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July 1071996

 わだつみに物の命のくらげかな

                           高浜虚子

前にあるのはくらげだが、「物の命」によって原初の命そのものを私たちは見ることになる。先行するものとして、漱石明治二十四年の句に、「朝貌や咲いたばかりの命哉」があるが、虚子はいわば、くらげによって命の句の決定版を作ってしまった。(辻征夫)


August 2281996

 朝貌や惚れた女も二三日

                           夏目漱石

貌は「朝顔」。こういう句を読まされると、やっぱり漱石は小説家なんだなあと思う。美しい花の命のはかなさを惜しむことよりも、人間心理の俗悪さを露出することに執心してしまう。朝貌は、もちろん夜をともにした女の「朝の貌」にかけてある。漱石は、ひややかにそんな女の貌を見つめるタイプの男なのであった。そういえば、友人の死の床に駆けつけて、「おいっ、死ぬって、どんな感じなんだ」と聞いた作家もいたそうな。その人の名は、島崎藤村。聞かれたほうの瀕死の人の名は、田山花袋。今日は、聞いた側の藤村の命日(昭和18年没・享年71歳)である。『漱石俳句集』(岩波文庫)所収。(清水哲男)


August 2981996

 朝顔の好色たただよう朝の老人

                           原子公平

根に這わせた朝顔が、今朝も見事に咲いている。部屋着のままで表に出て、老人がいとおしげに眺めている。どこにでも、よくある平和な朝の光景だ。多くの人たちは微笑してその場を通過していく。だが、作者は違った。なんでもないそのシーンに、一瞬なにか生臭いものを感じてしまったのである。老人のいまの「男」のありどころを…。あるいはまた、その人の来し方の生々しい情欲のありようなども。人間は厄介だ。悲しい歌である。『良酔の歌』所収。(清水哲男)


August 3181997

 平凡に咲ける朝顔の花を愛す

                           日野草城

れこそ「平凡」な句でしかないだろう。「草城」という署名があるのが不思議なくらいだ。しかし、草城晩年のこの句は、だからこそ人間の表現行為の行方というものを深く考えさせる。若き日の才気煥発ぶりはすっかり影をひそめて、ここにはただ凡庸な表現者がよろけるようにして立っているだけだ。長い病臥の生活、そして片眼の光を失うという不運。かつて山本健吉は、晩年の草城句について「無技巧の技巧と言ってもよいが、それは拙いのではなくて、飽くまでも才人草城が到達した至境なのである」と、暖かい言葉で解説したことがある。そのようなときがあるとしたら、私もたぶんそうするだろう。が、これは本当に「才人草城が到達した至境」なのであろうか。ささやかな表現者でしかない私だけれど、しばしこの句の前で立ち止ってしまうほどの衝撃を受けた。『人生の午後』所収。(清水哲男)


September 1291997

 朝顔の紺の彼方の月日かな

                           石田波郷

郷二十九歳の作品だが、既に老成したクラシカルな味わいがある。句のできた背景については「結婚はしたが職は無くひたすら俳句に没頭し……」と、後に作者が解説している。朝顔の紺に触発されて過ぎ去った日々に思いをいたしている。と、従来の解釈はそう定まっているようだが、私は同時に、未来の日々への思いもごく自然に込められていると理解したい。過去から未来への静と動。朝顔の紺は永劫に変わらないけれど、人間の様子は変わらざるを得ないのだ。その心の揺れが、ぴしりと決まった朝顔の紺と対比されているのだと思う。『風切』所収。(清水哲男)


