのないこの都市という装置は、人間にとってはたまったものではない。その二日後、私は佃と月島の路地を歩いていた。行く先々に施された打水。暑いけれどホッとして、居住民のごく自然な心遣いが思われる。この街では家々が、人々がお隣同士、水を打ちながら有機的につながっているのだ、と私には思えた。おそらくそういうことなのだろう。そういう街もまだあるにはある。わが家の前の道路に水を打つ、という習慣がまだ生きていることが、妙にうれしく感じられた。「下駄ぬぎとばし」ながら、これでもかこれでもかと水を打っている人は、短パン姿であれ、ステテコ姿であれ、また甚兵衛姿のおっさんであれ、「猶も打つ」という表現から、きわめて暑い日の打水であることが想像できる。ちょっと滑稽にも感じられるその様子に、暑さに精一杯対抗している勢いがあふれている。「砂絵呪縛」などの大衆小説で活躍した清二には句集『水母集』があり、村山古郷は「俳句ずれのしない新鮮な味がある」と評している。ほかに「花火消えて山なみわたる木霊かな」「午睡する足のやりばのさだまらぬ」などの句がある。『水母集』(1962)所収。(八木忠栄)


June 2562009

 夏座敷父はともだちがいない

                           こしのゆみこ

年梅雨が終わると、祖母は座敷の襖を取り払って簾を吊り下げた。すっかり片づいた座敷の真ん中を涼しい風がさぁっと吹き抜けてゆくのはいかにも夏らしくて気持ちがよかった。夏座敷や打ち水といった季節の風物と縁遠いマンション暮らしの今は、思い出のなかにある風景を懐かしんでいる。そんな夏座敷の真ん中に父が一人で座っている。「父は」と言っているところからそれぞれに友達がいるほかの家族と比べているのだろう。おしゃべりな母はご近所の人たちと、かしましい娘たちも友達とたわいもない話に興じながら日々を暮らしているのかもしれない。寡黙な父はそれを羨むでもなく、一人でひっそり静かな日常を過ごしているのだろう。風通しの良い夏座敷が父の孤独をくっきりと印象付けている。「昼寝する父に睫のありにけり」「蜻蛉にまざっていたる父の顔」など、家族の中で少し寂しげだけど、かけがえのない父の姿を愛情を持って描き出している。『コイツァンの猫』(2009)所収。(三宅やよい)


July 0272009

 昼寝覚め象にあたまを跨がれて

                           澤 好摩

寝は20分ぐらいが限度でそれ以上寝るとかえってだるくなる。と、どこかで読んだ覚えがある。そうは言ってもついとろとろ寝てしまい、気づいたときには夕暮れといっただらしなさ。象にあたまを跨がれた経験を持つ人はそうはいないだろうが、その圧迫感、恐ろしさは想像するにあまりある。灰色の象はその大きさが童話的に語られがちだが、その重量感を違った角度で描き出している。まわりの音は聞こえているのに身体が重くて、なかなか起き上がれない。ようやく目覚め、しばし現実を把握できぬまま手足を投げ出してぼうっと天井を見上げている。その有様が象に踏みつけにされるのを逃れたあと大地に仰向けになっている人を想像させる。危険が過ぎ去ったあとの放心も昼寝覚めに似た味わいかもしれない。現実と夢が交錯する曖昧な気分を象の重量感とともに言いとめている。『澤好摩句集』(2009)所収。(三宅やよい)


August 3082009

 ひやひやと壁をふまへて昼寝かな

                           松尾芭蕉

寝は夏の季語ですが、ひやひやは秋の季語。まあ、夏の終わりの頃と解釈すれば、両方の顔がたつのでしょう。ひやひやは言うまでもなく、足の裏が壁に接したときのつめたい感覚です。漆喰の壁なのか、土壁なのか、どちらにしても材料はもともと大地にあったものです。それをわざわざ立たせて壁にしたわけです。その立たせたものに、今度は人のほうが寝そべって足裏をつけて、ふまえているというのですから、奇妙なことをしているものです。昼寝なのだから、出来うる限り心地のいい姿勢をとりたいと思うのは当然であり、夏の終わりの、まだ蒸し暑い部屋の空気に汗をにじませながら、せめて足裏なりとも、冷たいものに触れていたいと思ったのでしょう。ひんやりとした感覚を想像すれば、なんだか心地よく眠ってしまいたくなるようなけだるさを感じます。ちなみにわたしは今、会社の昼休みにこれを書いていますが、さきほど食べたサンドイッチが胃のあたりに下りてきて、ひどく眠くなってきました。壁ならぬ机の脚でもふまえて、午後の業務までつかの間の昼寝なぞを。『日本名句集成』(1992・學燈社)所載。(松下育男)


