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July 0771996

 七夕や岡崎止りの貨車に昼

                           北野平八

夕は夜の祭。作者は兵庫の人だから、岡崎まではそんなに遠くない。この貨車が岡崎に着くころ、その空には天の川が流れているだろう。「五万石でも岡崎様は……」と、町には粋な民謡のひとつも流れているかもしれぬ。散文的な真昼の駅で、ひょいとこんな句が生まれるところに、北野平八の並々ならぬ才質が感じられる。昭和57年作句。『北野平八句集』所収。(清水哲男)


August 0881997

 星合の宿のはじめは寝圧しかな

                           加藤郁乎

合(ほしあい)は、牽牛と織女の二つの星が出合うこと。すなわち、七夕のことを言う。こんな風流な日に、作者は一人旅である。で、浴衣に着替えて旅館で最初にすることが、ズボンの寝押しの準備というのだから、不風流きわまりない。思わずも力なく「へへへ」と笑ってしまったという図。こうなったら、七夕もへちまもあるものか。今夜は一杯やって、早いとこ寝ちまおう……。『江戸櫻』所収。(清水哲男)


July 0771999

 七夕やまだ指折つて句をつくる

                           秋元不死男

を言うと、今日七夕の句を掲げるのには心理的な抵抗がある。本来は旧暦の七月七日(1999年では8月17日)の節句であるし、梅雨も盛りの頃とて、ろくに星空ものぞめないからだ。でも、東京あたりでは保育園や幼稚園をはじめとして、強引に今日を七夕として行っているので、こんなことで流れに逆らうのもはばかられ、しぶしぶの選句とはあいなった。句意は簡明だ。「指折つて句をつく」っているのは、日頃から俳句の心得がない人というわけで、この場合は子供だろう。七夕の当日になっても、なお短冊に書く句を作りあぐねている。少しは苛々もするが、一所懸命に指を折っている様子が可愛らしい。私が子供だった頃には、短冊に俳句などを書きつける意味を「文字の上達を祈るため」と教えられた。女の子は「裁縫の上達」のためだったらしい。そのために朝早く起き、里芋の葉にたまっている露を茶碗に集めてきて、硯(すずり)の墨をすった。戦前じゃないですよ、戦後の話ですよ。何を書いたかはすっかり忘れてしまったけれど、いっこうに字がうまくならなかったことからすると、心からの真剣な願いを書かなかったからにちがいない。どうも、私には上手に行事にノレない性格があるようだ。(清水哲男)


July 0772001

 牽牛織女文字間違へてそよぎをり

                           川崎展宏

京あたりでは、七夕を陽暦で行う。梅雨のさなかで「牽牛織女」もあったものではないが、明治の陽暦採用時に、せめて東京人だけでもと新暦に義理を立てた名残りだろうか。季語としては秋に分類されている。ところで、掲句は皮肉を詠んでいるのではない。短冊の誤字にもまた、風情があってよろしい。「一所懸命書いたんだろうになあ」と、作者は微笑している。短冊の文字の句で有名なのは、石田波郷の「七夕竹惜命の文字隠れなし」だが、療養所での七夕祭ゆえに「惜命」の二文字が胸に突き刺さるようだ。さて、たまたま掲げた二句ともに文字にこだわっているけれど、これはたまたまの暗合ではなく必然性がある。七夕の由来は複雑でここに書ききれないが、行事的な一つの意味は文字や裁縫の上達を願うところにあった。私が小学校で習った七夕も、この意味合いが強かった。早朝に里芋の葉にたまった露を集めて登校し、その水で墨をすって文字を書いたので、よく覚えている。書く文字もそれこそ「牽牛織女」であり「天の川」であり、小さい子は「おほしさま」だつた。いまのように願い事は書かなかった。もっとも書けと言われても、敗戦後の混乱期だったから、願いを思いついたかどうか。せいぜいが「白い飯を腹いっぱい食いたい」などと、そんなところだったろう。『蔦の葉』(1973)所収。(清水哲男)