August 2881998

 朝顔や役者の家はまだ覚めず

                           川崎展宏

者の仕事はどうしても夜が遅くなるので、起きるのも遅い。せっかく立派に朝顔を咲かせているというのに、家の人々は見ることもなく寝ているのである。しかし、この光景に「ああ、もったいない」と、作者が嘆じているわけではない。それよりも、こうやって季節の花をきちんと咲かせている役者その人の人となりに、いささか感じ入っているのだ。好感を抱き、微笑している。どんな家にも、その家ならではの表情がある。その家のたたずまいを見るだけで、住んでいる人の生活ぶりや人柄が、ある程度はわかってしまう。ましてや役者ともなれば人気商売だから、たとえ自分が見ることもない朝顔であろうとも、きちんと他人に見せる必要があるわけだ。自分は寝ていても、演技演出は片時も忘れるわけにはまいらないのである。その点、表情を持たないマンションの暮らしは楽だ。言葉を変えれば味気ない。役者やタレントが好んで豪華マンションに住みたがるのも、住む場所にまで演技演出を考えなくてもよいからだろう。「豪華」という演技演出さえあれば、あとのことに神経を使わずにグーグー眠れるからである。好意的に考えれば、そういうことだ。『葛の葉』(1973)所収。(清水哲男)


June 1961999

 川ばかり闇はながれて蛍かな

                           加賀千代女

代女は、元禄から安永へと18世紀の七十三年間を生きた俳人。加賀国松任(現・石川県石川郡松任町)の生まれだったので、通称を「加賀千代女」という。美人の誉れ高く、何人もの男がそのことを書き残している。若年時の「朝顔に釣瓶とられてもらひ水」の心優しさで世に知られ、しきりに喧伝もされた。二百余年後に生まれた私までもが、ついでに学校で教えられた。さて、句の川は何処の川かは知らねども、往時の普通の川端などは真の闇に包まれていたであろう。川面で乱舞する蛍の明滅が水の面をわずかに照らし、かすかなせせらぎの音もして、そのあたりは「川ばかり」という具合だ。このときに、しかし川の流れは、周辺の闇と同一の闇がそこだけ不思議に流れているとも思えてくる。闇のなかを流れる闇。現代詩人がこう書いたとすれば、それは想像上のイメージでしかないのだけれど、千代女の場合はまったき実感である。その実感を、このように表現しえた才能が凄い。繰り返し舌頭に転がしているだけで、句は私たちの心を江戸時代の闇の川辺に誘ってくれるかのようである。寂しくも豊饒な江戸期の真の闇が、現代人の複雑ながらも痩せ細った心の闇の内に、すうっと流れ込んでくるようである。『千代尼句集』所収。(清水哲男)


August 0981999

 朝顔や濁り初めたる市の空

                           杉田久女

女の代表作。既に二女の母だった三十八歳(1927)の作である。「市(いち)」は、彼女が暮らしていた小倉の街だ。このころの久女は、女学校に図画と国語を教えにいったり、手芸やフランス刺繍の講習会の講師を勤めるなど、充実した日々を送っていた。そうした生活が反映されて、まことに格調高く凛とした一句となった。今朝も庭に咲いた可憐な朝顔の花。空を見上げると小倉の街は、はやくも家々の竃(かまど)からの煙で、うっすらと濁りはじめている。朝顔の静けさと市の活気との対照が、極めてスケール大きく対比されており、生活者としての喜びが素直に伝わってくる。朝顔は夏に咲く花だけれど、伝統的には秋の花とされてきた。ついでに言えば「ひるがお科」の花である。久女は虚子門であり当然季題には厳しく、秋が立ってから詠んだはずで、「濁り初めたる市の空」にはすずやかな風の気配もあっただろう。まだスモッグなど発生しなかった時代の都会の空は、濁り初めても、かくのごとくに美しかった。『杉田久女句集』(1952)所収。(清水哲男)


