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July 1971996

 裸子や涙の顔をあげて這ふ

                           野見山朱鳥

鳥はいつも病気がちで、人生の三分の一は病床にあった。したがって、死をみつめた句が数多い。そんななかでの健康な乳児をうたった作品だけに、印象が強い。もちろん、赤ん坊の微苦笑を誘うしぐさのスケッチと読んでよいわけだが、涙の裸子に声援を送る作者の気持ちにはそれ以上の思いが込められている。『荊冠』所収。(清水哲男)


September 1191996

 裏窓の裸醜し又美し

                           瀧 春一

のような句を読むと、季節に関わらず(もう秋だ)力を込めて紹介したくなる。路地裏の長屋の窓から見える老人の裸。パンツ一枚の姿のなんと醜く美しくあることか。ここに人の世の営みがあるのである。作者は秋桜子門。『花石榴』で蛇笏賞受賞。(井川博年)


October 03101997

 登高ののぼりつめればラーメン屋

                           大野朱香

野朱香さんは1955年生れの女流俳人。「これはもう裸といえる水着かな」という句で知られる。亡き江國滋さんが『微苦笑俳句コレクション』に何句も採っているのもうなずける。江國さん、好きだったんだ。私も好きな俳人です。「登高(とうこう)」は秋の季語。もともとは重陽の節句に、文人が高きに登って詩を詠じた故事をいう。最近は秋の気候の良い頃のハイキング気分の語となっている。その坂道ののぼりつめたところがラーメン屋だったんだ。なんだ、なんだ、といいながら、それでも食べるラーメンは、きっと美味しいだろうなあ。(井川博年)


August 1881998

 はだかにて書く一行の黒くなる

                           小川双々子

だかで物を書く。ハタから見ればいささか滑稽な姿かもしれないが、珍しいことではない。私にも、ずいぶんと経験がある。汗がしたたるから、書いた文字はにじんで黒くなる。現象的には、それだけのことを書いた句だ。でも、それだけのことを書いた句が、なぜ読者の心にひっかかるのだろう。私の考えでは、はだかが人間の原初の姿であるのに対して、文字は原初から遠く離れた着衣の文化だからだと思う。すなわち、着衣を前提にして、文字による表現は幅と深みを獲得してきた。はだかで暮らせる人には、複雑な文字表現など必要はないのである。はだかで原稿などを書いた体験からすると、自分で自分が笑えてくるような感じがあって、実に不思議な精神状態になる。そしてその次には、はだかでいる自分が、まぎれもなくいつかは消滅する生物であると自覚され、汗ににじんだ黒い文字列がひどく虚しく見えてきてしまう。あえて一言で、この心境を述べるならば「黒い孤独」とでも言うしかないようだ。これを気障な台詞と感じる人は、幸福な人である。人間の着衣文化を、当たり前だと信じて疑わない人である。皮肉で言うのではない、念のため。『異韻稿』(1997)所収。(清水哲男)


June 2962001

 裸子も古めかしくてこの辺り

                           京極杞陽

語は「裸子(はだかご)」で、夏。1964年(昭和三十九年)、東京オリンピックの年の作品だ。一般の家庭にはまだ冷房が普及していなかったので、ちっちゃな子はみんな、それ以前と同じように、裸(同然)で夏の昼間を過ごしたものだ。ああ、懐かしき「金太郎の腹掛け」よ。掲句が面白いのは、子供の裸の姿にも「古めかしく」感じられる何かがあると、ストレートに披歴しているところだ。よく言う「田舎くささ」に通じる感覚だろう。「この辺り」がどのあたりなのかは知らないけれど、その土地の「古めかしさ」を「裸子」にまで見て取り、しかも句に仕立て上げた感覚は鋭い。リアリストの目が光っている。誤解のないように述べておけば、むろん作者はここで微笑しているのである。大人の(男の)社会では、しばしば比喩的に「裸のつきあい」などと言って、お互いの衣装や殻を脱ぎ捨てたコミュニケーションこそ最上と位置づけたりする。だが、無心に近い「裸子」にして、既にこのような古さがあるわけだ。裸になってもなお脱げない根源的な意匠の存在を指し示している意味でも、この句は考えるに値するだろう。いわば無心のままにまとってしまった意匠は、ついに脱ぐことができない。私はこの条件を、人間の脱しきれぬそれとしてカウントせざるを得ないできた。『花の日に』(1971)所収。(清水哲男)