June 2262010

 夏雲や赤子の口を乳あふれ

                           安部元気

雨さなかとはいえ、時折の晴れ間はまごうことなき夏の日差しになっている。掲句は、もくもくとした夏雲の形態が、赤ん坊の放出する生のエネルギーに重なり、ますますふくれあがっていくようだ。さらに生まれたての小さな口を溢れさせるほどの、ほとばしる乳を与える母の像も背景におさえ、圧倒的な健やかさを募らせている。いまさら母乳の味を覚えているはずもないが、ふいに口中になつかしい感触もわいてくるように思い、見回してみれば世の中にあふれる「ミルク味」たるものの多さに驚いた。アイスクリーム、キャンディーなどの菓子類はともかく、サイダーやカップ麺にまで出現している。これほどの多様さを見るとき、ふと生きる糧そのものであった乳の、あの白色を慕い、ねっとりとしたほの甘さを、今もなお求めているのだとも思えるのである。〈船虫や潮にながされつつ進み〉〈昼寝より覚めれば父も母もゐず〉『一座』(2010)所収。(土肥あき子)


July 0272010

 魚屋の奥に先代昼寝せり

                           鈴木鷹夫

よお、大将いる?」「奥で寝てますよ」「いい身分だね、昼間っから寝てるなんて」「昼間っから魚屋冷やかしてる方もいいご身分じゃないんですか」「何言ってんだ、俺は客だよ。魚買いに来てんだ」「ありがとうございます。今日はいい鰺入ってるよ」先代が昼寝しているのがわかったのは、二代目に尋ねたからだ。それで日頃の付き合いがわかる。他人が昼寝している時間に魚屋に行った方も昼間から暇なのだ。ゆったりした時間が流れる。これを晩年と呼ぶならこんな晩年がいいな。「俳句年鑑2010年版」(2009)所載。(今井 聖)


July 3172011

 昼寝よりさめて寝ている者を見る

                           鈴木六林男

の句はいいな、と感じるときには、二種類あります。句のほうに向かって、自分の感受性がぐいぐい引きこまれてしまう場合と、反対に句のほうがこちらにやってきてくれて、自分の感覚に寄り添ってくれる場合です。自分にはない新鮮な美しさをもたらしてくれるのが前者。自分の中の懐かしさや優しさを思い出させてくれるのが、後者です。この句に惹かれたのは、後者の感じ方によります。座敷にゴロゴロと、誰が先ともなく、いつのまにか眠ってしまい、ふと目が覚めると、まだ他の人は眠っていたという状況のようです。つまりは思いがけなくも、いつもそばにいる人の寝顔をじっくりと見ることになるわけです。ああ、たしかにこういう経験って、幾度もしたことがあるなと、思い出し始めます。家族みんなでぐっすり眠っていたこともあるし、あるいは高校生だった頃の夏に、臨海学校の大きな畳敷きの部屋で、たくさんのクラスメートと眠っていたこともありました。もちろん外では、蝉がやかましいばかりに鳴いていました。長く生きていると、ひとつの句から、いくつもの大切な情景が思い出されてきて、そのたびに幸せな記憶に漂ってしまいます。『新日本大歳時記』(2000・講談社) 所載。(松下育男)


August 2482011

 うちの子でない子がいてる昼寝覚め

                           桂 米朝

寝から覚めてあたりを見まわすと、うちの子のなかによその子が混ざって寝ていたという驚き。昔はよくそんなことがありました。私も子供のころ友だちの家に行き、遊びくたびれていつの間にか昼寝をした、そんな経験がある。蜩の声でようやく寝覚めて「エッ!」と面喰らったことが一度ならずあった。その家で、平気で昼食や夕飯をご馳走になったりもした。「かまへん。これからうちの子と夕飯食べたら帰しますさかいに」……米朝が言う「うちの子」だからといって、幼い日の彼の息子(現・桂米團治)と限定して考える必要はあるまい。上方弁の「いてる」にほほえましい驚きが感じられて愉快である。その子はスイカでもご馳走になって、けろりとして家へ帰って行くのかもしれない。去る七月二十一日から八月二日まで、新宿の紀伊國屋画廊で「桂米朝展」が開催された。上方落語の中興に多大な尽力をしてきた。貴重な上方演芸の資料は見応えがあった。期間中に、紀伊國屋ホールでは米朝特選落語会などが開催された。そのうちの「東京やなぎ句会」メンバー(米朝もメンバー)による「米朝よもやま噺」のパートで、加藤武が好きな句として掲句をあげていた。米朝には他に「春の雪誰かに電話したくなり」という佳句がある。米朝の俳号は八十八。来年いよいよ数えで八十八歳の米寿を迎える。『楽し句も、苦し句もあり、五・七・五』(2011)所載。(八木忠栄)


