G黷ェE句

July 1871996

 颱風が押すわが列島ミシン踏む

                           小川双々子

和32年の句。わかりますねえ、この情景。そして、ミシンを踏んでいる人の心も。軍国幼児(?)だった頃、母の足踏み式ミシンをずいぶん悪戯したものですが、車がついているくせに前進しないところに苛立ちを覚えていました。なんとなく、百万の敵を迎え撃つ孤立した要塞で必死に耐えている……。そんなイメージが、この句にもあるような気がしてなりません。『小川双々子全句集』所収。(清水哲男)


September 2491998

 颱風が逸れてなんだか蒸し御飯

                           池田澄子

生俳句の伝統を尊重する人には、この「なんだか」という表現に引っ掛かるだろう。つまり、この「なんだか」の中身を明らかにするのが、写生俳句の基本だからである。でも、一方では現実的に「なんだか」としか言いようのない事象もたくさんあるわけで、幸いに逸れてくれた颱風(たいふう)なのだが、影響でもたらされた「なんだか」どろんとした蒸し暑さは、このように表現されたことではじめて明確になっている。心象的には、この句も写生句なのだ。それにしても「蒸し御飯」とは、恐れ入った。なつかしくも巧みな比喩である。いまどきの冷えた御飯は電子レンジでチンする家庭が多いのだろうが、昔はどこの家庭でも蒸し器にかけて温め直したものである。温まった御飯は水気を含んでニチャニチャとしており、固い御飯の好きな私には「なんだか」お世辞にも美味とは言えない代物だった。蒸し方の巧拙もあるのだろうが、たいていは句のように、鬱陶しい感じのする味がしたものだ。今年は、ここに来て颱風がポコポコと発生しはじめた。逸れてほしいが、「蒸し御飯」状態も御免こうむりたい。『いつしか人に生まれて』(1993)所収。(清水哲男)


August 2282001

 台風や四肢いきいきと雨合羽

                           草間時彦

風圏にある人たちは、たいていが身を寄せ合うようにして家の内に籠もる。が、防災のために完全武装の「雨合羽(あまがっぱ)」姿で川や崖を見回る男たちだけは別だ。むしろ、日頃よりも敏捷で活気があり「いきいき」として見える。火事場に向かう消防団の男らも同様で、それは災厄に立ち向かい、大切な人命を守るべしという使命感とプライドから来るものだろう。そして私などは、子供の頃に台風が来るたびに自然に血が騒いだ覚えがあるが、そういうことも彼らの身のうちでは起きていて、一種の無邪気な興奮状態がますます「四肢いきいき」とさせているのだと思う。皮肉というほどではないけれど、そんな人間の本性がちらりと介間見えるような句だ。また一方では磯貝碧蹄館に、こんな句もある。「台風圏飛ばさぬ葉書飛ばさぬ帽」。郵便配達だ。こちらもむろん「雨合羽」姿だろうが、少なくとも「いきいき」と、と詠める状態ではない。むしろ、配達夫の「四肢」は縮こまっているのだ。前者が猛威に立ち向かう攻めの姿勢なのに対して、後者は徹底した守りのそれだからだろう。別の言い方をすれば、雨合羽がいわば「衣装」である者と「普段着」である者との違いである。郵便配達のみなさま、そして防災に尽力されるみなさま、ご苦労様です。くれぐれも、お気をつけて。『中年』(1965)所収。(清水哲男)


July 1172002

 梯子あり颱風の目の青空へ

                           西東三鬼

語は「颱風(台風)」で秋。颱風は中国語の颱と英語のtyphoonの音をとったもので、一般に通用するようになったのは大正時代からだという。それ以前は「野分(のわき)」。戦後は「颱」の字が当用漢字に無いので、「台風」と書くようになった。さて、子供の頃は山口県に住んでいたので、よく台風がやってきた。でも、運良く(?!)「颱風の目」に入った体験は一度か二度しかない。学校で習ったとおりに、最前まで激しかった風雨がウソのように治まり、無風快晴の状態となる。と、そのうちに隣近所みなぞろぞろと表に出てきて、抜けるような青空を仰いでは「ほお」などと言っていた。ああいうときには、「ほお」ぐらいしか発する言葉はないようだ。心が、いわば一種の真空状態になってしまうからだろう。その真空状態を景観的に捉えたのが、掲句だと読む。台風に備えて、高いところを補強する釘でも打つために使ったのか。そのまましまい忘れられていた梯子(はしご)が、これまたウソみたいに倒れもせずにそこに立っていて、くっきりと青空のほうへと伸びていた。「ほお」としか言い得ないような心の状態が、梯子一本で見事に視覚化されている。今度はこの梯子もしまわれ、しばらくするとまた猛烈な風雨がやってきて、人々は真空状態から脱するのである。『新日本大歳時記・秋』(1999)所載。(清水哲男)