August 1782000

 朝貌の黄なるが咲くと申し来ぬ

                           夏目漱石

貌(あさがお)に、黄色い花があるかどうかは知らない。品種改良が進んでいるいまでも、あれば珍種の部類に入るのだろう。見てみたい。「申し来ぬ」は、わざわざ手紙で言ってよこしたの意。そのことだけを伝えた手紙だと、読める。漱石も半信半疑ながら、そいつは余程珍しいやと、わざわざ句に書きとめたというわけである。他に何も含意など無い句だが、それだけに心にしみる。明治二十九年(1896年)の作。誰からの手紙かはわからないが、誰からにせよ、ちょっとした自然の変事を書き送ってくる心映えが嬉しい。それを、そのまま句にした漱石の気持ちも……。「心にしみる」と言うのは、そればかりではなく、これが現代だったらどうかなと、ちょっと思ったからだ。はっきりと珍種の認識があれば、写真に撮って新聞社にご注進と出るかもしれない。花の色など何でもありみたいな時代だから、一瞬「おや」とは感じた人も、すぐに忘れてしまうかもしれない。そしておそらく、大多数の人は気にもとめないだろう。早速あいつに知らせてやろうと、手紙を書く人がどれだけいるだろうか。手紙といえば、時候の挨拶が面倒だからと、書くのが苦手な人が増えてきた。恥ずかしながら、かく言う私も「前略」専門。面倒に感じるのは、時候の挨拶に自然への思いを盛り込めないからである。このような句に接すると、私たちの社会が自然に素朴な驚きを覚える力を失って久しいと、つくづく思う。『漱石俳句集』(1990)所収。(清水哲男)


September 0292000

 朝顔にうすきゆかりの木槿かな

                           与謝蕪村

槿(むくげ)の花盛りの様子は、江戸期蕉門の俳人が的確に描いているとおりに「塀際へつめかけて咲く木槿かな」(荻人)という風情。盛りには、たしかに塀のあたりを圧倒するかの趣がある。とくに紅色の花は、実にはなやかにして、あざやかだ。残暑が厳しいと、暑苦しさを覚えるほどである。ところで、掲句。なんだかうら寂しい調子で、およそ荻人句の勢いには通じていない。それは蕪村が、木槿に命のはかなさを見ているからだ。たいていの木槿は早朝に咲き、一日でしぼんで落ちてしまう。そこが朝顔との「うすきゆかり」なのである。花の命は短くて「槿花一日の栄」と言ったりもする。しかし私には、どうもピンとこない。たとえ盛りを過ぎても、木槿の花にこの種の寂しさを感じたことはない。理屈としては理解できるが、次から次へと咲きつづけるし花期も長いので、むしろ逞しささえ感じてきた。桜花の短命とは、まったく異なる。『白氏文集』では、松の長寿に比してのはかなさが言われているから、掲句は実感を詠んだというよりも、教養を前面に押し立てた句ではないだろうか。句の底に、得意の鼻がピクッと動いてはいないか。そんな気がしてならない。一概に教養を踏まえた句を否定はしないけれど、これでは「朝顔」が迷惑だろう。失敗した(!?)理屈句の見本として、我が歳時記に場所を与えておく。(清水哲男)


August 1782001

 朝顔や締めあう首のあべこべに

                           増田まさみ

ちらかと言えば「朝顔」は夏の花だが、伝統的に秋の季語とされる。薬草として中国から渡ってきた植物で、万葉集にも出てくる。観賞用になったのは鎌倉時代以降からで、江戸時代に盛んになったというのが定説。観賞用の花は品種改良が重ねられるので、可憐で涼しげな姿をなんとか夏に登場さすべく改良されたのかもしれない。掲句は、その可憐で涼しげな花同士が「首」を絞めあっていると言うのである。お互いの蔓が、相手の花下の「首」にからみついている状態だ。人間同士の首の締め合いならば、正対しなければならない。が、朝顔は互いに「あべこべ」の方を向いて、すなわち素知らぬ顔で、互いにぎゅうぎゅうと締め上げあっているというわけだ。なあるほど……。ブラック・ユーモアの味がする。誰に聞いたのだったか、句を読んで、こんな話を思い出した。ある小学生の女の子が誕生パーティに、いつも自分をいじめるイヤな子も呼んだ。呼ばないと、後でどんな目に遭うかわからないからだ。女の子の母親が集まったみんなに「いつまでも仲良くしてね」と挨拶すると、いじめっ子がにこにこと「私たちシンユウだから、イッカイもケンカなんかしたことないんですよ」と応えた。母親からは見えない机の下で、当の女の子の膝をしっかりと抓(つね)りながら……。『女流俳句集成』(1999)所収。(清水哲男)


