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July 1571996

 羅をゆるやかに着て崩れざる

                           松本たかし

者は宝生流家元の家に生まれた元能役者。病弱のため能を断念し俳句に専念した。羅(うすもの・薄絹で作った単衣)を見事に着こなして崩れない人のたたずまいを言いとめているが、思いはおそらく芸道の理想、さらに人の生き方にまで及んでいる。詩の姿も、かくありたいといつも思う。(辻征夫)


July 1971999

 なすことも派手羅の柄も派手

                           杉原竹女

ずは「羅(うすもの)」の定義。私の所有する辞書や歳時記のなかでは、新潮文庫版『俳諧歳時記』(絶版)の解説がいちばん色っぽい。「薄織の絹布の着物で、見た目に涼しく、二の腕のあたりが透けているのは心持よく、特に婦人がすらりと着こなして、薄い夏帯を締めた姿には艶(えん)な趣がある」。要するに、シースルーの着物だ。というわけだから、女の敵は女といわれるくらいで、同性の羅姿には必然的に厳しくなるらしい。とりあえず、キッとなるようだ。派手な柄を着ているだけで、句のように人格まで否定されてしまったりする。コワいなあ。と同時に、一方では俳句でも悪口を書けることに感心してしまう。鈴木真砂女に「羅や鍋釜洗ふこと知らず」があるが、みずからの娘時代の回想としても、お洒落女に点数が辛いことにはかわりあるまい。反対に、男は鍋釜とは無縁の派手女に大いに甘い。「目の保養になる」という、誰が発明したのか名文句があって、私ももちろん女の羅を批判的にとらえたことなど一度もない。新潮文庫の解説者も、同様だろう。それにしても、羅姿もとんと見かけなくなり、かつ色っぽい女も少なくなってきた。昔はよかったな。(清水哲男)


June 2062000

 羅や口つけ煙草焔を押して

                           北野平八

(うすもの)は、薄くすけて、いかにも涼しげな夏の着物。多くは、女性が着る。羅の句では、松本たかしの「羅をゆるやかに着て崩れざる」が有名だ。作者は平凡な日常シーンのスケッチを得意としたが、この句もうまいものである。見知らぬ女性に煙草の火を貸している場面。「どうぞ」と自分の吸っている煙草を差し出すと、相手は焔(ほ)を押すようにして火をつける。そのときに羅を着た身体が接近することになるわけで、「口つけ煙草」で押される手先の微妙な感触とともに、不意に異性の淡い肉感が作者を走り抜けたというところだろう。百円ライターという無粋なものが普及する以前には、このような煙草火の貸し借りはごく普通のことだった。駅のホームなどでもよく見られたし、私にも何度も経験がある。煙草好き同士の暗黙の仁義みたいなものがあって、誰も断る人はいなかった。もっとも、あれは道を尋ねるときと同じで、あまり恐そうな人には頼まないのだけど(笑)。百円ライターのせいもあるが、嫌煙権が猛威をふるっている現在では、こうしたやりとりも消えてしまった。句が作られたのは1986年の夏、作者はこの年の十一月に六十七歳で亡くなることになる。桂信子門。『北野平八句集』(1987)所収。(清水哲男)


July 0372002

 羅に透けるおもひを怖れをり

                           櫛原希伊子

語は「羅(うすもの)」で夏。絽(ろ)、紗(しゃ)など、絹の細い繊維で織られた単衣のこと。薄く、軽やか。女性ものが多い。作者自註、「たいした秘密でないにしても、知られたくないこともあるもの。透けるとしたら絽よりも紗の方があやうい気がする」。肌や身体の線が透けることにより、心の中までもが透けて見えてしまいそうだというこの感覚は、まず、男にはないものだろう。俳句を読んでいると、ときおりこうしたさりげない表現から、女性を強く感じさせられることがある。作者は別に自分が女であることを強調したつもりはないと思うが、男の読者は「はっ」とさせられてしまうのだ。逆に意識した例としては、たとえば「うすものといふをはがねの如く着て」(清水衣子)があげられる。薄いけれども「はがねの如く」鋭利なのだよと言うのだが、むしろこの句のほうに、作者の心の内がよく見て取れる面白さ。いずれにしても、女性でなければ発想できない世界だ。前述したように、本来「羅」は和装衣を指したが、最近では夏着一般に拡大して使うようになってきた。小沢信男に「うすものの下もうすもの六本木」がある。この女性たちに、掲句の味わいというよりも、発想そのものがわかるだろうか。私としては、問うを「怖れ」る。『櫛原希伊子集』(2000)所収。(清水哲男)