October 02102002

 台風一過小鳥屋の檻彩飛び交ふ

                           大串 章

風一過というと、まず真っ青な空が目に浮かぶ。「やれやれ」と安堵して、ひとりでに目が空を泳いでしまう。そんな句が(たぶん)多いなかで、作者の視点はユニークだ。真っ暗だった街に生気がよみがえってきた様子を、「小鳥屋の檻」のなかで「飛び交ふ」鳥たちの色彩に託して詠んでいる。普段ならば、檻の中の小鳥は必ずしも生気を示しているとは言えないけれど、台風で周囲が暗かっただけに、とりわけて「彩」が目立つのだ。ところでこの小鳥たちは、平常どおりの動きをしているのだろうかと思った。というのも、掲句が載っている『合本俳句歳時記・第三版』(1997)の隣りに、加藤憲曠の「一樹にこもる雀台風去りし後」があったからである。雀の生態は知らないが、この句の雀たちは、明らかにおびえている。身を寄せ合って、なお警戒していると写る。野生の本能的な身構えだ。比べて、飼われている鳥たちはどうなのだろうか。まったく野生が失われているとは考えられないから、やはり天変地異には敏いのではあるまいか。だとすれば、台風後のこの鳥たちは、いわば狂ったように飛び回っているのかもしれない。美しい狂気。「鳥篭」と言わず、敢えて「檻」としたのは、そのことを表現するためだと読むと、句の景色はよほど変わってくる。(清水哲男)


August 1082003

 台風来屋根石に死石はなし

                           平畑静塔

の上で秋になったら、早速「秋の季語」の「台風」がやってきた。そんなに律義に暦に義理立てしてくれなくてもいいのに……。被害を受けられた方には、お見舞い申し上げます。写真でしか見たことはないが、昔は地方によっては板葺きの屋根があり、釘などでは留めずに、上に石を並べて置いただけのものだった。その石が「屋根石」だ。一見しただけでは適当に(いい加減に)並べてある感じなのだが、そうではない。少々の風雨などではびくともしないように、極めて物理的に理に適った並べ方なのだ。台風が来たときの板屋根を見ていて、はじめてそのことに気づき、一つも「死石(しにいし)」がないことに作者は舌を巻いている。ところで「屋根石に死石はなし」とは、なんだか格言か諺にでもなりそうな言い方だ。と、つい思ってしまうのは、もともと「死石」が囲碁の用語だからだろう。相手の石に囲まれて死んでいる石、ないしはもはや機能しない石を言うが、私の子供のころには別に囲碁を知らなくても、こうした言葉がよく使われていた。大失敗を表す「ポカ」も囲碁から来ているそうだけれど、将棋からの言葉のほうが多かったような気がする。囲碁よりも将棋が庶民的なゲームだったからだと思う。「王より飛車を大事がり」「桂馬の高飛び歩の餌食」「攻防も歩でのあやまり」「貧乏受けなし」「形を作る」等々、最近ではあまり使われない「成り金」も将棋用語だ。もう十数年前の放送で「桂馬の高上がり」と言ったら、リスナーから「何のことでしょうか」という問い合せがあった。ついでに、もう一つ。野球中継などで「このへんでナカオシ点が欲しいところですね」などと言うアナウンサーがいる。囲碁では「チュウオシ(中押し)」としか言わないのになア。『合本俳句歳時記』(1997・角川書店)所載。(清水哲男)