May 2552008

 朝顔やすこしの間にて美しき

                           椎本才麿

顔は秋の季語ですが、気分的には夏に咲く花という感じがします。思えばこの花はいつも、生活にごく近いところで咲いていました。子供の頃は、ほとんどの家がそうであったように、我が家もとても質素な生活をしていました。それでも小さな家と、小さな庭を持ち、庭には毎年夏になると、朝顔の蔓(つる)が背を伸ばしていたのでした。子供の目にも、朝に咲いている花は、その日一日の始まりのしるしのような気がしたものです。考えてみれば、「朝」という、できたての時の一部を名前にあてがわれているなんて、なんと贅沢なことかと思います。この句では、「朝」と、「すこしの間(ま)」が、時の流れの中できれいにつながっています。「朝顔の花一時(ひととき)」と、物事の衰えやすいことのたとえにも使われているように、句の発想自体はめずらしいものではありません。それでもこの句がすぐれていると感じるのは、「すこしの間」というものの言い方の素直さのためです。たしかに、少しの間だから儚(はかな)いのだし、儚さにはたいてい美しさが、伴うのです。『俳句の世界』(1995・講談社)所載。(松下育男)


June 1762008

 標本へ夏蝶は水抜かれゆく

                           佐藤文香

虫が苦手なわたしは、掲句によって初めて蝶のHPで採取と収集の方法を知った。そこにはごく淡々と「蝶を採取したら網の中で人差し指と親指で蝶の胸を持ち、強く押すとすぐ死にます」とあり、続いて「基本的に昆虫類の標本は薬品処理する必要がありません。日陰で乾かせばすぐにできあがります」と書かれていた。こんな世界があったのだ。虫ピンというそのものズバリの名の針で胸を刺され、日陰でじっと乾いていく蝶の姿を思うと、やはり戦慄を覚えずにはいられない。掲句はこの処理の手順を「水抜かれ」のみで言い留めた。命、記憶、痛み、恐怖のすべてを切り捨て、唯一生の証しであった水分だけで全てを表現した。出来上がった美しい標本を眺めながら考えた。丸々太った芋虫から、蛹のなかで完全にパーツを入れ替え、全く別な肢体を得る蝶のことである。今までの劇的な変化を考えれば、水分をすっかり抜かれることくらい造作もないことで、永遠の命を得るために標本への道を、蝶が自ら選択しているのではないのかと。〈朝顔や硯の陸の水びたし〉〈へその緒を引かれしやうに鳥帰る〉『海藻標本』(2008)所収。(土肥あき子)


September 0392008

 新涼の水汲み上ぐるはねつるべ

                           岩佐東一郎

い横木の一端に重石をとりつけ、その重みでつるべをはねあげて水を汲みあげるのが撥釣瓶(はねつるべ)。そんなのどかな装置は、時代劇か民俗学の時間のかなたに置き去られてしまったようだ。私も釣瓶井戸は見ているが、撥釣瓶井戸の実物は幼い頃に見た記憶がかすかにあるていど。もはや「朝顔に釣瓶とられてもらひ水」という千代女の句で、知ったふりをするしかない。秋になって改めて味わう涼しさは、ホッとして身がひきしまる思いがする。「新涼や/水汲み・・・」ではなく、「新涼の水汲み・・・」で「新涼の水」を汲みあげているととらえている。冷やかに澄みきった井戸水であろう。ただの井戸や川から汲むのではなく、撥釣瓶で汲みあげるという設定によって空間が大きくなり、ゆったりとした動きも加わった。のどかにしてすがすがしい動きに加え、かろやかな音さえ聞こえてくるようである。それにつれて人の動きも同時に見えてくる。水を汲みあげるという作業のなかに、人々の生活の基本が組みこまれていた――そんな時代があったことを、この句は映し出している。新涼と水をとり合わせた句は少なくない。西東三鬼には「新涼の咽喉透き通り水下る」の句がある。東一郎は昭和十年代、北園克衛、安藤一郎、岡崎清一郎、他の詩人たちとともに俳句誌「風流陣」の同人だった。ほかに「月の梅うすうすと富士泛(うか)べたり」の句があり、句集に『昼花火』がある。『昼花火』(1940)所収。(八木忠栄)