July 1772012

 恐竜の踊る仕草や昼寝覚め

                           合谷美智子

しかに恐竜といって思い浮かべたティラノサウルスには、大きな頭と二足歩行する立派な足、そしておぼつかない腕のようなものが付いている。国立科学博物館のHPによると、全長12メートルもあるティラノサウルの腕の長さは大人の人間のそれとほとんど変わりないという。そんな華奢なものが一体なんの役に立つのだろうか。あらためて見れば見るほど奇妙な具合で、指は2本あり、その用途はいまだはっきりしていない。強面の巨体の胸についた腕をぱたぱたと動かす姿を想像すればなにやら滑稽で、掲句の通りまるで盆踊りでも踊っているように見えるのではないか。恐竜にはまだまだ謎が多く、皮膚が残っていないことからその色彩もはっきりしない。もしかしたら黄色と赤のストライプという鮮やかな配色の可能性もあったかもしれない。昼寝の覚め際には、もぞもぞと寝返りを打ちながら夢の記憶をまさぐるような時間がある。目の前を原色の恐竜がひた走り、激しい咆哮を聞き、草原の強い風のなかから抜け出してしまうのは、なんとも惜しい。〈あめんぼに四角き影のありにけり〉〈父のゐて母美しや夕端居〉『一角獣』(2012)所収。(土肥あき子)


August 0182012

 鰻屋の二階客なき焼け畳

                           矢野誠一

を扱った落語はいろいろある。「鰻の幇間(たいこ)」は調子のいい幇間が、路上で行きあった旦那(幇間には誰だか思い出せない)に冴えない鰻屋に誘われ、最後はとんでもないことになるという傑作。通された二階の座敷には、直前まで店の婆さんが昼寝していたり、窓にオムツが干してあったり、床の間の掛軸は二宮金次郎の絵、酒盃の絵は日章旗と軍旗のぶっ違いだったり、キツネとタヌキが相撲を取っていたり、お新香は薄切りで肝腎の鰻は硬くて噛み切れない……畳も焼けてしまっているだろう。落語評論家でもある誠一は、そんな「鰻の幇間」をどこかにイメージして詠んだのかもしれない。こぎれいでよく知られた老舗などとは、およそほど遠い風情を物語る「焼け畳」。いや、ともすると絶品の鰻をもてなす隠れた店なのかもしれないし、客も少ないから畳は焼けたまま、それを取り替える気配りもやる気もない店なのかもしれない。今年の「土用の丑の日」は七月二十七日だった。平賀源内か太田南畝が考えた出した風習だ、という伝説がある。先頃、アメリカがワシントン条約により、鰻の国際取引の規制を検討しているというニュースが報じられた。ニッポンやばい! ならばというので、賢いニッポン人が、サンマやアナゴ、豚バラ肉の蒲焼きを「代替品」として売り出し人気を呼んでいるらしい。そんなにしてまで鰻にこだわるかねえ? 誠一の夏の句に「趣味嗜好昼寝の夢も老いにけり」がある。『楽し句も、苦し句もあり、五・七・五』(2011)所載。(八木忠栄)


May 2052013

 三十分のちの世恃む昼寝かな

                           加藤静夫

者によっては、大袈裟な句と受け取る人もいるだろう。「三十分のちの世」などと言っても、「現在の世」とほとんど変わりはないからである。たまには三十分の間に大きな地震が起きたりして、世の中がひっくり返るような騒ぎになるかもしれないが、そうした事態になることは稀である。私たちは三十分どころか二十四時間後だって、今と同じ世の中がつづくはずだと思っている。今も明日の今頃も、ずうっと先の今頃も、世に変わりはないはずだと無根拠に信じているから、ある意味で安穏に生きていけるのだ。しかし、だからこそ、なんとか三十分後の世が変わってくれと恃(たの)みたくなる気持ちの強くなるときがある。たとえば私などは原稿に切羽詰まったときがそうで、どうにも書きようがなく困り果てて、ええいままよとばかり昼寝を決め込むときがある。まさに三十分後の世に期待をかけるわけだが、たまには思わぬアイディアが湧いてきたりして、効果があったりするのだから馬鹿にできない。でも、よくよく考えてみれば、この効果は「世」が変わった結果ではなく、自分自身が変わったそれなのだけれど、ま、そのあたりは物は考えようということでして……。『中肉中背』(2008)所収。(清水哲男)