September 1792003

 台風去る花器にあふるる真水かな

                           大塚千光史

語は「台風」で秋。「花器(かき)」は、この場合には平たい水盤と読むのが適当だろう。台風が去ったとき、まず人が期待するのは乾燥である。通過中はあちこちが水浸しになり、その湿気たるやたまらない。風もたまらないけれど、去ってしまえば多少の吹き返しがあるにせよ、おさまるのは時間の問題だ。だが、湿気はそういうわけにはいかない。いつまでも、とくに日の当たらない家の中はじめじめとしている。そんな家の中では、むろんいつもと同じ生活がつづけられているわけで、床の間の花器もいつもと同じように水をいっぱいに張った姿で置かれている。単なる水ということで言えば、花器の水だって台風のもたらした水と何ら変わりはない。が、作者の目には、まったく異質の水と映っている。それが「真水(まみず)」という表現に凝縮した。じめついた部屋の中での水ならば鬱陶しく感じられて当たり前なのだが、この花器の水だけは鬱陶しさから外れている。むしろ清冽の気に「あふれ」ているようでサラサラしており、およそ湿気とは無縁のように見えているのだ。これぞ「真水」だ。そう見えるのは、水盤の純白のせいもあるだろう。活けられている花の姿にも関係しているだろう。しかし、そういうことを言わずに水一点に絞った表現で、作者は台風が去った後の生々しい気分を伝えている。水には水をもって物を言わしめた手柄、と言うべきか。台風一過の句には、戸外の様子を詠んだものが圧倒的に多い。なかで掲句は、その意味からも異色作と言うべきである。『木の上の凡人』(2002)所収。(清水哲男)


September 2192003

 颱風の心支ふべき灯を点ず

                           加藤楸邨

後もしばらくまでは、木造住宅が多かったこともあり、都市部でも「颱風」は脅威だった。東京に住んでいた学齢前のころの記憶だが、颱風が近づいてくると、近所のそこここから家などを補強するための鎚の音が聞こえてきたものだ。家々は早くから雨戸を半分くらいは閉めてしまい、それでなくとも昼なお暗くなっていた室内はまるで夕暮れ時のようになった。子供心には、なにやら得体のしれない魔物が襲ってくる感じで恐かった。そんなただならぬ気配のなかで、作者は心細さを少しでも減じようと、電灯を点したのだろう。いい年をした大人が、などと笑う勿れ。昔は今のように、テレビが刻々と進路を告げてくれるわけじゃない。唯一の情報源であったラジオが告げるのは、よくわからない気象用語まじりの予報であり、天気図なしにあの放送を理解できた人は稀だったろう。その予報にしてからが、精度は極めて粗かったのだ。だから、接近を告げられれば、誰だって今の人以上に心細さを覚えたに違いない。せめて一灯を点ずることによって、作者はその暖かい明りに癒されようとしたのである。こういうときの一灯は、本当にありがたい。元気づけられる。作者のひとまず安堵した顔が目に浮かぶようだ。しかし、表の風雨の勢いはだんだんに強くなってくる……。風が激しくなると、昔の電灯は時折ふうっと消えそうに暗くなって、またしばらくすると明るくなったりした。ついに、そのまま消えてしまうことも多かった。掲句を味わうためには、この句の「つづき」を想像しておく必要があるだろう。『新俳句歳時記・秋』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)


September 0692004

 台風の去つて玄界灘の月

                           中村吉右衛門

者は初代の吉右衛門。俳号は秀山、虚子その他の文人と親交があった。台風一過。というと、たいていの人は白昼の青空をイメージするのに、あえて夜の空を詠んでみせたところがニクい。おぬし、できるな。それも、普段でも波の荒いことで知られる玄界灘だ。台風が去ったとはいっても、真っ暗な海はさぞかし大荒れだろう。その空にぽっかりと上がった煌々たる月影。さながら芝居の書割りのごとくに鮮明で、しかるがゆえに壮絶にして悲愴な情景と写る。句に、嫌みはない。「玄界灘」と聞くと、私はうろ覚えながら戦後の流行歌の一節を思い出す。「♪どうせオイラは玄界灘の波に浮き寝のカモメ鳥」というフレーズがあって、メロディだけは全部覚えている。この歌は、親友の兄貴が好きだった。彼は下関港から出漁する漁師だったが、実家のある私たちの村にやってきたときに、当時はやった素人のど自慢会などに出ては、この歌を陶酔したような表情で歌ったものだった。美男にして美声だったから、村の若い女性に人気があったようだ。ずいぶん年上の人に見えていたけれど、おそらく二十歳そこそこだったのだろう。友人も、そんな兄貴を誇らしく思い自慢していた。が、彼は嫁さんももらわないうちに、それこそ玄界灘で船が転覆して、あっけなくこの世から去ってしまった。訃報の季節は覚えていない。もしも彼が生きていたら、この句の月の見事さを陶酔したような表情で語ってくれそうな気がする。『新歳時記・秋』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)