August 1382002

 羅におくれて動くからだかな

                           正木浩一

性用が圧倒的に多いが、「羅(うすもの)」には男性用もある。作者は、たぶん身体がだるいのだろう。盛夏にさっと羅を着ると、健康体なら心身共にしゃきっとした感じがするものだが、どうもしゃきっとしない。動いていると、着ているものに「からだ」がついていかないようなのだ。その違和感を「おくれて動く」と言い止めた。ゆったりと着ているからこその違和感。着衣と身体の関係が妙に分離している感覚を描いて、まことに秀逸である。羅を着たことのない私にも、さもありなんと思われた。作者は現代俳人・正木ゆう子さんの兄上で、1992年(平成三年)に四十九歳の若さで亡くなっている。生来病弱の質だったのだろうか。次のような句もあるので、そのことがうかがわれる。「たまさかは濃き味を恋ふ雲の峰」。カンカン照りの空に、にょきにょきと雲の峰が立ち上がっている。このときは、多少とも体調がよかったようだ。雲の峰に対峙するほどの気力はあった。が、医者から「濃き味」の食べ物を禁じられていたのだ。健康であれば、猛然と塩辛いものでも食べるところなのだが、それはままならない。やり場のない苛立ちを押さえるようにして、静かに吐かれた一句だけに、よけい心に沁みてくる。『正木浩一句集』(1993)所収。(清水哲男)


July 1672005

 昔より美人は汗をかかぬもの

                           今井千鶴子

語は「汗」で夏。ふうん、そうなんですか、そういう「もの」なのですか。作者自注に「或る人曰く、汗をかくのは下品、汗をかかぬのも美人の条件と」とある。なんだか標語みたいな俳句だが、ここまでずばりと断定されると(しかも女性に)、いくらへそ曲がりな私でもたじたじとなってしまう。そんなことを言ったって、人には体質というものもあるのだから……、などと口をとんがらせてもはじまるまい。そういえば、名優は決して舞台では汗をかかないものと聞いたことがある。なるほど、舞台で大汗をかいていては折角の化粧も台無しになってしまう。このことからすると、美人のいわば舞台は日常の人前なのだから、その意味では役者とかなり共通しているのかもしれない。両者とも、他人の視線を栄養にしておのれを磨いていくところがある。だからいくら暑かろうが、人前にあるときには、持って生まれた体質さえコントロールできる何かの力が働くのだろう。精神力というのともちょっと違って、日頃の「トレーニング」や節制で身につけた一種条件反射的な能力とでも言うべきか。高浜年尾に「羅に汗さへ見せぬ女かな」があるが、これまた美人の美人たる所以を詠んでいるのであり、そんな能力を備えた涼しい顔の女性を眼前にして驚嘆している。それも、少々あきれ加減で。「羅」は「うすもの」と読む。「俳句」(2005年7月号)所載。(清水哲男)


August 1082005

 羅を着し自意識に疲れけり

                           小島照子

語は「羅(うすもの)」で夏。昔は薄織の絹布の着物を指したが,現在では薄く透けて見える洋服にも言うようだ。「うすものの下もうすもの六本木」(小沢信男)。あまりに暑いので,思い切って「羅」を着て外出した。そうすると普段とは違って,どうしても「自意識」から他人の視線が気になってしまう。どこに行っても,周辺の誰かれから注視されているようで、気の休まるひまがない。すっかり疲れてしまった、と言うのである。さもありなん、共感する女性読者も多いだろう。この「自意識」というやつは被害者意識にも似て、まことに厄介だ。むろん女性に限ったことではないが、とかく過剰になりがちだからである。一歩しりぞいて冷静に考えれば,誰もが自分に注目するなど、そんなはずはあり得ないのだけれど、自意識の魔はそんな客観性を許さない。他人の視線に身を縮めれば縮めるほど,ますます魔物は肥大するばかりなのである。疲れるわけだ。そして更に自意識が厄介なのは,作者の場合は過剰が恥じらいに通じているのだが、逆に過剰が厚顔無恥に通じる人もいる点である。こうした人の場合には,誰もが自分に注目しているはずだと信じ込んでいて,ちょっとでも視線を外そうものなら(比喩的に言っているのですよ)、自分を無視したと怒りだしたりする。いわゆる「ジコチュー」的人種で、政治家だの芸能人に多いタイプだ。ま、それくらいでないと勤まらない商売なのだろうが、あんまりお友だちにはなりたくないね。俳誌「梟」(2005年8月号)所載。(清水哲男)