June 1662013

 与太者も足裏白き昼寝かな

                           岡本敬三

月三日に他界された岡本さんの句です。月曜の清水さんも「控えめな人柄であった」とおっしゃっているとおり、句会では、細身の躯を控えめにたたみ、主張するというよりも、よく人の話に耳を傾ける人でした。だから、文学少女の心を保ち続けている女性たちに慕われることが多く、他の男衆はうらやましがっておりました。怒る、どなる、意地悪をいう、そんな感情はどこかに置いてきて、句会をしみじみ楽しんでおられました。掲句は、十年ほど前の「蛮愚句会」で詠まれた句です。岡本さんが、「ぼくは、足の裏が好きなんですよ」と云ったことが印象深く、後にも先にもそんな嗜好を聞いたのはこれっきり、ありません。考えてみれば、足の裏はふだん隠れていて、体の中でも気にしない部分です。たとえば、悪人には悪人の人相とか、善人には善人の人相とかがあるのかと思われますが、足の裏は、善人も悪人も偉人も凡人も大差ないでしょう。人類は、足の裏において平等に白い、岡本氏はこう言いたかったのかどうか、もう聞けないのが悲しい。たぶん、そんな大げさには考えていないよと、静かに、喉の奥からおっしゃるでしょう。なお、岡本敬三の小説に『根府川へ』(筑摩書房)があります。句誌『蛮愚』(別冊・30回記念・2002)所載。(小笠原高志)


July 0472014

 桐の木の向う桐の木昼寝村

                           波多野爽波

の木というと高貴なイメージがある。桐の木の向こう側にも桐の木が生えている。この場合、桐の木が二本だけというのは考えにくい。それ以外にも、何本か生えているのであろう。折しも、時は、昼寝の時間。村は静まりかえっている。秋櫻子の「高嶺星蚕飼の村は寝しづまり」と比較してみても面白い。現実に存在する村ではなく、メルヘンチックな風景画のように感じさせる。『湯呑』(昭和56年)所収。(中岡毅雄)


July 0372015

 消えかけし虹へペンギン歩み寄る

                           金子 敦

ンギンは主に南半球に生息する 海鳥であり、飛ぶことができない。海中では翼を羽ばたかせて泳ぐ。海中を自在に泳ぎ回る様はしばしば「水中を飛ぶ」と形容される。陸上ではよちよちと歩く姿がよく知られているが、氷上や砂浜などでは腹ばいになって滑ったりする。飛ぶことを失った鳥。話は逸れるが、小生の周りにパニック障害に苦しむ者が居る。自分の行動が自分の意のままにならないのだ。勤めに出ようにもそこへ向かう一歩が硬直して踏み出せない。今空へ向かって飛出せないペンギンの姿が重なって見えてくる。真っ白な南極に七色の虹が掛り今消えかかっている。普段見慣れぬ虹に見とれていたペンギンが、もう少し夢の時間を惜しむかのように歩み寄って行った。もしも飛べたなら空へ向かって羽ばたいたろうか。それでもペンギンは消えかけた虹へ向かってよちよちと歩み寄って行くのであった。他に<メビウスの帯の中なる昼寝覚><月の舟の乗船券を渡さるる><白薔薇に吸ひこまれたる雨の音>などあり。『乗船券』(2012)所収。(藤嶋 務)


July 2272016

 昼寝覚電車戻つてゐるやうな

                           原田 暹

くある錯覚。以前は酷暑のおりは疲労がたまり夜の睡眠不足を補う意味で昼寝が奨励された。今ではビルも家庭も車内でも空調が行き届き昼は安眠の機会となっての昼寝である。電車の座席はとにかく寝心地がよい。そこでついつい居眠りに陥る。心底寝入ってはいないので次は何々駅のアナウンスではちらと目が覚める。作者の場合は進行中での目覚めだろうか睡眠の中に失っていた自分を取り戻したものの自分の立ち位置がはっきりしない。動いてはいるもののさてはて戻っているような気もするしという半分だけ覚醒の状態。隣りに並走している電車があれば余計ややこしくなる。追い付いたり追い越したりしている内にとろとろと混乱して眩暈がする。ある夏の眠たい午後の昼寝覚め、突如寝覚めて乗り越しに気が付いてあわてても後の祭りである。仮にふいと飛び降りても網棚に忘れ物などをしたら大事件となってしまう。他に<人日の茶山にあそべ天下の子><梟を眺め梟から眺め><蟬時雨駐在さんの留守二日>など所収。『天下』(1998)所収。(藤嶋 務)




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