September 0892004

 台風直撃肺活八〇〇で怺えんとす

                           名取 等

年の日本列島は、うんざりするほど台風に見舞われつづけている。直撃を受けた地方の人は「うんざり」どころではないのだが、あまり直撃されない東京などでも、通過中は大気全体が異常な湿り気を帯びていて、体調にも少しく影響してくる。ましてや作者のように「肺活(量)八〇〇」程度で、しかも「直撃」されたとあってはたまるまい。強風に抗してただ呼吸をするだけでも、大変な苦しさなのだ。しかし、仕事には出かけなければならず、激しい雨風のなかに「怺(こら)えんと」出てゆく決意の句だ。自然の猛威にさらされるのは、いわゆる健常者ばかりではない。作者のような人もいるし、他のハンデを背負った人もいる。ニュースで報道される被害者のなかには、そういう人たちも当然含まれているのだろうが、そうした個人的事実は伝えられない。受け取るほうも、つい「ワン・オブ・健常者」と思ってしまい、そこまでは考えが及ばないのである。作者の意図はともかく、掲句はそうしたことを私たちに認識させてくれるという意味でも、貴重な一句ではなかろうか。ちなみに、それこそ健常者(18歳以上の成人)の肺活量の推測正常値は次の通りだ。男性={27.63−(0.112×年齢)}×身長。女性={21.78−(0.101×年齢)}×身長。作者の「八〇〇」は、なんと小さく、か細い数字であることよ。『現代俳句歳時記』(1989・千曲秀版社)所載。(清水哲男)


October 20102004

 台風の目の中しまりのない蛇口

                           大塚千光史

年は「台風」の当たり年だ。うんざりするを通り越して、げんなり、がっくりだ。とくに沖縄や九州など西日本の方々は、そうだろう。知人が宮古島にいて、台風なんか慣れてるさと豪語していたけれど、さすがに今年はげんなり、がっくりと来ているのではなかろうか。地球温暖化と関係ありとする説もあるようだが、そろそろ我らが星にもガタが出てきたのは確かなようだ。中南米も猛烈なハリケーンに襲われたし、こればっかりはブッシュでも小泉でもどうにもならない。掲句を読んで、一度だけ「台風の目の中」に入った経験を思い出した。半分だけの台風一過というわけだが、空はあくまでも青く高く、先刻までの激しい風雨が嘘のようにぴたりと止んだ。世界は、不気味なほどにしいんとしていた。ところが、作者には聞こえたのである。厨房か、風呂場か。とにかくぴちょっぴちゅっと「しまりのない蛇口」から水滴が滴っているのが……。なんという無神経、なんという呑気さ加減。人間が風雨に緊張して構えている間も、奴は知らん顔でだらしなく、ぴちょっぴちゅっと水を垂らしていたのだろう。蛇口に当ってみても仕方がないようなものだが、なんだか無性に腹立たしい。そんな可笑しさが、無理なく伝わってくる。この人の俳句は、総じてセンスがよい。『木の上の凡人』(2002)所収。(清水哲男)


October 08102005

 通帳にらんで女動かぬ道の端

                           きむらけんじ

季句。この「女」のひとにはまことに失礼ながら、思わず吹き出しそうになってしまった。たったいましがた、銀行で記入してきたばかりの「通帳」なのだろう。記入したときにちらりと目を走らせた数字があまりに気になって、家まで見ないでおくことに我慢ができず、ついに「道の端」で開いてしまった。むろん、残高は予想外の少なさである。どうして、こんなに少ないのか。何度も明細を確かめるべく、彼女は身じろぎもしない。不動のまま「にらんで」いる。世の中には、本人が真剣であればあるほど、他者には可笑しく思われることがある。これも、その一つだ。道端で通帳をにらむという、そうザラにはない図を見逃さなかった作者のセンスが良く生きている。掲句はたまたま五七五の定型に近いが、作者は自由律俳句の人だ。第一回「尾崎放哉賞」受賞。「煙突は立つほかなくて台風が来ている」「職の無い日をスタスタ歩く」「妻よ南瓜はこの世に必要なのか」など。いずれも、ユーモアとペーソスの味が効いている。ところで「自由律俳句」についてだが、放哉や山頭火などの流れのなかの句は、たしかに伝統的な定型句とは異なる「律」で詠まれてはいる。けれども、こうした自由律にはまたそこに確固とした独自の定型的な「律」があるのであって、これを「自由な律」と称するのは如何なものかと思う。何か他に、適当な呼称を発明する必要がありそうだ。『鳩を蹴る』(2005)所収。(清水哲男)