October 16102008

 硝子器に風は充ちてよこの国に死なむ

                           大本義幸

識はなくとも篤実な人柄を感じさせる俳人がいる。この作者の俳句を読むとしみじみと懐かしさがこみあげてくる。「熱き尿放つ京浜工業地帯の夜の農奴よ」「旗を灯に変えるすべなし汗の蒲団」など時代のやるせなさを詠じた句も多いが、重苦しい現実との闘いを経ても作者の心はへし折れることはない。「朝顔にありがとうを云う朝であった。」抒情溢れる句が生み出す優しい強さに力づけられる。掲句について大井恒行は解説で「ついに風が充ちないことを知りながら、なお、充ちてよと願わざるを得ないのである。」と書き綴っている。「硝子器」とは現実に息詰まりそうになる自分自身であろうが、その内側にある精神はすがすがしい風に充たされ、解き放たれることを乞わずにはいられない。純粋なものへの憧れを抱き続ける心がこの国の情けない姿に悲嘆しつつも、「この国に死なむ」とすべてを受け入れようとしているのだろう。苦しみの底にこそ軽やかな精神が存在する。作者がたどってきた複雑な人生の色合いが俳句に織りなされた一冊だと思う。『硝子器に春の影みち』(2008)所収。(三宅やよい)


May 0552009

 したたかに濡るる一樹やこどもの日

                           川村五子

日「こどもの日」。子供はいつ見ても濡れているように思う。お日さまの下、やわらかい髪を汗で貼りつけ、駆け回っているイメージがあるからだろうか。それはまるで、太陽を浴びることでスイッチが入り、汗をかくことで一ミリずつぐんぐんと成長しているかのように。掲句の一本の樹は健やかに発育する子供の象徴であり、そこにはそれぞれの未来へと向かうしなやかなまぶしい手足が見えてくる。強か(したたか)とは、人格を表すときには図太いとか狡猾など、長所として使われることはないが、一旦人間を離れ、自然界へ置き換えた途端に、その言葉はおおらかに解き放たれる。掲句の核心でもある「したたかに濡るる」にも、単に雨上がりの樹木を描くにとどまらず、天の恵みの雨に存分に浄められ、つやつやと滴りを光らせている枝葉が堂々と立ち現れる。初夏の鮮やかな木々が、世界を祝福していると感じられる甘美なひとときである。〈空容れてはち切れさうな金魚玉〉〈朝顔の全き円となりにけり〉『素顔』(2009)所収。(土肥あき子)


August 1382009

 朝顔の顔でふりむくブルドッグ

                           こしのゆみこ

初に読んだとき心にどんときて、それでいてその良さを説明しがたい句というのがあるけど、この句もそうだ。朝顔と顔のリフレインが軽快だけど、「朝顔の」でいったん小休止を置いて読んだ。チワワやプードルのように軽快な動きができずに、大きな顔でぐいっと身体ごと振り向く動作の重いブルドッグと爽やかにひらく朝顔は質感といい、形といいなんら繋がりはない。にもかかわらず「顔」で響き合うこの取り合わせはどこかおかしい。いかめしいブルドッグの顔のまわりにひらひらフリルがついて大きな朝顔になってしまいそうだ。ブルドッグもこのごろは小型化してフレンチブルドッグを連れている人はよく見るけれど、頬が垂れて足の短い大型のブルドッグはほとんど見かけない。ダックスフンドといいコリーといい家のサイズに合わせて小型化する時代なのだろうか。そのむかし、ブルドッグは追っかけられると怖い犬の代名詞だったように思う。そう言えば、ポパイの天敵ブルートもごついブルドッグを連れていたっけ。『コイツァンの猫』(2009)所収。(三宅やよい)