July 2472001

 重荷つり上げんと裸体ぶら下る

                           竹中 宏

語は「裸」で夏。これぞ「裸」のなかの「裸」だ。もとより全裸ではないのだけれど、まったき裸の凄みを感じる。真夏の工事現場あたりでの嘱目吟かもしれないし、そうではないかもしれない。そんなことはどうでもよいと思われるほどに、この「裸体」には説得力がある。底力がある。人間、いくら生きていても、裸でこのように渾身の力と体重をかけて何かをする機会は、めったにあるものではない。句の男は、それを当たり前のようにやっている。当人はもちろん、見ている側にも、いや句を読んでいるだけの側にも力が入る。単純でわかりやすい構図だけに、よりいっそうの力が入るのだ。こういう句を読むと、炎暑に立ち向かうという気概がわいてくる。小手先でごちゃごちゃクレーンの装置などをいじっているよりも、この男の単純な力技の発揮のほうが、よほど清冽な真夏の過ごし方だと思えてしまう。はたして、この「重荷」はつり上がったろうか。なかなかつり上がらずに、男はぶざまにも宙で脚をバタバタさせることになるのかもしれない。それも、また良し。作者の役割は「ぶら下がる」ときの気合いだけを伝えることなのだから。作者の竹中宏は、十代からの草田男門である。「翔臨」(第41号・2001年6月30日発行)所載。(清水哲男)


November 17112007

 別れ路の水べを寒き問ひ答へ

                           清原枴童

い、は冬の王道を行く形容詞であるが、ただ気温が低い、という意味の他に、貧しいや寂しい、恐ろしいなどの意味合いもある。秋季の冷やか、冬季の冷たしも、冷やかな視線、冷たい態度、と使えば、そこに感じられるのは、季感より心情だろう。この句の場合、別れ路の水べを寒き、まで読んだ時点では、川辺を歩いていた作者が、二またに分かれた道のところでふと立ち止まると、川を渡り来る風がいっそう寒く感じられた、といった印象である。それが最後の、問ひ答へ、で、そこにいるのは二人とわかる。そうすると、寒き問ひ答へ、なのであり、別れ路も、これから二人は別れていくのかと思えてきて、寒き、に寂しい響きが生まれ、あれこれ物語を想像させる。寒き、の持つ季感と心情を無理なく含みつつ、読み手に投げかけられた一句と思う。清原枴童(かいどう)は、流転多き人生を余儀なくされ、特に晩年は孤独であったというが、〈死神の目をのがれつつ日日裸〉〈着ぶくれて恥多き世に生きむとす〉など、句はどこかほのぼのしている。句集のあとがきの、「枴童居を訪ふ」という前書のついた田中春江の句〈寒灯にちよこなんとして居られけり〉に、その人となりを思うのだった。「清原枴童全句集」(1980)所収。(今井肖子)


May 2152010

 治水碑に抱きついてをり裸の子

                           原 拓也

ぜこの子は治水碑に抱きつくのだろうと思う人は先入観にアタマを支配されている。抱きつくには抱きつく理由があるのはもちろんだが、それを一句の中でなるほどと思わせる必要はない。治水碑という意味を優先させれば、感慨深げにその碑文に見入ったり、治水工事以前の民衆の苦しみを思ったり、それを作るにあたっての作業の苦労に思いを馳せたりするのは作品としては陳腐。もちろんそれは言わずともその思いを置いて渡り鳥なんかを飛ばしたりするのも同罪である。そこには常識はあっても「詩」はない。ようするに月並みである。現実は単純明快。その辺で泳いでいた子がふざけて治水碑に抱きつくこともあろう。現実は何だって起こり得るのだ。その意外感と現実感が新鮮。こういう句は、花鳥諷詠的に定番情緒の再現を狙っていてはできないし、言葉のバランスを計って「詩」を狙う作り方でもできない。意味を剥ぎ取られたひとつの「もの」を見つめる目、すなわち、自分の中の先入観を否定してまっさらなる「自分」を求める志向が必要である。「知」よりも「五感」を優先させる志向が。「俳句」(2008年10月号)所載。(今井 聖)


June 2162011

 夏至の日の水平線のかなたかな

                           陽美保子

日は夏至。北半球では一年で一番日の長い日である。日本ではたまたま梅雨のさなかに訪れるので実感は乏しいが、北欧では夏至(ミッドサマー)はクリスマスと同じくらい大切にされている。夏至祭のシンボル「メイポール」は白樺の葉とさまざまな花で覆われ、美しい民族衣装に身を包んだ男女がポールの周りを輪になって歌い踊る。最近知った「FIKA(フィーカ)」なる言葉は、スウェーデン語でティーブレイクを意味する。スウェーデンに本社を持つ企業では、夏至のためのFIKAが取られるという。遠く離れた異国の文化に胸を打たれるのは、太陽を寿ぐという生きものとしての源に深く共感するからだろう。沈まない太陽が地平線を流れるように移動する北欧の夏至の日を思えば、掲句の水平線がまだ見ぬ国を思わせる。そして、太陽は今日も地球のすみずみまであまねく光りを行き渡らせる。〈まつすぐに足の伸びたる裸かな〉〈かたつむり殻を覗けばをりにけり〉『遥かなる水』(2011)所収。(土肥あき子)