June 2962014

 羅をゆるやかに著て崩れざる

                           松本たかし

(うすもの)は、絽(ろ)の着物でしょう。昭和初期の日本の夏は、扇風機も稀でした。扇子、団扇、風鈴に加えて、いでたちを涼しく、また、相手に対して涼やかにみせる配慮があったことでしょう。作者は能役者の家に生まれ、幼少の頃から舞台に立っていましたから、他者から見られる自意識は強かったはずです。掲句は、自身が粋ないでたちで外出しながらも、暑さに身を崩さない矜持(きょうじ)の句と読めます。一方、これを相手を描写した句ととることもできるでしょう。となれば、相当しゃれた女性と対面しています。胸部疾患が原因で、二十歳で能役者を断念した作者ですが、繊細で神経症的な印象に反して、かなりの艶福家であったことを側近にいた上村占魚が記しています。また、「たかしの女性礼讃は常人をうわまわり盲目性をおびていた」とも。そう考えると、自身を粋に仕上げている女性を描写した句です。いずれにしても、絽の着物を召している作中の人物は、舞台上の役者のごとく背後に立つもう一人の自分の眼で立居振舞を律しています。同時に、そのような離見の見を相手に気づかせないゆるやかないでたちで現れています。現在では、もうほとんど見られなくなってしまった夏の浮世離れです。『松本たかし句集』(1935)所収。(小笠原高志)


July 0972014

 羅や母に秘めごとひとつあり

                           矢野誠一

にだって秘めごとの一つや二つあるだろう。あっても不思議はない。家庭を仕切って来たお母さんにだって、長い年月のうちには秘めごとがあっても、むしろ当然のことかもしれない。しかも厚い着物ではなく、羅(うすもの)を着た母である。羅をすかして見えそうで見えない秘めごとは、子にとって気になって仕方があるまい。この場合、若い母だと生臭いことになるけれど、そうではなくて長年月を生きて来た母であろう。そのほうが「秘めごと」の意味がいっそう深くなってくる。母には「秘めごと」がたくさんあるわけではなく、「ひとつ」と詠んだところに惹かれる。評論家・矢野誠一は東京やなぎ句会に属し、俳号は徳三郎。昨年七月の例会で〈天〉を二つ獲得し、ダントツの高点を稼いだ句。同じ席で「麦めしや父の戦記を読みかへす」も〈天〉を一つ獲得した。披講後に、徳三郎は「父と母の悪事で句が出来ました」と言っている。同じ「羅」で〈天〉を一つ獲得した柳家小三治の句「羅や真砂女のあとに真砂女なし」も真砂女の名句「羅や人悲します恋をして」を踏まえて、みごと。『友ありてこそ、五・七・五』(2013)所載。(八木忠栄)


June 2862015

 この街に生くべく日傘購ひにけり

                           西村和子

がスタートしています。前向きな明るさに、元気をいただきました。作者は横浜育ちのようですが、たぶんご主人の仕事の都合で大阪の暮らしが始まったのでしょう。句集には「上げ潮の香や大阪の夏が来る」「大阪の暑に試さるる思ひかな」があり、そのように推察します。「生くべく」で語調も強く意志を示し、「購(か)ひにけり」で行動をきっぱり切る。動詞を二語、助動詞を三語使用しているところにこの句の能動性が表れています。それにしても「日傘購ひ」は、男にはほとんどない季語の使い方で、いいですね。素敵な日傘を購入したことでしょう。句集では「羅(うすもの)のなよやかに我を通さるる」が続き、大阪の街を白い日傘をさして、女性らしい張りをもって歩く姿を読みとります。『かりそめならず』(1993)所収。(小笠原高志)


July 2772016

 梅干しでにぎるか結ぶか麦のめし

                           永 六輔

常おにぎりは麦飯では作らないだろう。好みによって何かを多少混ぜたご飯をにぎることはあっても。だいいち麦飯はバラついてにぎりにくい。敢えて「麦のめし」を持ち出したのは、六輔の諧謔的精神のありようを語るもので、おもしろい。「おにぎり」と言い、「おむすび」とも言う。どう違うのか。諸説あって、敢えて言えば「神のかたち」(山のかたち)→三角の「おむすび」。「おにぎり」のかたちは自由とか……。そのなかみも梅干し、おかか、たらこ、鮭、佃煮昆布……など、いろいろある。掲出句はなかみを梅干しにするか否かで迷っているフシがあるし、にぎるか結ぶかで逡巡していて、むしろ可笑しくも愉快ではないか。六輔は今月7日に亡くなった。3年前の7月の東京やなぎ句会の兼題で、柳家小三治が掲出句を〈天〉に抜いた。ほかに二人が〈五客〉に抜くなど好評だったようだ。六輔の「とりどりの羅源氏物語」の句も評価が高かった。俳号は「六丁目」。その句会では六輔の発言は少なく、元気で参加していた加藤武も大西信行もその後亡くなったし、欠席していた入船亭扇橋や桂米朝も亡くなった。『友ありてこそ、五・七・五』(2013)所載。(八木忠栄)




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