July 0772002

 七夕竹惜命の文字隠れなし

                           石田波郷

惜命表紙
まりにも有名な句。「七夕竹」は「たなばただけ」。「波郷忌や惜命の語の去りやらぬ」(海斗)のように、波郷といえば掲句を思い出す人は少なくないだろう。大陸で病を得た波郷は、戦後三年目の五月に、東京都下清瀬村(現・清瀬市)国立東京療養所7寮6番室に入所している。以下、年譜による。10月14日、第1次成形手術を受ける。宮本忍博士執刀。右第1―第4肋骨切除。12月2日、第2次成形手術、宮本忍博士執刀。右第5―第7肋骨切除。病状ますます快方に向かうが菌はなお陽性。そんな療養生活のなかでの七夕祭。患者たちのそれぞれの思いが、短冊に書きつけられて飾られた。なかで波郷の目を引いたのが、というよりも凝視せざるを得なかったのが「惜命(しゃくみょう)」の二字だった。イノチヲオシム……、イノチガオシイ……。「隠れなし」とは、本当は他の短冊や笹の葉などに少し隠れていて、短冊全体は見えていないのだ。しかし「惜命」の二字がちらりと見えたことで、全てが見えたということである。結核療養所での「惜命」などとという言葉遣いは、明日の希望につながらないから、おそらくは暗黙のうちのタブーであったろう。それを、真正直に書いた人がいた。この本音をずばりと記した短冊を凝視する波郷自身は、さてどんな願いを書いたのだろうか。なお「七夕」は陰暦七月七日の夜のことだから、秋の季語である。「七夕や秋を定る夜の初」(芭蕉)。『惜命』(1950)所収。(清水哲男)


August 0982002

 七夕をきのふに荒るる夜空かな

                           吉田汀史

語は「七夕」、昔は陰暦七月七日(または、この日の行事)を指したので秋に分類。仙台七夕など各地の月遅れの祭りは終了したが、昔流に言うと、今年は今月の十五日にあたる。句は、七夕が過ぎたばかりの空が、急に荒れだした様子を描いている。台風でも近づいてきたのだろうか。「きのふ」の七夕の晴夜が嘘のように、黒い雲が走る不気味な空を見上げて、作者が思うことはおそらく「祭りの果て」「宴の後」といったことどもだろう。一抹の寂しさを、荒れはじめた夜空がさらに増幅している。これを単なる自然現象による成り行きと言ってしまえばそれまでだが、こういうときに人は、自然現象にも人ならではの意味を読んできた。「ハレ」と「ケ」の交互出現、良いことは長くつづかぬといった考えなどは、みな自然現象から読み取ったものだ。俳句様式はまた、こうした読み取りを得意としてきたのだった。ところで、三鷹市にある国立天文台では、昨年から「伝統的七夕」の復活を呼びかけている。新暦でもなく月遅れでもなく、旧暦による七夕を祝おうと、今年も十五日には市内でイベントが予定されている。天体の専門家たちによる提唱ゆえ、やがて全国に波及していく可能性は高いだろう。俳誌「航標」(2002年8月号)所載。(清水哲男)


October 06102004

 青電に間に合ふ星の別れかな

                           伊丹竹野子

語は何だろうか。字面だけからすると、無季句である。が、句意に添って情景を想像すれば、「星の別れ」とは「星空の下の別れ」であり、星空が最もきれいな季節である秋の「星月夜の別れ」と読めなくもない。よって、当歳時記では異論は承知で「星月夜」に分類しておく。ところで私がこの句に目を止めたのは、もはや死語ではないかと思われる「青電」が使われていることにもよる。車体の青い電車のことじゃない。昔の市電などで、行先を示す標識を青色の光で照明したところからそう呼ばれたもので、最終電車である赤電(車)の一つ前の電車を言った。もう、若い人にはわからない言葉だろう。帰宅を急いで運良く最終電車の前の電車に乗れると、何となくほっとする。赤電は切なく侘しいが、青電にはそれがない。後続の赤電との時間差がたいして無いのだとしても、とにかく青電に乗ると、得をしたような気分になるものだ。まだそんなに遅い時間じゃない、もっと遅く赤電で帰る人もいるのだから……。と、とくに句のように別れがたい人と別れてきた後では、不意に散文的な現実に呼び戻されて、自己納得するというわけだ。「星」の幻想と「青電」の現実。私たちは両者の間を、行ったり来たりしながら暮らしている。俳誌「ににん」(16号・2004年9月30日刊)所載。(清水哲男)