August 0482012

 素晴らしき夕焼よ飛んでゆく時間

                           嶋田摩耶子

和三十四年、作者三十一歳の時の作。星野立子を囲む若手句会、笹子会の合同句集『笹子句集 第二』(1971)の摩耶子作品五十句の最初の一句である。時間が飛んでゆくとは、と考えてしまうとわからなくなる、圧倒的な夕焼けを前にして何も言えない、でも何か言いたい、そう思いながら思わず両手を広げて叫んでしまったようなそんな印象である。さらに若い頃には〈月見草開くところを見なかつた〉〈地震かやお風呂場にゐて裸なり〉など、いずれも夏の稽古会での作。そしてその後も自由な発想を持ち続けていた作者だが先月、生まれ育った北海道の地で療養の末帰らぬ人となった。華やかな笑顔が思い出される。〈子を寝かし摩耶子となりてオーバー著る〉(今井肖子)


June 2662013

 百丁の冷奴くう裸かな

                           矢吹申彦

書に「大相撲巡業」とある。俳句だけ読むと「お、何事ぞ!」と思うけれど、大相撲か、ナルホドである。夏のどこかの巡業地で出遭った実際の光景かもしれない。相撲取りの食欲とはいえ、「百丁」はオーバーな感じがしないこともないけれど、一つの部屋ではなく巡業の一行が一緒に昼食をとっているのだろう。二十人いるとしても一人で五丁食べるなら、「百丁」はあながちオーバーとは言えない。大きなお相撲さんたちがそろって、裸で汗を流しながらたくさんの冷奴を食べている。豪儀な光景ではないか。ユーモラスでもある。稽古でほてった裸と冷奴の取り合わせが鮮やかである。「百丁の冷奴」を受けた相撲取りたちの「くう裸かな」が、無造作に見えて大胆でおおらかである。申彦はよく知られたイラストレーターだが、俳句は三十歳をむかえる頃から始めたというから、今や大ベテラン。「詩心のない者は俳句を遊べても、俳句に遊べない」と述懐している。「遊べても……遊べない」そのあたりがむずかしい。俳句関連著書に『子供歳時記ー愉快な情景』がある。俳号は「申」から「猿人」。他に「想うこと昨日に残して鯵たたく」がある。「俳句αあるふぁ」(1994 年夏号)所載。(八木忠栄)


July 2072013

 いつになく酔ひたる喪主のはだか踊り

                           山田露結

めて身近に死を見たのは一緒に住んでいた祖父が亡くなった時。自宅の離れに置かれたその眠っているような顔を不思議な気持ちで眺めていたことを鮮明に覚えている。夏休みも終わりに近い、やりきれないほど暑い日だった。そのせいか、毎年巡ってくる真夏の暑さの記憶の片隅には、かすかな不安がずっと残っている。掲出句の、はだか踊り、形式的分類は夏季ではないのかもしれないが、作者が喪主となられたのは夏だったと思われる。なんともせつないはだか踊り、飲んでも飲んでも酔えない、酔っても酔ってもどうしようもない。句集で読んでから思い出すたび、へろへろと手足を動かしながら全身で泣いているような後ろ姿が浮かんでしまう。〈なきがらに花のあつまる大暑かな〉『ホームスウィートホーム』(2012)所収。(今井肖子)


March 1232016

 卒業の前夜に流す涙かな

                           宮田珠子

わずはっとさせられた。明日は卒業式という夜、その胸に去来するものは何だったのだろう。卒業式の涙とは違う涙、多感な十代の姿がありありと感じられるのは、目の前の景がそのまま句となったからだろう。作者は当時四十代、涙をこぼしているのは作者の小学六年生のお嬢さんである。以前にも書いたことがあるが、作者の宮田珠子さんは二人のお嬢さんを残して平成二十五年の秋に五十歳で亡くなられた。〈雛にだけ話したきことあるらしく〉〈子供の日子供だらけてをりにけり〉〈裸子の気になつてゐる臍の穴〉など、独特の愛情あふれる目線で作られた吾子句はいずれも個性が光っている。句会報を整理していて掲出句を見つけたが、あらためてその早逝が惜しまれる。(今井肖子)


June 0762016

 突支棒はづれて梅雨に入りにけり

                           加藤静夫

雨の形容は、土砂降り、篠突く雨、バケツをひっくり返したような雨などなど。そしてあらたに「突支棒(つっかいぼう)がはずれたような雨」も掲句によって誕生した。それは、空のどこかにぶよぶよとした雨の袋が積まれていて、一本のつっかい棒で支えられているのだろう。おそらく天上にはつっかい棒を外す「梅雨棒外し」のような要職があり、うやうやしく棒を外す日などもあり、晴れて(晴れては変か…)棒が外されると、雨袋は我先にと地上へと転がり出ていくのだろう。つらつら考えてみると、梅雨の降雨量が夏の間の水を蓄えるわけで、天上から地下へ、水の固まりを移動させているだけではないのだろうか。雨の続く地表で、おろおろしている私たちがなんとも不格好で気の毒な生きもののように思われる。集中には〈遠足の頭たたいて頭数〉〈すでに女は裸になつてゐた「つづく」〉など、ニコリやニヤリが連続する一冊。『中略』(2016)所収。(土肥あき子)




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