August 1882010

 あさがおはむらさきがいいな水をやる

                           瑛 菜

者は小学一年生の女の子で、俳人・大高翔さんのお嬢さん。朝顔の花には赤、ピンク、白、藍……いろいろあるし、紫もある。私の近所の家の垣根で、朝顔が毎年みごとな紫の花をたくさん咲かせてくれる。そこを通るたびにしばし見とれてしまう。朝顔の紫は品位があって優雅。奥行きのある、とてもいい色だと思う。小学一年生の女の子だったら、赤とかピンクの花を「いいな」と詠みそうな気がするけれど、「むらさきがいい」というのはオトナっぽい感受性だなあ、と感心した。瑛菜さんはおマセな子なのだろうか? きっと毎朝、朝顔に水をやることが日課になっているのだろう。期待に応えて朝顔もがんばってみごとな花を咲かせる。「いいな」の「な」は字余りだが、この一字が加わったことによって気持ちがはじけ、可愛さが増した。無垢な気持ちで一所懸命水をあげている姿が見えるようである。さて、今朝は花がいくつ咲いたのだろうか? でも、あんなに鮮やかに咲いた朝顔も、暑い昼には見る影もなくしぼんでしまう儚さ。掲句は大高翔が、今春まとめた『親子で楽しむ こども俳句塾』という本を瑛菜さんが読み、それを契機にして作った一句だという。同書には「親子ペア部門」があって、こどもと親の句がペアでならんでいるらしい。掲句に対応して母親の翔さんは「朝顔を気にして始まる子の一日」という句を作っている。「朝日新聞」2010年8月8日収載。(八木忠栄)


August 2082010

 朝顔を数えきれずに 立ち去りぬ

                           伊丹三樹彦

寿記念出版と帯に記された24番目の句集に所収の作品。作者は昭和12年に日野草城に師事し、31年に草城逝去のあと「青玄」の後継主宰になり、それ以降、一句中の随意の箇所に一マスの空きを入れる「分かち書き」を提唱実践して今日に至る。その普及のために全国行脚をしていた40年頃、鳥取県米子市を作者が訪れた折、当時米子にいた僕は歓迎句会に出席したのを覚えている。高校生だった僕は初めて「中央俳人」というのを目にしたのだった。爾来一貫して「分かち書き」を実践。現代の日常の中にも俳句のリリシズムが存することを示してきた功績は大きい。この句、「立ち去りぬ」が現実であって象徴性も持つ。どこか禅問答のような趣きも感じられるのである。『続続知見』(2010)所収。(今井 聖)


August 1382011

 朝顔の前で小さくあくびする

                           岸田祐子

が家には門がなく、玄関の前に目隠し代わりの木製のフェンスがある。その内側に母が先日、買い求めてきた朝顔の鉢を三つ置いた。蔓を絡ませるにはフェンスの一本一本が太すぎるのでは、と思ったが今や器用に絡んで毎朝咲いている。いわゆる団十郎というのだろうか、茶色がかった渋い赤に白い縁取りの花が気に入っているが、赤紫も藍色も、あらためて見ると風情のある花だ。早朝、朝顔の鉢の前にしゃがみこんでいくつ咲いているか数えたり、しぼんでしまった花殻で色水を作ったりしたことをふと思い出させるこの句。何の説明も理屈もなく、朝の空気に包まれた穏やかな風景がそこにある。「花鳥諷詠」(2011年3月号)所載。(今井肖子)


September 0492011

 僧朝顔幾死にかへる法の松

                           松尾芭蕉

週も芭蕉の句から。幾死は「いくし」、法は「のり」と読みます。誰の句だって、読みたいように読んでしまってよいわけです。しかし、この句はちょっと難しい。僧と朝顔は、死んではまた新しく生まれ出るものを象徴しています。朝顔は年々、それぞれの命を変えるものだし、僧の寿命は朝顔より長いものの、幾度も死んではまた生まれてくると考えれば、同じものと言えます。一方、松の方は、ずっと生き続けるものとして対比されています。法は仏法の法。宗教に携わる僧の命は絶えることがあっても、仏法は松のようにずっと生きているのだということなのでしょう。むろん松にも寿命はあるわけですが、ここは素直に読みましょう。それにしても年をとってくると、宇宙の大きさとか悠久の時の長さの中に、小さな自分をそっと置きたくなるのは、なぜでしょう。『芭蕉物語(上)』(1975・新潮社) 所載。(松下育男)




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