[訂正します]数人の読者から「星の別れ」は季語「星合(七夕)」の項目にあるとのご指摘をいただきました。ありがとうございます。後出しジャンケンみたいですが、実はそれも考えました。でも、「電車」ゆえ「実際の人の別れ」ととったほうが面白いと思って書いたわけです。しかし歳時記にある以上、私の解釈は強引すぎたかと反省しています。よって、「間違った」解釈はそのままに、掲句を「七夕」の項に移動させることにしました。


June 2862008

 蚊遣香文脈一字にてゆらぐ

                           水内慶太

年ぶりだろう、金鳥の渦巻蚊取線香を買ってきた。真ん中の赤い鶏冠が立派な雄鳥と、青地に白い除虫菊の絵柄が懐かしい。緑の渦巻の中心を線香立てに差し込んで火をつける。蚊が落ちる位なのだから、人間にも害がないわけはないな、と思いながら鼻を近づけて煙を吸ってみる。記憶の中の香りより、やや燻し臭が強いような気がするが、うすい絹のひものように立ち上っては、ねじれからみ合いながら、夕暮れ時の重い空気に溶けてゆく煙のさまは変わらない。長方形に近い断面は、すーと四角いまま煙となり、そこから微妙な曲線を描いてゆく。作者は書き物をしていたのか、俳句を詠んでいたのか、考えることを中断して外に目をやった時、縁側の蚊取り線香が視野に入ったのだろうか。煙がゆらぐことと文脈がゆらぐことが近すぎる、と読むのではなく、蚊を遣る、という日本古来の心と、たとえば助詞ひとつでまったく違う顔を見せる日本語の奥深さが、静かな風景の中で響き合っている気がした。〈海の縁側さくら貝さくら貝〉〈穴を出て蜥蜴しばらく魚のかほ〉〈星祭るもつとも蒼き星に棲み〉など自在な句がちりばめられている句集『月の匣(はこ)』(2002)所収。(今井肖子)


October 18102011

 補陀落も奈落もあらむ虫の闇

                           根岸善雄

陀落(ふだらく)とは、観音が住むといわれるインドの南海岸にある八角形の山。この山の華樹は光明を放つとも、芳香を放つともいい、観音の浄土として崇拝されてきた。一方、奈落とは地獄である。掲句で使用されている「虫の闇」は、虫の音とともに、鳴き声を発している空間に注目している季語である。風の音や虫の音に秋のあわれを感じる寂寥の気持ちに加え、暗闇から響くものが命の限りの絶唱であることへの戦慄も含まれる。虫の声は高くなり低くなり、あるときはぴたりと止み、また堰を切ったように湧き返る。この息づく闇に、地獄と極楽を見てしまった作者も、感傷的になるより、ふと怖れを感じたのだと思う。先日、夜の上野公園を横切ったとき、耳を覆うほどの虫の声に包囲された。人間の気配にひるむことなく、近寄ればかえって力強く鳴き始めるものさえいたようだ。しかし、来週あたりには、同じ場所はただの暗闇となり、ひっそりと静まりかえっていることだろう。あれほどの声の主たちの骸はどこにも見当たらぬまま。〈星合の夜や海盤車(ひとで)らは眠れるか〉〈雪吊を解きし荒縄焚きにけり〉『光響』(2011)所収。(土肥あき子)


February 1322016

 春の虹まだ見えるかと空のぞく

                           高濱年尾

の句は、現代俳句の世界シリーズの『高濱年尾 大野林火集』(1985・朝日新聞社)をぱらぱらめくっていて目に留まった。のぞく、という言葉は、狭いところから見るイメージがあり、どこから見ているのだろうと確かめると、年尾集中の最後「病床百吟」のうちの一句であった。「病床百吟」には、昭和五十二年に脳出血で倒れてから、同五十四年十月二十六日に亡くなるまでの作、百十一句が収められている。春の虹は淡く儚いイメージを伴うが、病室の窓からの景色になぐさめられていた作者にとっては、心浮き立つ美しさであったにちがいない。しばらくうとうとしたのか、窓に目をやるともう虹は見えない。ベッドから降りて窓辺に立ち空を見上げて虹の姿を探している作者にとってこの窓だけが広い世界との唯一のつながりであることが、のぞく、という言葉に表れているようで淋しくもある。「病床百吟」最後の一句は〈病室に七夕笹の釘探す〉。(今井肖子)




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