September 0392007

 颱風のしんがりにして竿竹屋

                           青木恵美子

近は夏でもやってくるが、「颱風(台風)」は秋の季語だ。ちょうどいま今年の9号が、はるか太平洋沖を西南西に向かって進んでいる。掲句は上陸した台風が思う存分荒れ狂って去っていった後の情景。ともに強かった風雨がぴたりと止んで、にわかに嘘のように日も射してきた。窓を開けて表を見ると、まだ木々からはぼたぼたと水滴が落ちており、あたりには吹き飛ばされた植木鉢やゴミ屑などが散乱している。やれやれ後片づけが大変だなと思っていると、どこからともなく竿竹屋の売り声が流れてきた。まるで颱風など来なかったかのような、のんびりとした売り声だ。ほっとさせられるようなその声に、思わずも作者は微笑したのであろうが、しかし身に付いた俳句的な物の見方が微笑を微笑のままでは終わらせなかった。すなわち、竿竹屋もまた颱風のウチと捉えたのである。竿竹屋は颱風で傷んだ竿竹などの買い替え需要を狙っているのだからして、やはりこれは颱風とは切り離せないと思ったのだ。「しんがり」が、実に良く作者の心持ちを表している。俳句的滑稽味に溢れ、しかも人情のありどころを的確に述べた秀句である。『玩具』(2007)所収。(清水哲男)


September 0992007

 颱風へ固めし家に児のピアノ

                           松本 進

摩川のほとり、大田区の西六郷に住んでいた頃、台風が来るというと、父親は釘と板を持って家を外から打ち付けたものでした。ある年、ちょうど家の改築をしている時に大きな台風がやってきて、強い風に家が揺れ、蒲団の中で一晩中恐い思いをしたことがあります。掲句の家庭にとっては、まだそれほど状況は差し迫ってはいないようです。台風に備えて準備を終えた家の中で、子供が平然とピアノを弾いています。狭い日本家屋の、畳の一室にどんと置かれているピアノが目に浮かぶようです。この日は台風の襲来を前に、窓を閉め、更に雨戸を閉め、外部への隙間という隙間を埋めたわけです。完璧に外の物音を遮断した中で、ピアノの音が逃げ場もなく、部屋の内壁に響き渡っています。流麗にショパンでも弾いてくれるのならともかく、ミスタッチを繰り返すバイエルをえんえんと聴かされるのは、家族とはいえ忍耐が要ります。それでも、数日後にレッスンが予定されているのなら、台風が来ていようと、子供にとってその日の練習は欠かせません。ピアノのおさらいという「日常」に、時を選ばず襲ってくる「日常の外」としての颱風。その対比が句を、奥深いものにさせています。『角川俳句大歳時記 秋』(2006・角川書店)所載。(松下育男)


September 1492007

 颱風の蝉を拾へば冷たかり

                           佐野良太

の死んでいる姿には、哀れというより、どこか志を果たし得たような印象がある。地上に出てくるだけでも大変なのにという思いが重なるからだ。颱風が原因で死んだわけではないから、蝉に同情することはない。颱風も蝉の死も自然の営為が粛々と進行しているにすぎない。蝉の亡骸の冷たさもまた。この句、そういう意味では即物非情の句というべきだろう。表記を分析すれば、颱風、蝉、冷と季語が三つ入っている。一句に季語が一つという「原則」をうるさく言い出したのは、むしろ近年のことだ。子規も虚子もこれについては比較的寛容だったはず。自身の作も含めて。表記のことでもう一つ。「拾へば」があるが、何々すれば、という条件の「ば」を使わないよう指導する指導者も多い。条件の「ば」を使うと往々にして原因と結果を強調する内容となり、散文化して俳句の特性が薄れるというのがその理由である。季語を二つ以上使うと往々にして焦点が分散して散漫になるからなるべく使わぬ方が無難だという指導。「ば」を使うと往々にして散文化するからなるべく使わぬ方が無難だとする指導。「なるべく」と「無難」が重なっていつの間にかタブーになる。俳句にはそんなタブーがいっぱいある。タブーが多いと俳句は芸事化(或いはゲーム化)し、一番得をするのは、タブーを避けて「無難」化する技術に長けた師匠とベテランということになる。かくて、タブーの多用はヒエラルヒーの安泰につながっていく。最近は、季語一つの「原則」を逆手にとって、一句に季語を二つ入れることに腐心する俳人もいると聞くがこれもどうか。タブーをつくることと同様、そんな「技術」にも事の本質はないのではないか。講談社版『日本大歳時記』(1981)所載。(今井 聖)


August 0982009

 放課後の暗さ台風来つつあり

                           森田 峠

者は学校の先生でしょうか。教室の見回りに歩いているのかもしれません。あるいは何か、授業をした時の忘れものを取りにもどったのでしょう。「放課後」「暗さ」「台風」の3語が、みごとにつりあって、ひとつの世界を作り出しています。湿度の多い暗闇が、句を満遍なく満たしています。教室の引き戸を開けて中に入り、外を見れば、窓のすぐ近くにまで木が鬱蒼と茂っています。その向こうの空には、濃い色の雲が性急に動いているようです。この句に惹かれるのは、おそらく読者一人一人が、昔の学生時代を思い出すからなのです。昼間の、明るい教室に飛び交っていた友人たちの声や、輝かしいまなざしが、ふっと消えたあとの暗闇。一日の終わりとしての暗闇でもあり、学校を卒業したあとの日々をも示す、暗闇でもあるようです。句はひたすらに、事象をあるがままに描きだします。学生が去ったあとを訪れようとしている遠い台風までにも、やさしく懐かしい思いが寄り添います。『合本 俳句歳時記第三版』(2004・角川書店)所載。(松下育男)


August 1882009

 台風の目の中にあるプリンかな

                           蔵前幸子

象情報などで日本列島を鳥瞰する映像を見ると、なるほど台風の目とはよく言ったもの、という具合のつぶらな中心がある。災害であるから、つぶらなどという言葉は適切ではないが、「大型で強い」「超大型で非常に強い」などの形容にも、台風に対してまるで命あるもののように思わせる力がある。台風の踏み荒らす進路がこういくか、はたまたああいくかと、地図上の経路線は入り組み、しかし渦巻きは、いかに気象衛星を飛ばそうが、科学が発達しようが百年前とまるで変わらない気ままさで動き回る。予想図があるために天災でありながら、地震や噴火などの畏怖とは若干異なり、大きくて荒っぽい神さまのお通りのように思えるのかもしれない。現代では雨戸を打ち付けたり、蝋燭の準備をしたりすることもなくなったが、あの「いよいよ来る」というハラハラと高ぶる気持ちは忘れがたい。台風の目の中は、もうしばらくしたら必ずまた来訪される「ひとつ目」の神さまのご機嫌を予感しながらの、束の間の平安である。ふるふると震えるプリンのてっぺんに乗るカラメルの茶色が、怖れず天を睨み返す目玉のように見えてくる。『さっちゃん』(2009)所収。(土肥あき子)


October 06102010

 台風の去つて玄海灘の月

                           中村吉右衛門

右衛門は初代(現吉右衛門は二代目)。今年はこれまで、日本列島に接近した台風の数は例年にくらべて少ない。猛暑がカベになって台風を近づけなかったようなフシもある。九州を襲ってあばれた台風が福岡県西方の玄海灘を通過して、日本海か朝鮮半島方面へ去ったのだろう。玄海灘の空には、台風一過のみごとな月がぽっかり出ている。うたの歌詞のように「玄海灘の月」がどっしりと決まっている。「ゲンカイナダ」の響きにある種のロマンと緊張感が感じられる。「玄海灘」は「玄界灘」とも書くが、地図をひらくと海上に小さな玄界島があり、玄海町が福岡県と佐賀県の両方に実在している。玄海灘には対馬海流が流れこみ、世界有数の漁場となっている。また1905年には東郷平八郎率いる連合艦隊が、ロシアのバルチック艦隊を迎え撃った、知る人ぞ知る日本海海戦の激戦地でもある。海戦当時、吉右衛門は19歳。何ごともなかったかのような月に、日本海海戦の記憶を蘇らせ重ねているのかもしれない。高浜虚子と交流があり、「ホトトギス」にも顔を出した吉右衛門には『吉右衛門句集』がある。俳句と弓道を趣味としたそうである。浅草神社の句碑には「女房も同じ氏子や除夜詣」、修善寺梅林の句碑には「鶯の鳴くがままなるわらび狩」が刻まれている。台風の句には加藤楸邨の「颱風の心支ふべき灯を点ず」がある。平井照敏編『新歳時記』(1996)所収。(八木忠栄)


September 2492011

 ぽんとトースト台風は海へ抜け

                           原 雅子

さに台風が駆け抜けた今週だった。台風一過にしては暑さが残ったが、空は秋、翌日早朝の鰯雲に小さな月が漂っていた。文字通り海に抜け、やがて消えてしまう台風だが、あっけらかんと晴れるその感じが、ポップアップトースターの、ぽん、にぴたっと来る。今はオーブントースターが主流だけれど、昔は我が家でもトーストはぽんと飛び出ていた。楽しいし、食パンをトーストすることに特化している分、断然おいしいというポップアップ式。こんがり焼けて飛びだしてきたトーストでなくては、こんな句も生まれない。『束の間』(2011)所収。(今井肖子)


August 2482014

 大佛の中はからつぽ台風過

                           小口たかし

年は初夏からいくつもの台風が過ぎていきました。甚大な被害に遭われた方も多く、年々その規模が拡大しているように思われます。私もちよっとした影響を受けました。出張先で、道を倒木に遮られ迂回したり、送電線に倒木が寄りかかっているのを、電力会社の人が復旧させている様子を目撃したりです。日本列島に住む者にとって、台風は避けられない脅威です。日常を一変させる災害をやむなく受け入れてきた日本人が、仏教から無常の思想を取り入れたのも自然ななりゆきです。掲句は、大佛の背後を台風が通過する様をとらえています。疾走する雲と不動の大佛。たぶん雨は降っていません。ただ、風には熱風がふくまれています。いつもより輪郭がくっきりしている大佛をながめながら、作者は、ゆく川の流れのように刻々と変化していく空模様に無常をみると同時に、不動の大佛に常住している「からつぽ」の空気に停滞を見いだしたのではないでしょうか。たしかに、大佛の中は換気が悪そうです。大佛という人工物をシニカルに見つつ、台風が過ぎた後の澄み切った青空を予感させます。『四重奏』(1993)所収。(小笠原高志)


October 02102014

 台風のたたたと来ればよいものを

                           大角真代

平洋上に台風が発生したようで今後の進路が気になる。秋に来る台風は夏の台風と違い偏西風の影響で足早に過ぎ去るという。来てほしくはないのだけど、飛行機で遠方に出かける予定があるときなど気が揉める。台風の進路にあたるときは、ベランダに並べた植木鉢を片付けたり、壊れそうな箇所を補強したりとやっておかなければならない作業も多い。台風による甚大な被害を思えば、どこにも上陸しないで通り過ぎてくれることが一番なのだけど、避けられないなら「たたた」と来て「たたた」と去ってほしいと、天気図を眺めながら思っているのだろう。『手紙』(2009)所収。(三宅やよい)


October 06102014

 包丁を研ぎ台風を待ちゐたり

                           座間 游

象情報に台風接近中とあれば、多くの人は身構える。しかし、身構えたところで、たいていの人には特に対処する方策もない。庭の植木鉢を片づけたり、日頃気になっている家屋の弱そうなところを点検したりすることで、あとはすることもない。本番を待つばかりとなる。やって来る台風の強度も正確には判断しかねるから、そこはこれまでの経験に頼るしかないからだ。そんななかで、作者は包丁を研ぎすませた。別に大雨や大風への備えとは無関係なのだが、とにかくこうして台風を待っている。でも、これは決して頓珍漢で滑稽な備えとは言いきれないだろう。おそらく作者は、日頃から包丁を研いでおかねばと気になっていたのである。そこで台風への「備え」という意識が、ごく自然に無関係な包丁研ぎへとおのれを駆り立ててしまったのだ。これに類似したことは、日常的ないろいろな場面で起きてくる。まことに、人間愛すべし…ではないか。『現代俳句歳時記・秋』(2004・学習研究社)所載。(清水哲男)




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